ひさびさにやってきた新大久保。噂にたがわぬ異国情緒だ。土曜だからなのか夕方だというのに駅の改札を出た大久保通りはすごい人だかりだ。これは何が目当てのひとだかりなのか?すべて韓流めあてならば驚きだ。
グローブ座に向かう途中にも日本語ではない看板が目に入ってきて、あきらかに日本語じゃない言葉が耳に飛び込んでくる。
1996年コレクターズの「マイティーブロウ」をプロデュースしたときに、新大久保のフリーダム・スタジオに通ったときもすでに国際化は始まっていたが、それよりもはるかに日本ではなくなっている。
とっさにまるで国際都市マカオに着いたような気分になった。
そういえば坪井ノリオさんの唄の中に「金太マカオに着く」というのがあったが、「銀次マカオに着く」ではなんのシャレにならない。しかも僕はマカオに行ったことがない。おまけに岡林さんの開演時間も過ぎているではないか。銀次よ急げ。

何日か前に岡林信康さんご本人からライヴの招待状が送られてきた。数年前に毎日コミュニケーションズの「Digital Audio Fan」という雑誌で岡林さんのアルバム特集をしたら、岡林さんと対談が実現し、ひさびさに再会、それから東京でライヴがある際には関係者を通してライヴにお誘いがあったが、ご本人から直接招待状が送られて来たのは初めてである。
しかも、何の文面もなしに、いきなり招待と書かれた座席指定券が1枚。問答無用である。これは選択の余地がない。岡林さんの無言の何かを感じて、さっそくファックスを京都の亀岡にあるお家に送り、喜んで参加させていただきますとお返事をさせていただいた。岡林さんは携帯もお持ちじゃないし、メールもなさっていないからね。

東京グローブ座での公演は2日間、5月21日がロック・デイ、22日はエンヤトット・デイである。
僕に送られて来たのはロック・デイのチケット。
家を出るまえにちょこっと「サンデー銀次」を書いていこうとしたのがたたって、会場に入り席に着いた時にはもうコンサートは始まっていた。開演が早くて17:00からなのだ。

もう何年もかたくなにロック・バンドで演ることを拒んできた岡林さんがここ2、3年のあいだにエンヤトットに加えて再びロック・バンド編成で歌い始めた。岡林さんがロックでというとおおかたのひとがはっぴいえんどとのあのサウンドを思い浮かべるだろうが、今の岡林さんのロック・バンド編成でのサウンドは、ディランの「ナッシュヴィル・スカイライン」の感じに近いカントリー・ロック・サウンド。ギターが徳武君だからというのがその大きな理由かも知れない。

岡林さんというといまだにプロテスト・ソングというイメージを思い描く人がいるようだが、それは彼のキャリアのほんの最初の頃だけの話。彼はこの40年間、止むことなくその時代その時代の息吹をとり込みつつ模索を続け、やがてエンヤトットにたどりつき、その追求に20年の歳月を費やしていることを多くの人はご存じない。
いまやそのエンヤトットさえも超越して「何をやっても岡林信康」の境地にたどりついた感すらあるというのに ... 。
ラッキーにも僕は色眼鏡なしに彼の音楽を聞くことができた。僕は岡林さんのラブソングが大好きだ。
彼が実はとてもポップなソングライターだということに気づいていない人が多いのは悲しい。
この日もこの曲が聞けたのはうれしかった。





岡林さんはさらにそのMCがすばらしくおもしろい。
ちょっと自虐的で苦みのあるユーモアだがその話術はもう名人芸の領域にある。
このMCばかりはライヴに行ってみないと経験できないのである。
この日は歌わなかったが、「モンゴル草原」という歌があって、それを歌う前の朝青龍がらみのエピソードが僕は個人的にツボに入った。

バンドのメンバーは徳武弘文さん(EG)、六川正彦さん(B)、平野融さん(AG&Mandlin)と、前回と同じかなと思ってみていたら、なんかドラムの音の感じがちがう。前回のロック・ユニットでは浜口茂外也君さんがドラムだったが、スネアやキックの感じがちがうのである。ちょうど僕ら招待者の席は上手側のはしっこのほうで、顔が見えにくいので、少し身を前に乗り出して確認したら、なんとルースターズの池畑さんではないか。ガビーン。まったく想像すらもできない組み合わせだ。岡林さんと池畑さん。
そこで体験できたのは、今までみたことのない池畑さんのいぶし銀のようなプレイだった。
抑制のきいたドラミングが岡林さんの唄をかぎりなく引き立てていくのである。
すごい。池畑さんやりますね。実にありがたいものを見せていただきました。多謝。


池畑さんは昔から大好きなドラマーだったが、なかなかごいっしょするチャンスがなかった。
それがラッキーにもトータス松本君のシングル・カップリング曲「マスタング・サリー」のレコーディングで叩いてもらえたことがあった。その素晴らしいシャープなプレイを目の当たりにできたときはほんとに感激だったね。そのセットのまたシンプルで年期が入っていたこと。





翌日も岡林さんはライヴがあるのと僕はこれから「移動銀次」となって中目黒まで行かなきゃならなかったので、楽屋には顔を出さず、会場を後にすることにした。ほんとは岡林さんに会ってひとことふたことでも声をかけたかった。僕の大好きな「マンハッタン」演ってくれてありがとうございますと。
また後日お礼のファックスを送っておこう。

場内が明るくなり席を立つと、ちょうど斜め前に座っておられた加藤和也さんが挨拶をしてくださった。覚えていてくださってうれしい。
昨年4月25日放送のNHKFM「サウンドミュージアム」の岡林信康特集で、僕が聞き手を務めさせていただいたことがあった。ちょうど「レクイエム~我が心の美空ひばり~」という、岡林さんが美空ひばりさんの名曲の数々をカバーしたアルバムを発表したときで、そのレコ発のライヴで、加藤さんにわざわざお礼のご挨拶をいただいたのだ。「マネーの虎」のイメージがあったのでこわい人という先入観をもっていたら、とても人懐っこい茶目っ気のあるかたで驚いた。きっと僕もイカ天に出てたときはすんごくコワイひとだと思われてたんだろうな。


レクイエム~我が心の美空ひばり~/岡林信康

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同じく会場で漫画家の浦沢直樹さんとお会いして少しお話をすることができた。前にも岡林さんのライヴにいらっしゃっていた。一対一でお話しできるのは初めて。ジョージ・ハリソンのファンでしたよねと聞いたら「それは本君です。」と言われた。そうだ、浦沢さんはディランのファンだった。アレレ感が充満した頭で「どちらにせよ、バングラデシュつながりですね。」なんて、そうとう変なことを言ってしまった。もう少しお話がしたかったが、そこで浦沢さんのファンのかたが話しかけてこられたので、そのまま失礼した。変な人だと思われてなければいいが、変な人であることはまちがいないからしょうがないか。


次なる移動先は中目黒のfj's。このお店は深町純さんが作られたお店なので頭文字をとってこの名前になっているという。残念ながら深町さんは昨年亡くなられた。ご冥福を祈ります。

この日のライヴは黒沢君が、昔からの音楽仲間、斎藤慶一君とリョータ・ニーソ君のお誘いを受けてのもの。あらかじめ黒沢君の出番はトリの3番目で20:00くらいからだと聞いていたから、今回は2010年12月26日号「寒い国から来た銀次」や12月9日号の「TWOWHERE MAN」のときのように、西村京太郎トラベルミステリー状態にはならずに余裕のよっちゃんで移動できてよかった。

前日武蔵小山に来てくれた久保田洋司君が今日も黒沢君のライヴを見にきていた。ミサキ・コネクションは結束が固いね。しばし3人で話した。そのうち時間が来ていよいよ彼の出番。
黒沢君単独のライヴをこうして客席で見るのはほんとにひさしぶりのこと。なんだか自分のライヴよりドキドキする。黒沢君には悪いが、なんだか父兄参観日に来た親のような気持ちだ。でもそんなことはまったくの無駄な杞憂だった。いよいよ歌が始まったとたん、いつのまにこんなに力強い歌い方ができるようになったのかと驚いた。440で彼がバンドといっしょにライヴを演ったのを始めて聞いたとき、いい声してるな、もう少し力強さがあったらもっといいのにと思ったことを思い出していた。
堂々たるワンマン・ライヴだった。声に張りが出てきていた。
僕もuncle-jamの活動を始めて、自分の中に得るものがいっぱいあったように、黒沢君の中にも何か化学反応があってこのライヴになっていたのなら実に素晴らしいことだしうれしいことだ。

どんどん歌って行ってほしいね。歌はスポーツと同じ。歌えば歌うほど歌のスタミナがついてくるというもの。そうすると自然またもっと楽しくなるからね。僕もがんばるけん。
これからもお互い刺激しあってさらに成長して行こう。なにしろ、黒沢シゲキっていうくらいだから ... 。

打ち上げに参加しようか迷ったが、きっと黒沢君は斎藤慶一君とリョータ・ニーソ君との積もる話があるだろうから、ここはお邪魔せずにおいとまさせていただいた。また来週からuncle-jamよろしくね。