まさかこんな展開が待っているとは... 。
佐野君への沢田研二さんからの曲依頼のまさにその翌日、当時の沢田さんのディレクターだった木崎賢治さんからの電話。いきなり、丸々1枚沢田研二さんのアルバムのアレンジをお願いしたいとのサプライズ。
えっ、ほんとに僕でいいのかなとすぐに思った。メジャー中のメジャー、ジュリーのアルバムを僕のアレンジで?
何かのまちがいではないのかと思ったが、うれしいことにまちがいではなかった。

初めての打ち合わせ。木崎さんと、当時沢田さんのプロデュースをなさっていた加瀬邦彦さんのお二人と会うことになった。会った場所がどこのお店でだったか、渡辺プロダクションでだったか、今となっては記憶が定かではない、たぶんどこかの喫茶店かレストランだったように思う。
なのに、まるでアルバムに保存してある1枚の写真のように、加瀬邦彦さんと挨拶を交わしたときのシーンだけは今でもはっきりと頭の中に残っているのである。

加瀬さんといえば、かまやつひろしさんと共に、僕が高校時代に大尊敬していたソングライター。まだ歌謡曲の時代に、「想い出の渚」などのアメリカン・ポップスの匂いのする作品を数多く発表されてきたパイオニアのお一人だ。特にまだ加瀬さんが、寺内タケシさんのブルージーンズに在籍中だったときに書かれた「ユア・ベイビー」を聞いたときの新鮮さが忘れられない。その加瀬さんとお仕事ができる。えーっ嘘だろう。
でも自己紹介、ご挨拶が終わって、いよいよニューアルバムの内容についての話しが始まってくると、憧れモードがだんだんと姿を隠し、プロフェッショナル・モードが立ち上がってきた。





その頃ちょうどエルヴィス・コステロやポリスなどの、ニューウェイヴ・ムーヴメントがイギリスを中心に巻き起こっていた。そのニュー・ウェイヴのシンプルだけどモダンな感覚で、沢田さんのルーツであるGS的なバンドっぽいサウンドをやりたいというのが今度のアルバムのコンセプトだった。タイトルは「G. S. I Love You」。

「酒場でダバダ」を聞いていたから、てっきりAOR路線で行くのかと思っていたら、それをいちはやくニューウェイブに。しかもジュリーの原点のG. S.とシンクロさせるという。さすがだ。80年代の60年代リメイクのトレンドを誰よりも早く感じ取っていたといえるだろう。

G.S.とは「グループサウンズ」の略称。沢田研二さんのキャリアのスタートはもちろん、1960年代中期に日本中を席巻したグループサウンズの中心的存在、ザ・タイガースだった。。このグループサウンズ・ブームが生まれる大きなきっかけは、ビートルズやローリング・ストーンズ、アニマルズなどの60年代ブリティッシュ・ビート。特にザ・タイガースはザ・ローリングストーンズのカバーを得意としていた。



ザ・タイガースも得意としていたナンバー。僕もアマチュア・バンドで演っていた。


高校時代の僕はザ・タイガースをはじめとするすべてのGSを応援していた。彼らはストーンズやビートルズに憧れ、彼らのようなビートの強い新しい音楽をほんとうにやりたいことが伝わってきたからだ。
だけど、まだまだロックの土壌の出来上がっていなかった当時の日本で、ストーンズみたいなことをストレートにやるのには、大衆側に受け皿がなかったので難しいのだろうなと思っていた。

加瀬さんと木崎さんのお話を聞いているうちに、タイムマシーンでもし今あのタイガース時代の沢田さんが現在にやってきて、今のニューウェイヴのバンド・サウンドで、ストレートで荒削りなポップ・ロックをやっているイメージが、しだいにできあがってきた。そしてすでに1曲だけ聞いていた佐野君の「ヴァニティー・ファクトリー」が、僕の頭の中で、ストーンズの「Under My Thumb」のようなサウンドで、鳴り始めていたのだった。


これは後日わかったことだが、木崎さんが今回のコンセプトを形にできるアレンジャーを探していたら、佐野君のディレクターだった小坂洋二さんから、佐野君のアルバム「Back To The Street」を紹介されたらしい。それを聞いて僕に決めてくれたようなのだ。知らないところで「点」が「線」を結んでいたわけだ。

とりあえず「よろしくお願いします」とその日はお二人と別れ、興奮さめやらぬまま自宅に戻ってから佐野君に電話をかけた。うれしい驚きに彼の祝福の言葉のピッチも上がってはずんでいた
何かが起き始めていたのだが、そんな予感を感じる余裕などなく、目の前の大きなプロジェクトに全力をつくすことしか考えることができなかった。


そしていよいよレコーディング初日。僕は少し早めにサウンド・シティ・スタジオに入った。
ところが木崎さんも加瀬さんも来ていらっしゃらなくて、忙しくセッティングするミュージシャンやスタッフの中でただ一人新参者の僕は浮いていた。
なんとなく彼は誰なんだ?光線を浴びながら。気まずい思いでお二人の到着を待ち続けていたのだ。

時間がどんどん立って行くように感じる中、コンソールのある部屋の奥に目をやると、さっきまでは気づかなかったが、なんと、沢田さんが座っておられるではないか。ブルーのドジャーズのジャンパーにジーンズ姿だったのでまったくわからなかった。
こまった。僕を沢田さんに紹介してくれる人がいない。どうしよう。

すると、次の瞬間、自分の中でもう一人の自分が「行け銀次。行ってジュリーにきちんと挨拶してこいよ。」という声がした。嘘でないって ... 。
と、不思議なことに、戸惑う心とは裏腹に、体のほうは勝手にすっくと立ち上がり、沢田さんのほうにスタスタと歩いて行くではないか。そして沢田さんの正面に立つと目と目が合った。

一瞬沢田さんの目に警戒の表情を感じたような気がして心はひるんだが、なんと口が勝手に開いて、
「今日からアレンジをやらせていただく伊藤銀次といいます。どうかよろしくお願いします。」と挨拶をしていた。
そのとき浮かんだ沢田さんの笑顔。

「こちらこそよろしくね。」

まじかに見る沢田さんのやさしい笑顔は、僕のよけいな緊張をすべて溶かして洗い流してくれたのだった。

    つづく