現在活動休止中のウルフルズのベーシスト、ジョン・B・チョッパーは、いまジョン・B & ザ・ドーナッツ名義でソロ活動をしている。なんとベースをほとんど弾かずヴォーカルに専念しているようだ。ちょっと前に、彼から1stアルバムの「DONUTS !」が送られてきたので聞いてみた。
ウルフルズのように燃え上がるような熱さや激しさはないが、押しつけがましくない彼の詞が、柔らかな彼の歌にのって、じわっと来る心地よさだ。さりげなくフォーキーで、スマッシュ・パンプキンズのギタリストだった、ジェイムス・イハのアルバムを思い出してしまった。



なんとなくルックスのファンシーな佇まいも似ているような気がする。


あいにくジョンBの曲はYouTubeには上がっていなかった。
ジョン・B & ザ・ドーナッツの「DONUTS !」に興味のあるかたはこちらまで。視聴できます。

http://www.john-b.jp/item/music/

2009年の「I Stand Alone」ツアーが始まってまのない2月22日、神戸・三宮「チキンジョージ」にゲストで来てくれた。そのとき彼はベースを弾きながら何曲か歌ってくれ、僕がアコギとコーラスでバックをつけさせてもらった。
彼は細野晴臣さんの大ファンなのである。細野さんのアイテムはけっこう持っているし、情報にもとても詳しい。意外にみえて、彼のキャラには合っている。うれしい驚きだった。

チキンジョージでも細野さんの「恋は桃色」と「チューチュー・ガタゴト」の2曲を演奏した。
どちらも2008年にキーボードの伊東ミキオ君とドラムスの上原ユカリ裕君とジョンBと僕で組んでいた「John B's Blues Hearts Club Band」のレパートリーであったが、二人だけで演奏するのはこのときが初めてだった。

「choo-chooガタゴト」には個人的に思い出がある。
1974年11月6日、新宿厚生年金小ホールでの「小坂忠・細野晴臣/再会・そして出発」というコンサートに、おりから「バンドワゴン」のレコーディングのために渡米中だった鈴木茂君の代わりに、ギタリストとして僕が参加させていただいた。
このライヴは小坂忠さんがヴォーカルをとっていたが、1曲だけ細野さんが「choo-chooガタゴト」を歌う予定になっていた。それが突然リハーサルのときに「銀次、歌って。」と、細野さんが僕に歌をふってきたのである。結果なぜだかわからないまま僕が歌わせていただくことになった。





近年すっかりそのことが忘却の彼方に飛び去っていたのだが、さる筋から入手したこのライヴの海賊盤CDで再び時を超えて、この時のライヴを聞くことができた。緊張のあまりだろうか、歌詞がすっとんでるところがあったりするが、やけにはりきっている自分に出会えた。
ジョン・Bとの「choo-chooガタゴト」は、この時のヴァージョンを元にして演奏した。

いつからジョンBはこんなに声が響いて通るようになったんだろう? チキンジョージのライヴのとき、そう感じていた。
彼は慎重な性格だから歩みは遅いかも知れないが、確実にジョンBならではの歌の世界を作ってくれることだろう。その詞や文章の世界も含めて期待している。





同じ日に、G.A.P.というバンドも出てくれた。このG.A.P.のリード・ヴォーカルがシンモ君。杉君や松尾君などとも交遊のあるミュージシャンだ。リッケンバッカー・フリーク、もちろんビートルズ好き。
神戸チキンジョージで演るときは決まってシンモ君にゲストに来てもらう。

「A Hard Day's Night」や 「Eight Days A Week」、「If I Fell」などをいっしょにカバーしたが、二人とも音域的にジョンだったので、僕がポールの高さを歌わなければならなくて、青筋銀次にならざるを得ず、最後は裏声に逃げるしかなかった。

1983年に伊藤さやかさんのために「ブロークン・ジェネレーション」という曲を書いたのだが、
なんとシンモ君は、高校生のときこの「ブロークン・ジェネレーション」が大好きだったという。
おもしろいね。どこがどうつながってんだか。そんな話を聞いたら浪花のビート芸能人としては黙っていられない。それならいっしょに歌おうということになった。原作者の僕がこの曲を歌ったのは、後にも先にも、このチキンジョージ1回こっきりのことだった。






シンモ君はほんとに顔が広い。「I Stand Alone 2009」の広島公演のとき、彼の計らいで、郷里の広島で活動している、レイニーウッドのキーボード奏者、上綱克彦さんともセッションをすることができた。シンモ君も交えてビートルズの「Get Back」、そしてもう1曲はもちろん「Weeping In The Rain」だ。



イントロの上綱さんのピアノがキャッチー。ギターがデイヴ・メイソンっぽく泣いている。


上綱さんと会うのは初めてではなかった。なんと柳ジョージとレイニーウッドと同じ事務所だったことがあり、30年ぶりの再会であった。とりもってくれたシンモ君、ありがとう。
君はいつも元気で、陽気に場を盛り上げてくれる。またいっしょに歌おうぜ。



そして黒沢秀樹君。いまやuncle-jamのよき相棒の彼と僕が出会ったのは意外と近年、2005年のことだった。

その年の11月に、原宿/Blue Jay Wayで、「ようこそ夢街名曲堂へ!」のスペシャル公開録音が開かれた。ゲストが豪華で、村松邦男君、杉真理君、そして黒沢君と僕。
最後のセッション・コーナーで司会の片岡知子も入ってもらって、全員で歌ったママス&パパスの「マンデーマンデー」が壮観だったことはよく覚えているが、そのときは運命の神が微笑まず、黒沢君と親睦を深めるにはいたらなかった。

その2年後、僕のソロ・デビュー30周年を記念して、"Baby Blue 2007"というツアーをやることになった。その京都公演に黒沢君がゲストというのはいかがでしょうと、ツアーを仕切ってくれたモーメントの寺澤君から提案があった。ここで運命の神がちょっと顔を出したわけだ。
Blue Jay Wayの時にはゲストが多くて話す機会があまりなかった。L⇔Rは好きなグループだったので、ぜひ喜んでと参加をお願いした。

さていっしょに何かカバーを演ろうかとなって、黒沢君のほうから、デイヴ・クラーク・ファイヴの「Because」を演りましょうよ。それも「雨のステラ」と2曲続けて ... 。



全員がリップシンクで歌っているのでまぎらわしいですが、リード・ヴォーカルはキーボードのマイク・スミスです。そしてドラムスがリーダーのデイヴ・クラークです。


僕から彼にプレゼントした「Baby Blue 2007」ツアーのDVD・パンフレットの中で、僕は「雨のステラ」のメイキングを解説している。「Because」の、G - Gaug - G6 - G7 というコード展開からちょっとヒネって、G - Gaug - Cmaj7 - Cm7のコード展開にしたという種明かしが、黒沢君にはとても興味深かったようで、このメイキングをライヴでそのまま演りましょうよというのだった。
うむ、目のつけどころが面白い人だなとおもった。しかもそのポイントは僕にも似たところがある。


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The 30th Anniversary Tour Baby Blue 2007 Tour Booklet DVD


夢街が「ホップ」、Baby Blue 2007での共演が「ステップ」だとしたら、uncle-jamにたどり着くための「ジャンプ」となった出来事は、再発されることになった僕のポリスター時代のアルバムのリマスターの作業をしているさなかに起こった。黒沢君が出てくれた京都公演は、なんと7月7日七夕だったから、それから約1ケ月後の8月のことだった。

どこでも「話し出したら止まらナイト」の僕は、1曲1曲マスタリングされていくあいだも、あの時はこうだったとか、この時はパブロックにはまっていたとか、この日も止まらかった。すると、再発を進行してくれていた土橋一夫さんの一言が僕の脳天に突き刺さった。

「黒沢秀樹君って、パブロックが大好きなのごぞんじでしたか?」

意外だった。僕にはL⇔Rは、XTCのようなイギリス寄りのバンドに見えていたからね。
その一言がすべてだった。さっそく黒沢君に電話をして、まずはパブロックのコピーバンドで遊ぼうという所から始まった。「秀樹・銀次のパブロック天国」である。

それでもucle-jam結成まで3年。このジャンプは、実に長くて大きなジャンプだったわけだ。