いつもいつも「サンデー銀次」を読んでくださってありがとうございます。
台風が過ぎ去ったとたん、がくんと気温が下がって、何か上に羽織らないと肌寒いくらいです。かと思うとまたじきに暑い日々が戻ってくるとの予報。くれぐれも体調を崩さないように、みなさん気をつけてくださいね。
「サンデー銀次」名物、みなさんから寄せられたコメントへのお返事です。

そのまえに。
8月7日のuncel-jamの風知空知ライヴに遊びに来てくださる、伊藤銀次親衛隊、徳間書店の治朗丸慎也さんが、えらいブツがYouTubeに上がっていることを教えてくださいました。音声だけですが、なんと伝説のヘッドフォン・コンサートの模様です。
ヘッドフォン・コンサートについてはみなさんご存知でしょうか?
えっ、ご存知ない? それについてはまた別の機会にでも語るとして、今日のところはこのブツで楽しんでいただきましょう。

杉君と佐野君の会話のあと、佐野君の紹介で僕とダディさんが登場、佐野君と僕がお話をしたあと、「SOMEDAY」の演奏が始まります。僕も聞くのは初めてでした。みなさんにもおすそわけしますので、どうか楽しんでください。







■ ひれちゃんさんへ

これからエレキギターを始めるんだ。いいですねー。がんばってね。
僕も3年前、突然トランペットが吹きたくなって3万円ぐらいの楽器を、今はなき渋谷YAMAHAで購入しました。
ほんとはもっと高いののほうがいい音がするのだけれども、いつあきらめて投げ出すかもしれないので、とりあえず初級者コースからスタートしました。
トランペットはサックスとちがって、音がなかなか出ない。毎日少しずつ練習していたら、なんとか音が出るところまではいきました。
唇にも筋肉が付いてきて、いい感じだったのですが、ついつい怠けていると、だんだん下手になってきて、最近はとんと触っていません。ひれちゃんさんのコメントを見ていたらまた練習を始めたくなりました。
とりあえずの目標は、自分の曲「雪は空から降ってくる」を歌うとき、間奏が吹けるようになって、チェット・ベイカーみたいに決めたいことなのです。





自分でやってみるとその楽器が近くに感じられるようになります。なんでこんないい音すんの? とか、おっ、トランペッターによって音色がちがうぞとかね。
ひれちゃんさんはどんなギターの世界に憧れて始められるのでしょうか? ぜひ聞かせてほしいですね。





■ CHARMYさんへ



9月のライヴでの「あの娘のビッグ・ウェンズデー 」、CHARMYさんはどんなヴァージョンで歌われるのか興味津々です。それぞれの「ビッグ・ウェンズデー 」があると楽しいからね。
歌われた暁にはぜひYouTubeにアップお願いします。楽しみにしておりますので。





■ ももんがさんへ

ももんがさんのリクエストがきっかけで、「G. S. I Love You」秘話、大反響です。
楽しいテーマへのフリをありがとうございました。
さらに、そのまま「ストリッパー」秘話に続いていく可能性は濃厚となってきました。

「彼女はデリケート」佐野君ヴァージョンにアコギを入れるのが、大瀧さんのアイデアだったかどうかは、僕は聞いていません。
たぶん佐野君のアイデアだったと記憶していますが、佐野君が大瀧さんから直接アドヴァイスを受けていたとかの記述が、何かの記事に出ていたでしょうか? あいにく僕はそのへんが定かではありません。

ひとつはっきり覚えているのは、アルバム「SOMEDAY」に入れるつもりで、フェイドアウトのアレンジでレコーディングし終わっていた「彼女はデリケート」を聞いた大瀧さんが、どうしてもこの曲を「ナイアガラ・トライアングル vol.2」に入れたいとおっしゃったことでした。それだけだったら、何も問題はなかったのですが、フェイドアウトではなくエンディングをつけてほしいとの注文があったのです。

すでにフェイドアウトで録音しているのでエンディングはついていません。とりあえず佐野君とスタジオに入って、もう一度「デリケート」を頭から最後まで聞いてみることにしました。
マイクのセッティングを含めた諸条件を同じにしてもう一度セッションを組んでエンディングを新たにつけるのはむずかしい。どうしても同じ音色や空気感にすることは至難の技。しかもたったエンディングのためにもう1曲分のお金をプレイヤーに払わなければなりません。
そこで僕たちはすでに録ったテイクの中に「エンディング」になるものはないか必死で探しました。

それがあったのです。長い長いフェイドアウトのアウトロを聞いて行くと、なんとドラムスの島村英二さんがダトト、ダトト、ダトト、ダトト、ジャンジャンというエンディングになりそうなフレーズで終わってくれていたのです。これだ。あったどー。サンキュー、島ちゃん。

ハートランドの小野田君に電話をかけ、ベースを持ってスタジオに駆けつけてもらい、この島村さんのフレーズに、元の音色に似た音色でダビング。ハートランドの楽器車に載っていた僕のギターを急いで運んで来てもらい、僕がギターをダビングして完成したエンディングを、録音してあったサイズより短くエディットした長さのアウトロの先につなげて完成したのでした。






大瀧さんから注文を出されたときは、まるで一休さんのような気持ちになりましたが、あきらめずに追求したおかげでナイスなエンディングを生むことができたわけです。
このレコーディング以降は、何かハプニングが起きた時こそ、それが予期せぬおもしろい展開への予告なのではと思えるようになりました。実際に予期せぬ出来事が起こったレコーディングのほうが、おもしろい結果になっていることが多かったですね。
大瀧さんのおかげで、いい勉強をさせてもらいました。





■ タルビーさんへ

早く続きが読みたくてしょうがないという気持ちが、あなたのコメントの文面から、伝わってきました。
まさかこんなに盛り上がるとは思ってなかった。うれしいです。連続ブログ小説、みなさんからのコメントへのお返事が終わったら再開いたしますので、どうか首を長くして待っててくださいませませ。





■ t.taruiさんへ

えっ、ほんまにタルイちゃん? わぁーお、タルイちゃんや。おっと、興奮して思わず大阪弁になってしまいました。
まちがいなく、「ビッグ・ジョン」というバンドでSGを弾いてたあのタルイちゃんですよね? 
懐かしい ... 。お元気ですか? 「サンデー銀次」に気づいてのコメントをありがとうございます。とってもうれしいです。

あの頃はまだ駆け出しだった僕らに、大先輩のタルイちゃんは温かく接してくれました。
かなり昔のことなので細かいことは覚えていませんが、「ビッグジョン」が「I'm In Love Again」をカバーしていたことはなぜか今でもはっきりと記憶にあります。
お名前は忘れましたが、フルート&ヴォーカルの人が歌っていましたよね。確かジェスロ・タルの「ブーレ」も演っていたような記憶も...。
それにしてもファッツ・ドミノの曲を演ってるなんてバンドはいなかった。





この曲はリッキー・ネルソンもカバーしています。たぶん「ビッグ・ジョン」は、オムニバス・アルバム「What's Shakin'」の中に入っていた、トム・ラッシュのヴァージョンで演っていたのではありませんか?


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先日ジプシー・ブラッドの宮内ジョージさんとセッションしました。何かの波が来ているみたいです。
タルイちゃんともひさびさにセッションしたくなってきました。





■ レモネードさんへ

楽しんで読んでいただけているようですね。とてもうれしいです。

1983年の夏、映画館で上映されたコンサートで、レモネードさんが好きだったアイドルが歌っていた 「VANITY FACTORY」って、ひょっとしてこの映像ではないでしょうか?





初めて見ました。そんなことが起こっていたんですね。ちゃんと彼の曲になっているのがおもしろかった。
というか「Vanity Factory」はそういうスタンダード性や歌謡曲性を、内部に隠し持った曲だったということなのでしょうね。大発見でした。


作曲を依頼されていい曲が出来た時は、あげたくないとも思うけれど、逆に人にあげるからということで、よけいなことを考えずに作るので、いい曲ができることが多いようです。
やっぱり自分の曲の時はチカラが入り過ぎたり、邪念に邪魔されてしまうのかもしれません。

佐野君が僕のことを「銀次」と呼ぶのは、彼がハートランドの「ボス」だからだと思います。たとえ僕のほうが年上でも、立場上彼が「ボス」だからです。その証拠に彼のファースト・アルバム「Back To The Street」ではまだ「銀次さん」と呼んでくれていたような。
まだハートランドのメンバーではなかったからね。

「銀次」と呼ばれても僕は何の抵抗も感じませんでした。外人と仕事をするときは、ハイ、ギンジ、ウォッツ・アップ?とかだもんね。
佐野君といるときは、なんとなく外人といるよう。英語ではなくて日本語で会話してるけれど、まるで海外ドラマの吹き替えのような気分になってくるんです。

かって佐野君のコンサートパンフだったかに「佐野元春は僕の夢です」と書きました。
6つ年上の僕らの世代がロックを始めた頃、日本のマーケットには受け皿がなく、思ったようにまっすぐには歩めず、まわり道をしなければならなかった。そうしているうちにねじまがったり、情熱が失せてしまったりしたミュージシャンが多かった。佐野君に初めて会ったとき、彼にはそんなふうになってほしくないと思いました。
なぜなら、彼はかって僕がやりたかったけれど、うまく形にできなかったことをやろうとしていたからなのです。だから「佐野元春は僕の夢」だったのです。

佐野君が評価されなかったら、そこから先、ろくでもない音楽界になるだろうなと思っていました。

僕が佐野君に一番惹かれたのは、バラエティー豊かな音楽性。それはまるでひとりビートルズのようでした。その一番の魅力も、1979年から1980年あたりでは、逆に売れるためにはマイナス要素だったのです。

できたての彼のファースト・アルバムを音楽仲間に聞かせた時のひとことが

「ロックンローラーなのバラードシンガーなの、どっち? そこがわかりにくいよね。どっちかに統一したほうがいいんじゃない。」

この言葉はかなりショックでした。どっちもあっての佐野元春ですから。

だけどこの友人の言葉は大きなヒントになりました。
アルバム「HEART BEAT」制作のときに、「バルセロナの夜」、「グッド・バイブレーション」などのポップ、「彼女」でのバラード、「君を探している」「悲しきレイディオ」などのとんがったロックンロールというように、さまざまな方角に広がる音楽性をどれかにしぼるのではなく、佐野元春という裾野の広い山と考えて、その頂きにくる曲をシングルカットすればいいのではと閃きました。

遠くから見たときに見える佐野元春という山の頂上にあるものが、彼の持つ音楽のすべての要素とつながっていれば、いろんな音楽性を持ってることが魅力に感じてもらえるはずだと。

そのことをふまえて制作されたのが「ガラスのジェネレーション」でした。
佐野君がベーシックに考えていた骨格に僕がアイデアを出し色付けし、それにインスパイアされた佐野君がまたさらに広げて行く、まさに二人の共同作業でした。
残念ながら僕らの願い通りのヒットとはなりませんでしたが、当時出演していた新宿ルイードのお客さんが目に見えて増えたのはほんとにうれしいことでした。



コメントどうもありがとうございました。
コメントを下さったかた以外のかたにも共有していただけたならば幸いです。

またしてもノリ過ぎて、「語り出したら止まらナイト」に。みなさんからのすべてのコメントに答えることができませんでした。
明後日はいよいよ武蔵小山アゲイン「話し出したら止まらナイト」です。台本の整理に追われて、「サンデー銀次」はお休みするかもしれませんが、そのときはなにとぞあしからずです。

これからも「サンデー銀次」よろしくご愛読お願いします。