「G. S. I Love You」最終章を書いていたら、沢田さんにまつわる、僕の個人的な想い出がとめどなく浮かんで来たので、ちょっとそれを書きたくなった。
話題としてはけっして遠いわけではないが,少し寄り道である。

ザ・タイガースの「ザ・ヒットパレード」でのTVデビューを、残念ながら僕は見逃してしまった。
弟が見ていてくれて、ポール・リビアとレイダースのKicksを演っていたよと教えてくれた。





僕もその当時、選曲だけはうるさいくせにへたくそだったアマチュア・バンドで、ポール・リビアとレイダースの「Just Like Me」とか演っていたので、何となくそのバンドが気になった。しかも京都出身だというし。
そのザ・タイガースが「僕のマリー」でレコード・デビューしたときに、はじめて元の名前がファニーズだと聞いて、あっと驚いた。

あれはまだタイガースがデビューする前だから1966年頃だったか1967年だったか、小学校のときの同級生の女の子から1枚のはがきが届いた。彼女とは、特に仲がいいとかいうわけでもないただのクラスメイトだったが、何年か前に、映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 」の何度目かの再上映を見に行ったときに、大毎地下で偶然ばったり会ったことがあるのである。

まだVHSもDVDもない時代。動くビートルズを見るために、新聞の映画欄をこまめにチェックしては、再映を見つけその名画座にかけつけては、1日に2回も3回も見たものだった。ほぼ1日映画館で過ごすので、お尻が痛くなったけれど、そんなことはちっとも苦ではなかった。何度みても新鮮で飽きることなどなかった。
それほどビートルズが好きだった。






いつも二本立てで併映はだいだい「ウェストサイド物語」と決まっていた。初めはしょうがなく見ていたけれど、そのうちにこの映画のファンにもなってしまった。

見にきているのはだいだい女の子。みんなスクリーンに向かって「きゃーっ」とか「リンゴー」とか嬌声を発していた。その中に彼女がいたのである。
小学校のときの静かな感じの彼女からは想像できなかった場面。
へぇー、彼女もビートルズを好きになってたんだ。意外なところで会ったのでびっくりだったが、彼女も僕の髪の毛が前より長めになってポールみたいだったから、きっと驚いていたにちがいない。

そんな彼女から届いたはがきには、今度わたしの大好きなファニーズが「マリーは想い出」という曲でデビューしますのでよかったら応援してください、といったようなことが書いてあった。女の子らしい、小さな字でかわいく書かれた手紙。その時の僕にはそのグループも曲も、まったく実体のない存在だったので、ふーんそうなんやって感じだった。

それからしばらくしてザ・タイガースが「僕のマリー」でデビューしたとき、それがはがきにあったファニーズだったとをわかったときはマジに驚ろいた。
はがきをくれた彼女は、たぶん「ナンバ一番」に出ていた頃からのファニーズのファンで、熱心な親衛隊のひとりだったのではないか ... 。もはやそのあたりのことはよくわからないが、とにかくそんなわけで、僕は、ザ・タイガースが飛び立つ前から、なんとなくその存在を知っていたということになるわけだ。





そんな僕が、1882年のザ・タイガースの再結成で、アレンジをやらせてもらうことになるなんて ... 。
人生はミステリアス、明日のことは誰にもわからない。God's Soy Soupである。


つづく