☆ THE BRITISH COVER NIGHT ☆

1989年4月27日 汐留PIT

01) Hush / 伊藤銀次( ディープ・パープルのカバー)
02) Cruel To Be Kind / 伊藤銀次( ニック・ロウのカバー)
03) See Emily Play / 伊藤銀次( ピンク・フロイドのカバー)

04) White Honey / 高橋研( グラハム・パーカーのカバー)
05) You Really Got Me / 高橋研( キンクスのカバー)

06) No Reply / 東京少年( ビートルズのカバー)
07) Day After Day / 東京少年(バッドフィンガーのカバー)

08) Smoke On The Water / 小林克也(ディープ・パープルのカバー)
09) Honky Tonk Women / 小林克也(ローリング・ストーンズのカバー)

10) ラジオスターの悲劇 / 高野寛(バグルスのカバー)
11) Strawberry Fileds Forever / 高野寛(ビートルズのカバー)

12) Magic / 戸川京子(パイロットのカバー)
13) As Tears Go By / 戸川京子(ローリング・ストーンズのカバー)

14) 5-4-3-2-1 / ピチカート・ファイヴ(マンフレッド・マンのカバー)
15) She's Not There / ピチカート・ファイヴ(ゾンビーズのカバー)
16) Paper Sun / ピチカート・ファイヴ(トラフィックのカバー)

17) I'm Not In Love / 伊藤銀次(10 CCのカバー)

18) Brown Sugar / マーシー from アースシェーカー(ローリング・ストーンズのカバー)
19) See Me, Feel Me / マーシー from アースシェーカー(ザ・フーのカバー)

20) Presence Of The Lord / 山口富士夫(ブラインド・フェイスのカバー)
21) Wild Thing / 山口富士夫(ジミ・ヘンドリックスのカバー)

22) Boom Boom / かまやつひろし(アニマルズのカバー)
23) Gimme Some Lovin' / かまやつひろし(スペンサー・デイヴィス・グループのカバー)
24) Twist & Shout / 出演者全員(ビートルズのカバー)

アンコール

25) Johnny B. Goode / 出演者全員(チャック・ベリーのカバー)


これは、1989年4月27日に開かれた銀次プロデュースによるイベントのセットリストである。なぜここから始まるのか? なーんでか? なーんでか? 
なんかそんな芸人さんもいたような気もするが、そっちジャンルに入ることは避けて話を進めよう。

一昨夜、モメカルの小弥祐介君にアレンジしてもらうために、「地を這うさんま」のデモ音源を作っていたら、遅くまでと言うよりは、「朝を見たかい」になってしまった。いわゆる昼夜逆転というヤツである。

夕方目をさましたらもうほの暗くなっていた。しょうがないから粛々と「GET HAPPY」の続きを始めようとMacBookを開いたら、銀次親衛隊の、徳間書店の治郎丸慎也君からうれしいメールが届いていた。


31日に更新された小西康陽君のコラムに「ウキウキWATCHING」について言及してくださっているとのこと。さっそく閲覧させていただいた。2011年10月31日号「またブログ放置。」という回である。

http://www.houyhnhnm.jp/blog/konishi/2011/10/post-9.html


まさか、こんなふうにあの作品をとらえてくださっているとは。しかも日本のポップ・ミュージック・シーンを牽引してきた小西君がそう思ってくれていたことが何よりもうれしかった。

そういえば、昔僕が主催したイベントに小西君のピチカート・ファイヴも出演してもらったな、ひょっとしたら ... と、ごそごそと探してみたら、なんとこの「The British Cover Night 」のセットリストが出てきたのだ。それが冒頭の「なーんでか」のセットリストなのだ。


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話が前後してややこしくなるかもしれないが、これも「東芝EMIイヤーズ」秘話のひとつだと思っていただきたい。ただし時期は「GET HAPPY」の3年後、ちょうど4月26日にアルバム「DREAM ARABESQUE」が発売された頃の話である。

小西君といえば、ピチカート・ファイヴに始まり、多くのポップな作品群を発表し続けてきた、音楽プロデューサー。その広範囲な音楽の知識を下敷きに、ジャンルや時空をも超えたマテリアルを、その独自のレシピを駆使して、新しいポップ・キュジーンに仕立て上げる、その技はまるでポップ・ウィザードのようだ。

どの作品もキラキラとした輝きに満ちたものだが、彼がプロデュースをてがけたものの中で、僕が一番好きなアルバムは、「ベリッシマ」だった。





88年発表のピチカート・ファイヴの2ndアルバム。メンバーは小西康陽、高浪慶太郎、田島貴男。

ピチカートといえば、一般には野宮真貴さんが3代目のリード・ヴォーカルだった頃をイメージする音楽ファンも多いことかと思うが、僕にピチカート・ファイヴの名前を決定的に印象づけたのは、その後のオリジナル・ラヴの田島貴男君が2代目のヴォーカリストとして参加した、「ベリッシマ」だった。あまりのアルバムの素晴らしさに、おもわず「British Cover Night」への出演をお願いした。

僕の東芝EMIイヤーズの「DREAM ARABESQUE」の中に「いちご色の窓」という曲がある。その曲の弦楽四重奏のアレンジを当時ピチカートのメンバーだった、高浪慶太郎君にお願いしているのも、明らかに「ベリッシマ」の影響ではなかったかと思う。

そのアルバム以前に、田島君のことは、コレクターズを知った1986年12月リリースのオムニバス・アルバム、「ATTACK OF MUSHROOM PEOPLE」に収められていたレッド・カーテン名義の「Talking Planet Sandwich」という曲で知っていた。
あまりにもヒップでグルヴィーだったので、レッド・カーテンに会ってみたくて、当時僕がパーソソナリティーを務めていたJFNの「FMナイト・ストリート」にゲスト出演してもらった。それが田島君との初対面だった。





そのネオサイケから、「ベリッシマ」でのソウルへの転換は、意外に見えて、スタイル・カウンシルやブロウ・モンキーズたちの転向ぶりを見ていたから、僕には納得の行くものだった。しかも小西君がそこにいた。その変身ぶりの影に、小西君の存在が大きかったのではないかと感じさせる瞬間を、この「British Cover Night」のリハーサルで体験したことを今でもはっきりと憶えている。


このイベントは、各アーティストが自分のオリジナル曲をいっさい歌わず、それぞれが大好きなイギリスのアーティストの曲をカバーするというもの。選曲は各アーティストが歌いたいものを自由に選んでいただいた。

ただピチカートの時は少しもめた。セットリストを見ると、「5-4-3-2-1」、「She's Not There」、「 Paper Sun」の3曲となっているが、はじめにピチカートが上げてきたのは
「5-4-3-2-1」、「 Paper Sun」と、ラトルズの「Ouch !」だった。



「助けて!」が「痛い!」に。いうまでもなく「Help !」の絶妙なるパロディです。


田島君は大好きでどうしてもやりたがっていた。もちろん僕も大のラトルズ・フリーク、喉から手が出るほどそのアイデアに飛びつきたかったが、プロデューサーの僕としてはせっかくのピチカート出演、1曲でいいから「ベリッシマ」を彷彿とさせるカバー曲を演ってほしかった。
僕の狙いは、たかがカバー曲だけど、その選曲と解釈でそれぞれのオリジナリティが透けて見えるようなイベントにしたかったからだ。

そこで、たとえばゾンビーズの「She's not There」をカーティス・メイフィールドの「Superfly」みたいな感じで演るのはどうだろうと提案した瞬間だった。
それまで「Ouch !」一辺倒だった田島君にちがうスイッチが入ったようだった。
目の色が変わり、何かが憑衣したかのように、僕のバンドのメンバーにいきなり、「She's not There」や「Superfly」にインスパイアされたと思われるフレーズを指示し始めたのだ。
ドラムはこういう感じで、ベースのフレーズはドゥドゥドゥドゥー... という風に。
目を見てみると心ここにあらずといった感じ。彼の頭の中にサウンドだけが鳴っていて、それが彼のすべてを支配しているようにみえた。








いきなりのことだったが、とまどうことはなかった。ただ化学反応が起こっただけのこと。いまでもこういうクリエイティヴな瞬間にいつも出会っていたいと思っている。
音楽に魂を捧げきっているアーティストにはとかくよくあること。佐野元春にも似たようなことが何度もあったものだ。

そのときその田島君を見ながらうれしそうな顔で、言葉足りないところを補ったり、アレンジメントを甲斐甲斐しくサポートする小西君が目に入った。その眼差しこそはまちがいのないプロデューサー目線だった。

確か小西君に「彼はおもしろいね」と語りかけたら、にこっとして「おもしろいでしょ?」と答えてくれたように記憶している。
そうか、彼も僕と同じような気持ちで、田島君をとらえ、そして彼との化学反応を楽しんでいたのか。

うがち過ぎるかも知れないが、田島君を、あの「ベリッシマ」という乗り物で大衆のところまで届けた小西君の存在がなければ、その後のオリジナル・ラブへつながって行ったかどうかは定かではない気がする。
たぶん僕の勝手な思い込みだと思うが、そう思い込んでしまいたくなる1シーンだった。

自分のアイデアをほめるわけではないが、ピチカート版の「She's Not There」、このうえなくクールでファンキーな仕上がり。予想を超えたカッコよさだった。

残念ながら、このピチカート・ファイヴも含めた「British Cover Night」のライヴ音源は全く残っていない。もし残っていたら僕にとっては、モンタレー・ポップ・フェスティバルよりも、ウッドストックよりも、はるかにエキサイティングでヒストリカルなライヴ音源だったんだけれど。

治郎丸君からのメールがなければ見つからなかったセットリスト。
直接「東芝EMIイヤーズ」の5タイトルとの関係がないように見えて、この頃の音楽状況が自然にあぶり出されてくるようでおもしろい。なんとすでに「Cruel To Be kind」を歌っていたなんて、まったく忘却の彼方であった。
みなさんもぜひ、このセットリストを眺めながら、イマジネーションを膨(ふく)らませて、みなさんの頭の中でこのライヴ・イベントを開催してみてください。

(なーんでかと問われる話題をはさみつつも)つづく