一昨日の自分のライヴの余韻にひたっているまもなく、昨日は有楽町・東京国際フォーラムでの佐野君のライヴに出かけた。

この「サンデー銀次」を愛読なさっているかたたちならよくご存知のように、本来は3月12日と13日に行われるはずだった彼の30th Anniversaryツアー「All Flowers in Time」の東京ファイナルが、震災のために6月18日と19日に順延されたのだ。おかげで一昨日は僕のライヴと重なるという、一部のファンのかたにはさらなるディザスターにもなった。その東京2日間の最終日、ほんとのファイナルを見に行ってきた。

順番で行くと、僕の西荻ライヴのレポが先にくるはずだったが、書き出す前に頭の中で推敲すると、どう考えても、自分のレポのほうが時間がかかりそうなので、先に昨日の佐野君のライヴ・レポから書くことにした。
実は理由はそれだけではなくて、19日にミラクルな出来事があり、それを温かいうちに皆さんに早く伝えたかった。前置きは短い方がいい。じらさずに早く始めることにしよう。

佐野君の東京ファイナルは、杉真理君や僕も出演させてもらった大阪城ホールのときとはちがって、ゲストは佐橋君だけ。シンプルにホーボー・キング・バンドと佐野君だけでのツアーの締めくくりとなった。それが正しく効果的にツアー・ファイナルらしくてよかった。

日曜のライヴなので開演が16:00と早め、しかも昨日のライヴの疲れもあったのか、遅く起きたので、会場に入ったときにはすでに1曲目の演奏が始まっていた。
席に着くやいなや左の席から挨拶された。おおっ、サエキけんぞう君じゃないか。

進行するにつれ、どうやらセットリストは、デビューからの時系列を追う感じの並びとわかる。
ファンの人たちといっしょに、この30年を振り返ろうという佐野君の気持ちが、よく顕われているのか、「ガラスのジェネレーション」がリリース当時とほとんど変らないアレンジで演奏されたことが、個人的にはちょっとうれしかった。
この曲を佐野君と制作していた頃のことが自然によみがえってきて特別な気持ちでいたら、ぼくの右隣で踊りながら聴いていた女性の手の甲が、やたら目のあたりに上がるのが、僕の視界に入ってしょうがなかった。どうやら彼女も、そのとき彼女の「ガラジェネ」にまつわる特別な気持ちでいたにちがいない。それを感じたら僕まで目頭が熱くなった。

元春が切り開いたヒップでスタイリッシュなビート・ナンバーも相変わらずサエていたが、昨日は圧倒的に「ロックン・ロール・ナイト」と「サムデイ」が素晴らしかった。

ヴォーカルにだけではなく、すべての楽器に歌がありメロディがある。彼の音楽の大きな特徴は、すべての曲のパーツに彼のイズムが込められていることだろう。
その作り込みの行程に参加していなければわからないかも知れないが、頑迷なまでに手間ひまをかけ、試行錯誤を繰り返し、決して効率を優先せず、魂がきちんと吹き込まれるまで、手の中から作品を離さなかった、コンポーザーとしての執念が、いまだにこの2曲の奥で、種火となって燃え続けている。

「サムデイ」のとき、右隣の彼女の両手は、「ガラジェネ」を遥かに超える頻度で、忙しく顔へと交互に移動を繰り返していた。いかん、それを視界に感じとった僕の涙腺がまたも反応し始めた。左隣のサエキ君にさとられないように眠たげに目をこするふりをした。


この日の元春は大阪城のときのような、燃え上がるような元春とはまたひとあじちがっていた。
職人がその仕事の最後の仕上げをするときのような、はりつめた中にもある種の落ち着きがあった。

30年間の荷物を、全部ゆっくりと一つずつおろしていくような、そして1つおいていくごとに身軽になっていくような、すきとおるような落ち着き。
思いのほか彼の心はとてもフラットなところに立っていたのではないだろうか。
長くもあり短くもある、30年というGood Times & Bad Times。
締めくくりにふさわしい見事な振る舞いだった。


終了後、サエキ君と楽屋へ。放送関係や評論家のかたたち、顔なじみの人たち、そして懐かしいひとたちがファイナルを祝うために集まってくださっていた。そして懐かしい戦友達、ハートランドの里村君や西本明君ともひさしぶりだ。
明、ひさしぶりだねって挨拶すると、明君が横にいた小柄な人を指して、銀次さん、柴田さんですよって... 。柴田さん? 柴田さんって、ダディ? えっ、ダディさんじゃない。あーっ、ほんとにダディさんだよー。


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ダディさんとは、泣く子も黙る、ハートランドのサックス奏者、ダディ柴田さんのことだ。
2010年5月23日号の「週刊銀次」アーカイヴで、ダディさんの「四国玉子うどん事件」のことを書いて以来、ときどきダディさんが「サンデー銀次」に登場していた。ダディさんとは連絡がとれない状態で、どうしているのかずっと気がかりでいた。そのダディさんが西本明君の粋なはからいで、佐野君の30周年のお祝いに駆けつけてくれたのだった。

その「四国玉子うどん事件」のことを話したらダディさんはちゃんと覚えていた。お店の名前も「百万石」で、あれは高知での出来事だったようだ。
ダディさんと最後に会ったのは1997年。僕がプロデュースした、米倉一也君というアーティストの「ルナティック・ブルー」というアルバムで、何曲か吹いてもらって以来だから、もう10年以上ぶり。
昔と変わらない少年のような眼差しに驚いた。短い時間だったが、ハートランド時代の積もる懐かしい話にひとしきり盛り上がった。

佐野君はダディさんが来ていることをまったく知らなかった。
楽屋に訪れた人たち、一人一人の方達との応対の最後に、ようやく二人は向かい合い握手を交わすことになった。
この瞬間がこの日の、予期せぬもうひとつのアンコールだった。
ダディさんと向き合ったとき、佐野君の目から光るものが流れ落ちていた。
言葉にならない何かがそこに行き交っていたのだ。
それを感じた僕はまた眠い目をこするふりをしようとしたが、今度はそれではすまなかった。

ここから何が始まるのかは誰にもわからない。それぞれの30年がこの楽屋でほんの一瞬出会っていた、ただそれだけのことかも知れない。でもきっと、それぞれの人生が、またここで交差したことに何か意味があるのだと僕は信じたい。
もしもこのまま共に歩むことがあってもなくても、それはたいしたことではない。
それよりもこのタイミングで、互いの無事と元気な姿を確かめ合えたことがなによりだった。
互いの元気はまた互いを元気にする。
それぞれの明日への一歩がこれでチカラ強く踏み出せるはずなのだ。
ダディさんはとても若々しくさわやかな顔をしていた。