一昨日、うちの近所の駅の近くの楽器屋さんでアコギ弦を買った。今週末28日に上野でライヴがあるのでそれ用に。
ついでのついでに、同じビルの中の書店で立ち読み。ついつい角川文庫の前に立ち、銀色夏生さんの本を物色していた。何冊もある詩集やエッセイ集を立ち読みしていたら、「銀色ナイフ」のあとがきに目が止まった。


銀色ナイフ (角川文庫)/銀色 夏生

¥660
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日常生活で、怒ったり笑ったり泣いたりしていても、それが痛くもかゆくもないもうひとりの自分が、ちょっと離れたところからそういう自分を眺めているのを感じる。
まるで人生ゲームのゲームのコマのように自分のことをみている自分がいるみたいなことが書いてあった。
当事者でありながらそれを見ている自分がいる。誰にもそういうときは少なからずないとはいえないが、ずっとというわけではないだろう。
感情というやっかいなものにいつも寄り切られて、いろんなことが見えないまま暮らしていたりするものだ。

僕がスマナサーラさんの本で気づいたようなことが、すでに「STARDUST SYMPHONY」の頃、20代で銀色さんはわかっていたのかもしれない。このあとがきを読んでいたら、なんとなく彼女の冷静なのに温かい、幼女のようで仙人のような目線の詞がどんなところから生まれてくるのかわかったような気がした。

その日はそのまま棚に戻して帰って来たが、昨日髪の毛を切りに行った帰り、駅で降りてからやっぱり気になり、同じ書店に寄って買ってしまった。
僕は基本的に立ち読みが嫌いである。たった2ページだけど、このあとがきだけのために買ってもいいと思った。もちろんおもしろいのはあとがきだけではなかったけれど。
くわしくは自分で確かめてください。おちついた物言いなのに、とても元気にさせてくれる文章だから。

1983年の僕のアルバム、「スターダスト・シンフォニー」で銀色夏生さんが詞を書いてくださったのは次の4曲だ。

01) ハートブレイク片手にダンスに夢中
02) トワイライト・ シンフォニー
03) 泣きやまないで、LOVE AGAIN
04) ワン・サマー・ナイト

1983年は銀色夏生さんが作詞家としてはなばなしく世に出た年である。
「スターダスト・シンフォニー」が1983年4月25日、沢田研二さんの「晴れのちBLUE BOY」が1983年5月10日、大沢誉志幸君の「まずいリズムでベルが鳴る」が83年6月と立て続けに
リリースされて、あっというまに人気作詞家として頭角をあらわした。



この曲もどことなくアダムアントっぽいね。


銀色さんの貴重なデビューのタイミングに遭遇できたのはほんとにラッキーだった。
たった4曲だけどどれも僕にとって大切な曲で、ファンのみなさんにも人気の曲ばかりだ。
なのに、この中で1曲、ずっと冷たい仕打ちにしていた曲がある。「ワン・サマー・ナイト」だ。

別にどの曲がかわいいとか依怙贔屓などするわけはないが、どうしても1枚のアルバムを作っていると、各曲へのチカラの入れようや思い入れに自然にバラツキが出てくる。

この当時の僕はもっぱらサウンド志向だったので、好きな曲というとアレンジが思い通りに、または思った以上にかっこよくなった曲にかぎられていた。
その点、この4曲の中で01)、02) 、03)は満足度が高かったが、 「ワン・サマー・ナイト」は、思ったより少し重たい仕上がりのサウンドになってしまったのが、自分としては納得がいかなくて、思い入れられなかった。レコ発のライヴで一度演ったきりでそれ以降は一回も演奏しなかったと思う。ほんとに不憫なことをした。ごめんね、ワン・サマー・ナイト。

この曲のよさがほんとにわかったのは、発表から26年も立った、2009年の「I Stand Alone」ツアーだった。ツアーのプロデューサーだった、モーメントの寺澤君からこの曲のリクエストがあり、ギター1本で歌ってみたら、自分で言うのも何だが、すごくいい曲だった。メロディーの持つぽつんとした寂寥感を、言葉がくっきりと縁取って、歌っていてもひたひたと来るものがあったのだ。

特にサビの最後のたたみかけるようなメロディにつけられた、「気持ちが近くにあれば黙ったまま夜になれたのに」 と 「近づけない距離を僕たちは回り続けてた」の言葉のメロへのフィット感はすごい。
やっと曲のよさに気づいて、アコギ1本での弾き語りCDの「I Stand Alone vol.4」に収録した。


$伊藤銀次 オフィシャルブログ 「SUNDAY GINJI」 Powered by Ameba

GINJI ITO 「I STAND ALONE Vol.4」

m1 Sugar Boy Blues
m2 こぬか雨
m3 いつでもここにいる
m4 ワン・サマー・ナイト
m5 星を見上げて



今ではすっかりお気に入り曲になった「ワン・サマー・ナイト」。6月18日の西荻TERRA、そして6月25日の大阪フラットフラミンゴでも歌うつもりだ。そうだ、いっそのことこの4曲とも歌おうかな?
「サンデー銀次」とのライヴの連動企画、銀色夏生特集というのもいいね。

プロデューサーの木崎さんのキャラクターで、レコーディングはいつもクラブ活動みたいな自由さがあって楽しかった。そこに銀色さんが参加したもんだから、僕も影響されて、高校生の音楽部員みたいな気分だった。
その頃、とても刺激を受けたリチャード・バックの「イリュージョン」の話をしたり、たぶんミックス・ダウンの時だと思うが、テレビの映画劇場でやっていた映画「オー・ゴッド」をみんなで見て、めちゃくちゃ感動してそのことで語り合ったことなど、今でも楽しく思い出す。

「オー・ゴッド」、もう一度見たいね。神様がおじいさんの姿になって地上に現れる話。ジョン・デンヴァーが神様に選ばれる男の役で出てた。くわしいストーリーはもう忘れたけれど、見終わった後の幸せ感は最高だった。とてもきどらない下町感覚の神様だったけど、いちいち語ることがジンときた。。





銀色さんはほんとにきっぱりした人だった。まだ携帯がない頃、スタジオの電話で銀色さんが珍しく声を荒げてたことがあった。「わたし、それだったら、もういいです。」
どうやら依頼された別の作詞の仕事で書き直しをさせられているようで、その相手の注文に納得がいかないらしく、彼女はもういいと逆に仕事を断っていたようだった。
普通はひとつでも仕事を逃したくないもので、納得がいかなくてもしょうがなく先方の言う通りに書き直そうとするのだが、彼女の場合はちがっていた。きちんと自分を主張する人だった。

僕の「ビューティフル・ナイト」という曲も実は銀色さんにお願いして書いてもらうはずだった。
1960年代の終わり頃にドロップアウトした僕が体験したことや出会った友達のことなどを歌にしたかった。たぶん佐野君の「ロックン・ロール・ナイト」やケルアックの「路上」に刺激されたのだと思う。
その思いを銀色さんに一生懸命伝えようと話したが「わたし女の子だからよくわかんない。銀次さんが書けば?」の、けんもほろろな一言で終わってしまった。

そのことで銀色さんのことをいまさら責めているのではない。
そのときは確かにちょっとだけ水くさい人だなと思ったが、それは単なる僕の甘えで、とても個人的な思いはやっぱり自分で書くべきものだったということがよくわかった出来事だった。おかげであの「ビューティフル・ナイト」を、自分の詞で作品にすることができたのだから、みしろ感謝しているくらいだ。

自分ではとても個人的な思い出の重い歌だと思っていたが、I Stand Alone ツアーを始めるにあたり、ファンのみなさんからリクエストを募ったら、なんと一番人気だった。わからないものだ。

銀色さんは自分の中に見えないものをけっして書こうとはしなかった。
そのことは彼女がまぎれもないアーティストだということを如実に物語っている。

              つづく