さてしばしの中断があったが、uncle-jamのuki-uki music club vol.5 のレポの続きを、粛々と書いていこうと思う。

uncle-jam初めての2days。誰もがまずペース配分を考えてしまうところだろうが、「サンデー銀次」10月10日号の 「下北沢はGood Vibrations」でも書いているように、出し惜しみなく9日は9日のことしか考えずに、100%歌いきった。
2009年のアコギ弾き語りツアー「I Stand Alone 2009」では、一日20曲以上、3日連続で歌うことが何度かあった。 それを乗り切ってきた僕だから2日連続ガンガン歌うのなんてまったく平気のヘイちゃんなのだ。ちゃんと睡眠さえとれば100%ととはいかなくても99%くらいには復活している。
9日の打ち上げを中途で抜け帰って来るなり、さっさと休んだので10日もグッドな体調で目覚めることができた。

はやばやとソルドアウトしたのは9日。そのせいか、uncle-jamがご招待した音楽仲間や業界関係の方達は、10日を希望された方達が多かった。それでもスケジュールの都合でどうしてもと9日でないとという方たちもいらっしゃったが、うまいぐあいにほとんど立ち見にならずみな座ってごらんいただけたのはよかった。

9日に来てくださったのは、武蔵小山アゲインの店長の石川さん、石田ショーキチ君、一方井(いちかたい)利正君、バーゲンズのお二人、成瀬秀樹君、ソウル・ジャンクションズの平松慎也君など。忙中を万障繰り合わせて駆けつけてくれました。ありがたや。





一方井(いちかたい)利正君は、サエキけんぞう君をして大瀧詠一激似声アーティストと唸らせた男。
なんと僕の「日射病」の大ファンで、この曲をカバーしてくれたというから、オレンジ色ではないがなんともニクイ奴なのだ。
ココナツバンク復活の年、サエキ君のコアトークにゲストに出してもらった時、一方井君もゲストだったので、僕からのリクエストでいっしょに「日射病」を演った。伊藤銀次の、なんちゃってヨーデルが聞くことのできる激レアヴァージョンである。

そして昨年の12月24日の僕のバースデイ・ライヴに参加してくれ、いっしょに「バンザイ」を演奏してくれた、ウルフルズのドラマー、サンコン Jr.も初めてuncle-jamのライヴを見にきてくれた。

風知空知ぐらいの大きさだと客席にいる人たちの顔がはっきりとわかる。ステージで歌いながら、何気に客席を見回すとサンコンの姿が目に入った。
そのときふと、そういえばこういう光景は今までになかったなと思った。
僕がウルフルズのプロデュースをしていたときは、ずっと客席で僕の方がサンコン達をみることが多かったからだ。まだブレイク前、リハーサルで組み立てた構成や曲順やアレンジがどんなふうにお客さんに届いているのかを、客席にいて見守っていたからだった。
その頃は現役を退きプロデュースにのみ専念するつもりでいたから、まさかこうやってステージに立って歌う姿をサンコンに見てもらうことになるとは思いもよらなかった。
面映いような、実に不思議な感じがした。きっとサンコンも同じような心持ちで見ていてくれたのではないかと思う。



僕が選ぶ、ウルフルズの銀次プロデュース・イヤーズでのサンコンのベスト・ドラミングはこれです。しなやかでしなるようなリズム。まさに和製ピストル・アレン。ついでに私めの小芝居もどうぞ。


風知空知は下北沢南口商店街にあるレコファンの隣のビルの中にある。
4階でエレベーターを降りるとすぐそこに受付が。その受付のうしろについたてが立っていて、そのま裏に一対のソファとテーブルがある。そこが僕らの楽屋なのであった。
そこから大きなガラス戸を開けると広いベランダに出ることができ、お客さんが多い時はそこもスタンディングながら客席となる。おしゃれだけれども、南口商店街の生活音が風にのって入ってくる、とてもシタマチックなスペースが風知空知なのである。

その受付の右側にテーブルつきの客席がバーッとウッディに広がり、その奥がステージになっている。
どちらかというとライヴハウスというより、まるでバリ島かなんかのバンガローでくつろいでいるような気分。おいしいご飯やお酒を演奏と共に座って楽しめる、くつろいだ大人なスペースだ。

10月10日、その客席とバーカウンターの間の花道(?)をuncle-jamの二人がステージに向かって歩き始めた時間は、9日よりもオンタイムに近かった。客席から拍手が起こったが、昨日とは質感のちがった拍手。ライヴはいつでも一期一会。さて今日はどんなライヴになるだろう?

ステージに上がって二人ギターを抱える。おもむろにチューニングを始めながら、客席に目をやると、なんと昨日も来てくださっていたお客さんが大勢いらっしゃるではないか。ありがたいことである。「よーし今日はさらにすごいステージにするぞ」モードが思わす立ち上がりそうになったが、グットこらえて、ここは心をフラットに保つように心掛けた。
昔からリキむ性分の僕は、初日がいいと、2日目はもっとがんばんなくっちゃと熱くなり過ぎ、何度も墓穴を掘った青く苦い経験がある。
若い時にはわからなかったこと。2009年の35カ所にわたるひとり弾き語りツアー、「I Stand Alone 2009」での経験が、平常心こそがよい演奏への出発点であることを学ばせてくれた。

完成した「にゃーお」はすでに昨日発表済なのに、いたずら好きな僕は、10日のライヴ直前に更新した「下北沢はGood Vibrations」の中で、初日と同じようにセーノで「出前まだですか?」と声をかけてくださったら、ネタバレにも関わらず「Chotto Matte Kudasai」を歌いますよと書いていた。半分は冗談、読者のみなさんに投げるだけ投げておくくらいの軽い気持ちだった。

まさかないだろうとタカをくくっていたら、よもやの「セーノ」とやはりの「出前まだですか?」の大合唱が、昨日に続いて再び起こった。
さすがuncel-jamのお客さん。みんなエンタメが大好きなんだ。よーしわかった2度目でどうだ?
チューニングもそこそこに、ふたたびまたたび「Chotto Matte Kudasai」を一節歌わせていただいた。
こんなへんてこりんなライヴのはじまりかたって見たことない。どうってことないんだけどなんか楽しい。





いつものように「Baby It's You」からスタート。3曲の洋楽カバー、そしてお題de作曲コーナーへの流れは昨日と全く同じである。一度本番を経験しているので、今日はこころなしかゆとりを感じる。特に黒沢君は昨日と段違いに落ち着きはらっている。
おもしろいもので1年もいっしょにデュオをやっていると、お客さんのほうに向いたまま歌っていても、声やギターを聞いているだけで、その時々の黒沢君の心の状態や動きが手に取るようにわかるようになってくる。知らず知らずのうちに感情を込めて歌っていても、常に耳はダンボのようになって全身がセンサーのようになって、黒沢君の一挙手一投足に対して集中しているのである。一瞬のお互いの乱れがあっても阿吽(あうん)の呼吸で対応することができるようになっている。実に中身の濃い1年だった。
下記が10日の風知空知前半のセットリストである。

01) Baby It's You
02) Now And Always
03) I Don't Want To Spoil The Party
04) 僕たちのキャンドル
05) にゃーお
06) かじりかけのトースト
07) 大人のDeep Purple (Burn ~ The Highway Starのメドレー)


ほとんど9日と同じだがちがうところは、宿題だった「にゃーお」を発表したあとの、お題拝借のコーナーである。ここだけはいつでも未知との遭遇なのだ。

2daysだから、お客さんに不公平感をあたえないように、両日ともに新しいお題をいただくことにした。
宿題がいっきに2曲になる僕らは大変なのだが、おかげでレパートリーも自ずと増えるということで、ここはひとつ大盤振る舞いで行くことにしたのだった。オラオラ、どっからでもかかってきなさい。

昨日いただいたお題は「帽子」だった。そのくだりは「サンデー銀次」10月12日号の 「uki-uki☆music club vol.5 第1夜・前半戦」を読んでいただくとして、あらたに10日にいただいたお題は「電車」。

電車というと、文字通り電力で動く列車のことだ。だけどあまりにも漠然としたお題だったので、そのときポアロは一呼吸おくと、おもむろに依頼人にこう問いかけたのだった。
「それは新幹線も含まれますか?」
依頼人の女性は即座に首を横にふった。それを確かめるとポアロはしたり顔になり、笑みを浮かべた。
「さようですか。そういうことならオリエント急行のような煙をはく汽車も、それにはあてはまらないということですね、 マドモアゼル?」
女性がうなずくと、ポアロはいきなり何かひらめいたかのようにヘイスティングスのほうに向き直り
「モ・ナミ ( 我が友よ)、これはまちがいなく町中を走る路面電車のような近距離の乗り物にちがいない。
ヘイスティングス君、私の灰色の脳細胞がそう語っています。」 ....

いったいどこへ行こうとしているのだ、この話は? 「サンデー銀次」史上未曾有の脱線。お題が「電車」だけにまさしくあってはならないこと。スマンの涙であるが、僕の頭の中に浮かんで来たのが路面電車とか世田谷線だったことはまちがいなかった。



世田谷線、和みの路線です。


「どんな町を走っているといいでしょうか?」と客席にふったところ、「三崎!」と声がかかった。
その声は三浦市立病院内科医の来田(きだ)先生。黒沢君と僕、uncle-jamがいつもお世話になっている三崎在中のプロデューサーの藤沢さんと共に、今日は三崎市からはるばる見にきてくださっていたのだった。

今年の4月に三崎の駐車場で開かれた「ニュー・ミサキパラダイス」というライヴでのuncle-jamの出演時間が日没後となり、僕の譜面台をiPadで照らしてくださった、三崎の友人のひとりである。
詳しくは4月1日号「サンデー銀次」の「それぞれのメリーゴーラウンド」を読んでいただければ幸いである。

残念ながら三崎プレッソのある三崎港には電車がない。京浜急行電鉄久里浜線は三崎口駅までしかつながっておらず、三崎港に行くためにはバスを使うしか手だてはない。もし三崎港まで京急がつながっていたら、三崎にもっと人が来やすいのに ... 。
江の電のような電車が三崎にも走っていたらとイメージを思い浮かべたら、なぜか小坂忠さんのアルバム「ほうろう」の中の「ゆうがたラブ」というか、ビリー・プレストンというか、なにやらファンキーなサウンドが聞こえてきた。




脳味噌というのは瞬時にしていろんなことを判断するものだ。ぼくのドドメ色の脳細胞はこのとき恐ろしいスピードで無数の二進法による演算を繰り返していた。

「にゃーお」はちょっとブルージー方向に行ったので、ここでまたファンキーでは泥臭い系が続きすぎる。16ビートなのはいいんだけどなんて思っていたら、突然僕の頭の液晶にマーヴィン・ゲイの顔が浮かんだではないか。そこでさっと軌道修正。僕の無意識が歌わせたのは、「港町電車通り」というタイトルの、メジャーセブン系のスイート・ソウルのサビであった。もちろんさっきまでかけらすら存在しなかったピカピカの新曲である。

所用時間はいったいどのぐらいだったのだろう? そんなに長い時間でもなかったような気がする。
何が銀次に起こっていたのか? 僕自身もわからない。気がついたら「こんなん出ましたけど」状態になっていた。

マドモアゼルからのお題、来田先生からの「三崎」へのフリがなければ生まれてこなかったヒラメキ。
まさに奇跡のような時空間なのだった。とにかくよかったよかった。
なんとかマドモアゼルのOKもいただき、会場からもよくやったぞの拍手をいただきめでたしめでたし。
あとはモ・ナミ ( 我が友よ)、ヘイスティングス君、いつものように君に... 。

前半最後はインスト・コーナー。日替わりメニューの10日は、第1回からずっと演目に入っているディープ・パープル・メドレー。
「Higway Star」にBurnのイントロをくっつけて、ジャンゴ・ラインハルトのようなスタイルで演奏するというもの。パロディのつもりなのだが、オリジナルを聞いたことのない方には何のことやらわからないかも知れない。まじな演奏ととられるのはうれしいがプレッシャーでもある。





9日の「胸いっぱいの煙」とはまた趣の異なるこのインスト曲は、偶然だったが秋という季節にはぴったりだったような気がする。
さて10日の前半も無事終了して、休憩後はそれぞれのソロ・コーナーへ。

昨日とはまったく曲を変えて臨むことにした。
その中の1曲は、この日僕たちuncle-jamのライヴを見にきてくれた、ある音楽仲間のために特別に用意した曲だった。
大阪城ホールにゲストで呼んでくれたことへの、そしてこのライヴへの招待に心よく応じてくれたことへの僕からの感謝の気持ちをこめた選曲。心をこめて歌うことに決めていた。

つづく