さて、そろそろまた「EMIイヤーズ」秘話に戻ろう。
銀次バンドの最後のギタリストはフェビアンの古賀森男君だったという話だ。

なぜ彼が僕のバンドでギターを弾くことになったのか?
信じられない話だが、彼が自らそれを志願してきたからだったのだ。

銀次さんのバンドでギターを弾かせてくださいよと古賀君がいってきたときには、うれしかったけれど、いちおう君はメインを張っている人なんだから、そううかつに他人(ひと)のバックでギターを弾くもんじゃないよと反対をした。それだけ自分の音楽やギタースタイルを持っているひとだから、安売りしないでほしいと思ったのだ。
それでも古賀君はどうしてもというので、1991年の2月14日、名古屋クラブ・クアトロでの「VALENTINE 5 NIGHTS #4」というイベントに参加してもらうことにした。

ライヴの映像が残っていないのが残念。その後まもなく僕の所属事務所が消滅し、結局古賀君がリードギターの銀次バンドでの最初で最後のライヴになってしまった。

もはやどんな感じかもう忘れてしまったが、たぶんいいライヴだったのだろう。
その証拠に、その後すぐに始まった「山羊座の魂」に続くアルバムに、古賀君の起用を決めているからだ。残念ながらそのアルバムは未完でオクラになってしまったが ... 。

「山羊座の魂」に続くアルバム?
そうなのだ。実は、東芝EMIイヤーズ最後のアルバム「山羊座の魂」が1990年にリリースされたあと、1993年にキューン・ソニーから「LOVE PARADE」が発表されるまでの間に、キティー・レコードに移籍、そこで幻のアルバムがレコーディングされようとしていたのである。
結局、制作途中で僕の所属事務所のアニマル・ハウスがつぶれてしまい、リズム・トラックのレコーディングの段階で終ってしまった。歌も仮歌のまま、そのままオクラになってしまい日の目をみることはなかった。

何曲のリズムを録音したのかも憶えていないが、その何曲かで古賀君にもギターを弾いてもらったことだけは鮮明に憶えている。
もしそのまま問題なく進行していたら、古賀君のギターで歌う銀次のサウンドが世に出ていたはずで、そのアルバムをひっさげた銀次バンドで古賀君がさっそうとプレイしていたことだろう。

キューン・ソニーで発表した「LOVE PARADE」の中に収められた「飛べないペガサス」は、そのレコーディングのときに、まったく別のアレンジでリズム・トラックをレコーディングしていた曲をリテイクしたもの。幻のアルバムでの仮タイトルは「線路際(ぎわ)の少年達」だった。
もともとその曲では、当時大好きだったイギリスのレイルウェイ・チルドレンみたいな8ビートのロックを目指していたので、彼らの名前と、浜田省吾さんの「路地裏の少年」というタイトルとをくっつけたような仮タイトルをつけていた。





幻のアルバムの中で他に記憶にある曲といえば、「Tik Tak Man」という仮タイトルの曲ぐらいか。
XTCの「Tower Of London」やマンフレッド・マンの「My Name is Jack」みたいなカワユイ曲だったような。この曲のアレンジも含めた全貌はもうぼやけているが、メロディーだけはいまでもなぜかしっかり頭の中で鳴らすことができる。





なぜかカセット・コピーも何も手元に残ってない。なにごとも物持ちのいい僕のはずなのに。
なにかとっておきたくなかった、そのレコーディングにまつわる思い出したくないような出来事があったにちがいない。それも覚えていない。今となっては幻のキティー・イヤーズであった。
それにしても、あのマスター・テープは今いったいどこにあるのだろう?


古賀君は外見と声は甘いが、実はその性根は硬派なミュージシャン。僕も負けるガンコものである。
さるビッグな男性シンガーから名指しでメンバー入りを薦められたのに、自分の音楽スタイルを貫けない仕事はしたくないと断ってしまったことがある。確かにフェビアンからソロに至るまでのすべての作品に通底しているロマンチシズムは、そのガンコさの鎧によって守られてきたのかもしれない。

そんな反面、オフステージのときの彼はとてもくだけていてユーモラスだ。
打ち上げのとき、彼がいちばん影響を受けたアーティストがキッスだと聞かされた時は我が耳を疑った。とても彼の音楽とはすぐに結びつかなかったからだ。
彼のティーンエイジのときのロック・ヒーローがキッスだったというわけだ。
そういえば、ライヴで見せるあの口を尖らせるような顔つき、ギター小僧のような楽しげな姿に、それを垣間みることが出来た。





古賀君が大推薦で教えてくれたKing's Xはゴキゲンだったね。ソフトロックとハードロックの見事な融合。どこかビートルズとクリームが合体したような魅力があって大好きになった。

こないだ「新月」というライヴで聴いた久保田洋司君の歌いかたに、どこか古賀君と共通点を感じたので、ライヴ終了後にそのことをたずねたら、「やっぱりいっしょにユニットやってましたからね。」との久保田君のお返事。それからまた二人して、しばし古賀君について話した。いつも久保田君と会うと古賀君の話になる。そしてまた彼の歌とギターを聴きたくなってくる。

久保田君を初めて僕に紹介してくれたのが古賀君。彼が銀次バンドのメンバーだった、1991年8月9日に渋谷クラブ・クアトロで開かれた「FRAMES OF DREAMES Vol.1」に、彼と久保田君のユニット、「いるかブラザーズ」で出演してもらったときに古賀君から紹介され、いっしょに「今日の誓い」を演った。



ジャパンのスティーヴ・ジャンセンとリチャード・バルビエリのユニット「The Dolphine Brothers」。
ユニット名はたぶんこの名前からのインスパイされたものだと思う。


いろんなことが思い出されてくる。もうひとつ古賀君がらみのこぼれ話を。

近藤真彦さんの1991年の「無頼派」というアルバムのために、当時の担当ディレクターのかたから僕に作曲と編曲の依頼があった。それがおもしろいことに曲調はローリング・ストーンズの「Carol」みたいにしてほしいという、実にうれしい指定。
しかもミュージシャンもなるべくスタジオ・ミュージシャンぽくない、バンドっぽい人たちで荒っぽく録ってほしいという夢のようなお願いだった。
まかせてくださいとばかり、銀次バンドの熊ちゃんのドラムとコイサンのベースに、古賀森男君とコレクターズの古市コータロー君のツイン・ギターでざっくり録音したのが、「はずしっぱなし」というロックンロール・ナンバー。
残念ながらマッチには会うことはなかったが、結果マッチとこのメンツによるストーンズっぽい、実に貴重で珍しいセッションが生まれることになった。


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このナイスなアイデアの担当ディレクターだったのが黒田日出良さん。その後、彼が渚十吾さんであることがわかったときは、遅ればせながらなーるほどであった。

つづく