昨日告知したように、ムーン・マーティンの特集です。

付和 雷蔵さんがおっしゃっていた「Aces With You」の入っていたアルバムとは「Mystery Ticket」、彼の4枚目ですね。
アルバム全体はロバート・パーマーとの共同プロデュースですが、この名曲「Aces With You」だけアンドリュー・ゴールドのプロデュース作品。どちらかというとマーチンの作品でこのタッチの曲はほぼこれだけなのが残念なところです。ムーン・マーティンの僕の個人的なベストはこの曲です。



「Baby Blue」と同じ1982年リリースなのです。


実はすでに「サンデー銀次」今年の2月17日号「ありがとう!お返事です。#30 前編」で、この曲を取り上げていたのをご存知だったでしょうか?

もっとこういう曲が多くてもよかったのにと当時思いましたが、彼はもっとロック寄りの指向性の強い人で、この曲はむしろ番外編みたいなもの、それが一番名曲ってちょっと切ないエピソードですね。
それまでの3枚のアルバムはギター・ポップ系の路線。いまいちセールスが上がらなかったので、このアルバムではセールスを上げるために、シンセサイザー系の音作りで売れ線感を出そうとしたり、プロデュースにロバート・パーマーを起用。そのわりには結局いいセールスにつながらなかったようです。その後はもっぱら小レーベルやフランスとかでのリリースのみになってしまいました。


本名ジョン・デヴィッド・マーティン。「ムーン」はあだなで、彼の曲の詞によく「Moon」が使われることから、仲間がそう呼ぶようになったかららしい。Moonにフィットなわけですね。
僕と同い年の1950年生まれ。マイク・キャンベル、トム・ペティーとも同世代です。
ソロ・アルバムの代表作は

01) Shots From A Cold Nightmare(1978)
02) Escape From Domination (1979 )
03) Street Fever(1980 )
04) Mystery Ticket (1982)

これ以降はアメリカでのリリースはなく、キャリア的にもこの頃が旬でした。

当時はタイミング的に、アメリカン・ニュー・ウェイヴ・シーンに入れられることもあったけれど、
音楽的にはチャック・ベリー、ジェリー・リー・ルイス、バディー・ホリーそしてビートルズの影響を受けた、ポップンロールです。1stでは「All I've Got To Do」もカバーしていました。

アメリカではいまいち商業的には成功しなかったけれど、フランスやスウェーデンなどでは人気があった。
そして他のミュージシャンに注目され、よく彼の曲がカバーされた。ある種の「カルト」的ロッカーといっていいでしょう。ある紹介文には、パワーポップの先駆とも書かれています。

オクラホマ出身。レコード・デビューは「サウスウィンド」というバンド。おりからのカントリー・ロック・ブームに乗って、1969年から72年までに3枚のアルバムをリリースするも売れませんでした。
1971年に解散後は、リンダ・ロンシュタットなどのアルバムでギターを弾いたり、バックコーラスをするスタジオの仕事を始め、そこでJ. D.サウザーや結成前のイーグルスと出会っています。
彼自身のインタビューによると、どうやらイーグルズへの参加を請われたようですが断ったようです。入っていたらどうなっていたことやら。ちょっともったいないかも ... 。


そしてソロを目指すわけですが、ラッキーなことに1977年のミンク・デヴィルの1stアルバム、「Mink DeVille (Cabretta)」( 邦題・悪魔のパンク・シティ)で、マーティンの曲「Cadillac Walk」が取り上げられることになったのです。



これはもうほとんどPork Salad Annie ですね。カッコイイ!!


彼のソングライターとしての評価も上がり、いろんなアーティストから曲の依頼を受け始めました。
なかでも、元ママス&パパスのミッシェル・フィリップスのソロ・アルバム、「Victim Of Romance」(1977)のために彼が書いた、「The Achin' Kind」、「Paid The Price」、 「Victim Of Romance」の3曲は、なかなかポップな仕上がりでセンスが光ります。スペクター・オマージュな秀作「Victim Of Romance」を聞いてください。



昨日の曲作りの時、黒沢君にこの話をしたらなんとこのアルバム持っていました。スゴイ男です


なんと、そのうちの「Paid The Price」をニック・ロウが、アルバム「The Abominable Showman」でカバー、さらに同じパブロックの盟友、デイヴ・エドモンズも、ムーン,マーティンの「Don't You Double (Cross Me Baby)」を アルバム「Information」でカバーしていてたりして、
さりげなくムーン・マーティンがパブロック人脈ともつながってきました。ちょっと驚きです。

しかもパブロックの殿堂、スティッフ・レコードからデビューしたレイチェル・スウィートにも彼の曲がカバーされていたりします。





そういえばレイチェル・スウィートもミンク・デヴィルも、そしてムーン・マーティンも佐野君が教えてくれたアーティスト達でした。懐かしいです。

そのムーン・マーティンがソングライターとしての名前を有名にしたのは、やっぱりロバート・パーマーがとりあげた「Bad Case Of Loving You (Doctor, Doctor)」 (1979)のヒットでしょうね。





そこでムーン・マーティン自身のヒットとなると、2nd アルバムからのシングル・カット「Rolene」(1979)でしょうか。30位までなので決して大ヒットとはいえませんが、デイヴ・エドモンズやジェフ・リン、カーズなどと一脈通ずるところのあるうれしいポップン・ロールです。残念ながらYouTubeに上がっていたのに見れなくなっちゃいました。

誰の目にもとまらないより少しでも彼のことを多くの音楽ファンに知ってほしいという身持ちが踏みにじられた思いです。
そのかわりに、それに負けないくらいのポップン・ロール・ナンバーを!!





いかがでしたか?ほんとはもっと彼自身の曲を紹介するべきだったのかもしれませんが、このほうが立体的にムーン・マーティンの才能を理解していただけるのではと思いました。
こうやって並べてみて僕も彼の才能を再評価できたのはいいんですが、なぜか「ムーン」と言う言葉がでるたびに、ルー大柴さんの顔が浮かんできて困ってしまいました。