昨夜の芦屋レフトアローンでのSUNDAYS ライヴ、いやが王でも長嶋でも盛り上がりました。
ジュリー部のかたたちがいらっしゃるというので、ライヴのうーんと最後の方で、突然「おまえにチェックイン」を歌わせていただきました。いかがだったでしょうか?
もちろんジュリーの魅力には足下にもおよばなかったと思いますが、せめて「シュリー」ぐらいにはなっていたと思います。楽しんでいただけてたら幸いです。

なんとジュリー部のみなさんだけじゃなく、会場中がもう、一億総「チュルルルチュッチュチューラー」状態になり、ものすごい熱気でした。
ライヴハウスなのに、「アリーナ!」とか「三階!」とかを煽るパフォーマンスは、ユースケ・サンタマリアから学んだものです。

この日僕が歌ったのは

・すてきなダンス(I'm Happy Just To Dance With You) ビートルズのカバー
・When I'm Sixty-Four  ビートルズのカバー
・Bye Bye C-Boy    佐野元春のカバー:村主くんからのリクエスト
・Baby Blue
・幸せにさよなら
・While My Guitar Gently Weeps  ビートルズのカバー
・おまえにチェックイン  

でした。


サンデーズは、こないだレコーディングをしたせいか、一段とうまくなっていたのには驚き。
さらにいつもフロント・アクトをつとめてくださるシグネッツの佐野元春カバーがすごくよかった。
光安さん、これお世辞じゃなくて、声と曲がよく合っていましたよ。
あっ、光安さんとは、僕と内田樹さんをひきあわせてくださった美容師さんです。
くわしくは週刊銀次・ARCHIVE 2010年7月11日号に出ているのでそちらを。

リハのときサンデーズのギタリスト小林君が、銀次さん明日はサプライズありですからなんていっていたので、何かと思ったら、なんとジプシー・ブラッドのキーボード奏者、宮口ジョージさんがゲストだった。驚いたのなんの。なにせほぼ40年ぶりぐらいに再会だったから。

7月16日号 「彼女はデリケート 後編」で、ALWAYSのオルガンの羽岡君のことを紹介したとき、僕がジプシー・ブラッドの名前を出したことを、小林君がめざとくチェックしていたのだ。
交遊があったジョージさんにわざわざ連絡をとってくれて今回のゲスト参加が実現したのである。
こないだの佐野君のライヴでのダディさんとの再会を演出してくれた西本明君といい、今回の小林君といい、若い衆の粋なはからいには感謝している。

宮口さんとは「While my Gently Weeps」でセッションした。ジプシー・ブラッド時代はハモンド・オルガンの名手だったが、昨日は初めてピアノ・プレイを聞かせてもらった。力強かった。
おもわず僕もひっぱられて強熱のギタリストと化し、ここは誰?私はどこ?めらめらぼうぼう燃えてしまった。ひさびさに我を忘れたセッションらしいセッションだった。




中央が宮口ジョージさん。左端がドラムスの司さんである。


司(つかさ)さんはジプシー・ブラッドを結成する前、同じく神戸をホームグラウンドとするヘルプフル・ソウルというバンドをやっていた。横浜のパワーハウスと共に日本のブルース・ロック・バンドのはしりだった。
因縁というのはほんとに不思議なもので、そのヘルプフル・ソウルの初代ギタリストが、なんと芦屋レフトアローンのオーナーだったりして。

しかも上の写真の一番右端はジプシー・ブラッドのギタリスト&ヴォーカル、速見清司さん。速見さんといえば、僕が関わる以前の沢田研二バンド、井上堯之バンドのギタリストであった。
なんたる縁。なんたる偶然。そんなジプシー・ブラッドが再結成をしていたのでYouTubeを探したら、あったあった。げっ、な、なんと、再結成のドラマーはゆかりじゃないか!





おまけにもうひとりのギタリストは永井充男君、通称ヒョコ坊。バックスバニーなどでおなじみのギタリスト。実はごまのはえ以前の僕と、村八分に入る前のゆかりとで組んでいたグラス・ブレインというバンドの初代メンバーがヒョコ坊だった。ほんとに短い間だったけれどね。

たった1日のSundaysとのライヴのおかげで、いきなり蘇るめくるめくロック・ファミリー・ツリー。
凄すぎてめまいがしてくるほどだ。スタジオに閉じこもってプロデュースにあけくれていたあの年月はいったいなんだったのか?
やっぱり事件は会議室で起きてるんじゃなくて現場で起きてるんだ。青島刑事は正しかった。
いまキテル。