映画が終ったのに4人ともすぐに席から立てなかった。終ってしまったのが信じられなくてこのままずっとまだ見ていたかった。みんなこのすばらしい時間を終らせたくなかったのだ。トータル3時間30分もの長い映画だったというのに。
どのカットにもどのシーンにも、思わず思い入れてしまう。そしていつのまにかとても愛おしい気持ちが生まれている。

久保田洋司君、黒沢秀樹君、画家の小峰倫明さんと新宿ピカデリーで見たジョージ・ハリソンの「Living In The Material World」は、ジョージをはじめとする多くの登場人物、そして映画の作り手たちのさまざまな愛に満ちあふれた、大人のおとぎばなしのような映画だった。






曲の歌詞とストーリーのからませかたも実にさりげなくて、しかも効果的に相互に魅力を高め合っていた。さすがスコセッシ。それにしてもいったい編集にどれぐらい時間がかかっているのだろう?

この映画のために取材したインタビューだけでも膨大な量だろうに、生前のジョージやジョンのインタビューや番組に出演したときのコメントなども使われているから、確実に残されているすべての映像をまずチェックするところから始まっているのでは。
それらをいったんばらばらのシークエンスに解体してから、スクリプトに合わせて、ジョージの曲の歌詞との呼応をも考慮に入れて、コラージュのように組み上げていく作業。俯瞰(ふかん)と細部を絶えず行き来しなけらばならない果てしない根気強さ。
ものつくりへの執念が伝わってきて頭が下がる。

その作り手の執念は、ジョージの考え方、感じ方、生き方へのリスペクトから生まれてきたもの。それがスコセッシをはじめとするスタッフをこの作品の完成にナチュラルに駆り立てた原動力ではないかと思った。

僕は評論家ではないから能書きはここまで。
正直なにがうれしかったって、とにかくジョージが好きでよかった、ジョージが好きな自分はまちがっていなかったと素直に思えたことがなによりだった。
いつも音楽にまっすぐに向かっていた彼の真摯なアティテュードとその人柄、そしてその鋭い知性。
僕はもうジョンやポールと彼を比較で見ることは絶対しない。
ジョージはジョージ。ジョージはジョージにしか作れない曲をつくり、彼にしか歩めないすばらしい人生を歩んでいたのだから。





残念だがジョージはもうこの世にはいない。
だけどこの映画を見終わった後、たとえ僕ら一人一人のチカラが小さくても、このくそったれなマテリアル・ワールドが少しでも美しい精神世界になるように努力することをあきらめちゃだめだよと、耳元で彼がいってくれたような気がした。そうなんだ。絶対にあきらめちゃだめなんだ。


14時55分に始まった映画が終ったのはなんと18時40分過ぎ。
余韻さめやらぬ4人は近くのパブへ。

席につくやいなや注文もそっちのけで,堰(せき)を切ったようにみんないっせいに感想を語り始めて止まらなくなり、お店の人が注文をとれなくておたおたするほどだった。
みんな心がいい感じに揺れていたので会話がとぎれることはなく、かぎりなく広がって行く。
久保田君や小峰さんや黒沢君といると、僕の気持ちはすっかり、音楽そして映画好きな高校生になっていた。

年齢はまちまちだけど、共通しているのはみんな人一倍好奇心が旺盛で、どんな話題にもヴィヴィッドに反応してしまう豊かな感受性を持っていること。そして対象物にまっすぐに視線を向けることができること。だから喜びは4倍。幸せな時間だった。
こういうことっていくつになっても、何にも増して大切なことなのかも知れない。
久保田君、黒沢君、小峰さん、また遊んでやってください。そして高校生のように大いに語り合いましょう。

前にドビッシーが好きだと言っていた久保田君は、最近はベートーベンにはまっていると話してくれた。お店を出て新宿駅に向かう道すがら、手塚治虫さんの遺作となった漫画がベートーベンを主人公にした作品だったことを思い出したので彼に教えてあげたら、その目が輝いていた。
ただ帰りがてらのどさくさだったのでちゃんと伝わったかどうか。


ルードウィヒ・B/手塚 治虫

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こんなすごい漫画があることは、かって七尾旅人君に教えてもらった。
「コミックトム」という雑誌に連載中、1989年2月9日に手塚さんが亡くなられたため、残念ながらこの「ルードウィヒ・B」が未完の絶筆となってしまったという。
ものすごくチカラの入った作品でおもしろいけれど、続きが読みたくても読めない悲しいさだめ。
でもベートーベンに興味を持っているのならぜひ久保田君に読んでほしいと思った。
いろんな意味でとても感動的な作品だから。おすすめです。今度貸すからね。