うれしいことに、「サンデー銀次」の読者で、25日の扇町フラットフラミンゴにも来てくださった、KFOさんからさっそくのコメントが届いた。
客入れの間に、お客さん同士の座席の譲り合いなどがあり、それで僕が会場に入ったとき、あのファンのみなさんの一体感があったことなどがよくわかった。
僕のレポを側面からフォローしてくださったナイスなコメントをありがとうございました。

ということで、「I Stand Alone 2011」大阪公演はいよいよ第2部へ。
第2部は、西荻と同じく「One Summer Night」で幕が開き、「恋のリーズン」へと続いた。


「I Stand Alone 2011」ツアーにぜひ新曲を持ってきたかった。なんとなく2、3曲スケッチができたのだが、残念ながら完成までに至らなかった。でも約束したのに何もなしの手ぶらではなあと思っていたので、代わりに幻のCMをみなさんに聞いてもらおうと、その曲の入ったCDを大阪まで持ってきた。これもある意味、みなさんにとっては新曲だからね。

夢一夜~ONアソシエイツ CM WORKS プロデューサーズ・チョイス II/VA (大滝詠一、大貫妙子、南こうせつほか)

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西荻TERRAでのレポで、秘密にしといてくださいと書いたスペシャルな情報と音源とはこのCMソングのことで、タイトルは「No More Lonely Night」。
1985年に僕が作詞編曲して歌った、ファミリーマートのCMソングだった。
詳しくは、「サンデー銀次」 今年の4月2日号 「幻のCMソング」で紹介しているので、そちらを読んでいたいただけると幸いである。

このアルバムは、大瀧詠一さんの「サイダー'73」などを世に送り出してこられた、ONアソシエイツの大森昭男さんがプロデュースされた、数々の名作CMソングがおさめられたもの。
1985年に流れたのは関東エリアだけだったので、大阪のファンのかた達には、まったくもって新曲だったはずだ。


大森さんが手がけられた大瀧さんの「サイダー74」などでは、僕もギタリストとして参加させていただいていたが、1984年に、大貫妙子さんの「サイダー84」で、初めて編曲の仕事をさせていただいた時はうれしかった。大貫さんからアソシエーションの「Windy」みたいな感じのサウンドでとのお願い、得意ジャンルなので、はりきってそんな感じの音にさせていただいた。





いかに新曲とはいえ、「No More Lonely Night」約40秒ほどしかない。ほんとの新曲の代わりになったとは思えない。スマンの涙です。
おっと、ここで扇町での第2部のセットリストを発表しておこう。



☆第2部

10) One Summer Night
11) 恋のリーズン
12) ロックスターの悲劇
13) いちご色の窓
14) 雨のステラ
15) Beautiful Night
16) BEAT CITY
16) チェリー・ナイト
17) 泣きやまないでLOVE AGAIN
18) CONGRATULATIONS


10) から 13)までは西荻TERRAと同じ曲順である。
幻のCMソングをみんなで聴いたあとは、東芝EMI イヤーズのアルバムの秋の再発の話をして、西荻では「シェフのきまぐれおまかせメニュー」だった、「ロックスターの悲劇」を歌い、同じく アルバム「DREAM ARABESQUE」に入っている「いちご色の窓」を歌った。

この頃は極端にイギリス的なロックをかたくなに目指していた。
「いちご色の窓」は、高校生の頃から大好きだったザ・ムーヴの「Beautiful Daughter」 へのオマージュである。





東京では歌えなかったが、「ビューティフル・ナイト」をどうしても2011年も歌いたかった。
2009年のツアーのとき、みなさんからのリクエストが一番多かった曲。
そして、「サンデー銀次」今年の5月27日号 の「ビューティフル・ナイト」 にも書いたように、
この曲のアイデアが生まれたのは、1980年、佐野元春 with ザ・ハートランドの大阪・難波でのライヴに向かうときだったこともある
この曲の誕生の地、大阪でのライヴだから、歌わないわけにはいかないのだ。

西荻では僕の説明不足で、「You, you got the beat, we, we got the beat ...。」という、お客さんとのやり取りが、ちょっとちぐはぐになってしまった「BEAT CITY」。
大阪ではちゃんと説明して始めたので、いやが王でも長島でも盛り上がった。

その日の大阪は気温がとても高かった。「BEAT CITY」のあと、ライヴの最終コーナーの盛り上がりのとっぱしに、ノリがよくて清涼感のある曲をもって来たかった。
2009年の弾き語りツアーでは、もっぱらライヴの1曲目にくることが多かった 「チェリー・ナイト」。これを熱い「BEAT CITY」の次に持ってきた。
熱さと交通渋滞のクラクションとが充満した街を抜け出し、すっと高速に入ってきたときのような、爽快感とスピード感がほしかった。

おもしろいことに、「チェリー・ナイト」は、ウォーの「シスコ・キッド」みたいなリズムの曲を作ろうと思って、いろいろ原曲をいじくっているうちにできた曲だ。
意外かもしれないが、あくまで一番ほしかったのはリズムのノリの感じだけだった。





原曲はパーカッションも交えた複合リズムなので、全体から感じるリズムのメロディを打ち込みのベースに代表させ、コードもメジャー・セブンスに変えて、スタイル・カウンシルみたいな感じを狙ったら、最後に「チェリー・ナイト」が出来上がっていたという次第。





「チェリー・ナイト」でギアを入れ替えたら、ここから本編のフィナーレに突入だ。
西荻では、石田ショーキチ君が参加してくれたので、「泣きやま」も「コングラ」も気持ちにゆとりをもって盛り上がることができたが、大阪は真の I Stand Alone状態。

演奏する人数が増えればおのずと音に厚みが出て、あたりまえのように迫力がでる。
でもギターの弾き語りでは音圧に頼ることはできない。
自分の中に内在するビートのモーターを回し続けることだけで、リアル・グルーヴを作り出して、お客さんをのせるしかないのだ。

ギター1本による弾き語りツアーも3年目。いつも腹をくくって臨んでいるうちに、ガチャガチャ、ゴリゴリした、チカラまかせな弾き方から、ムチがしなるような、柔らかく強靭なノリに変ってきたような気がする。

バンドがいない代わり、お客さん達の手拍子のドラムが僕の心強い相棒。
いっしょにセッションしているような、そんなライヴがたまらなく楽しい。

この日もこの日で、お客さん全員によるクラップが、パワフルに僕を盛り上げてくれた。
おかげで心配だった「コングラ」の間奏も、いっさいの和音楽器がないままなのに、ノリノリで弾き通すことができた。

「コングラ」の、ジャズのフルバンドっぽいエンディングと共に、本編が終了。
アンコールの拍手がすぐにどっと湧いて、いったん楽屋代わりの菜々屋さんに戻ろうかどうしようか躊躇していたら、マスターが、もうアンコールすぐやっちゃいましょうの一声。
業務連絡もお客さんに丸聞こえ状態。どっとみなさんの笑いと大喝采が起こった。

アンコールは西荻とまったく同じだが、いちおう発表しておこう。


アンコール

19) 誰のものでもないBABY
20) Shade Of Summer
21) 涙の理由を
22) 愛をあきらめないで
23) 幸せにさよなら


アンコールはほとんどしゃべらず、ただひたすら曲をしっとりとお届けすることにした。
ライヴハウスを後にして家路につかれるとき、いい余韻を引いていてほしいと思うから。

お忙しい中、僕のライヴに駆けつけてくださったお客さん達、そして扇町フラットフラミンゴのスタッフのみなさん、ほんとにどうもありがとうございました。
菜々屋さん、おでんおいしかったです。そして石田ショーキチ君、DI 貸してくれてありがとう。
みなさんのお蔭で、銀次は思い残すことなく歌いきることができました。

ライヴ終了後、一部のお客さんとマスターとで飲みながら歓談した。
楽しくて最終電車が心配だったが、この日は、中学の同級生、僧侶の村主さん親子、「サンデー銀次」の読者のぶっちゃさんが来てくださっていたので、同じ方面のよしみで、ちゃっかりタクシーに同乗させていただいた。みなさん村主さんのバンド、サンデーズのメンバー。
7月19日の芦屋レフトローンでの彼らのライヴ・パーティーに、また参加させていただくことになっている。
7月19日は僕のリクエストで、ビートルズ時代のジョージ・ハリソンの曲を歌わせてもらう。



この曲歌うよ。「サンデー銀次」の読者、cobaさんのギターとのバトルになりそうな気配だ。


さて続く6月26日は、西宮北口のRJ & BME'Sというライヴハウスでのゲスト出演が待っている。