すっかり暗くなり寒さの広がってきた「ニュー・ミサキパラダイス」駐車場ライヴ。トリをつとめることになったuncel-jamの2曲目は「ストローベリー・ワイン」だ。

黒沢君と僕が定期的に開いている、下北沢・風邪知空知での「uncle-jamのuki-uki☆music club」で、お客さんからお題をいただいて作った曲。こないだの京都では演らなかっが、黒沢君と異口同音に、こんなときだからぜひ演ろうよということになった。

何しろモニターもないので、会場用のスピーカーからの音を聞きながら、黒沢君の声とのバランスやタイミングを計りながら歌わなければならない。だけどこれこそまさにライヴの原点。
音楽なんでもプロジェクトの僕たちはこれしきのことで右往左往などしないのだ。

「夢の続き」と「I Will」の歌詞には、僕たちが三崎の街の風景や雰囲気にいつのまにか影響を受けているフレーズが多々ある。そんなエピソードを話しながら歌い出したと思ったら、楽しくてあっというまに最後の曲に。


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昨日と同じuncle-jam in the darkで恐縮です。僕の横で灯りを照らしてくれた来田先生に改めて感謝。


その次の曲を歌うか歌わないかでずいぶん迷った。だがこれをはずしたらuncle-jamじゃない。
この曲こそが僕たちの精神的支柱なのだ。カラ元気でもいいから、少しでも心をウキウキワクワクさせてほしい、そしていつかほんとうに心からウキウキワクワクできる時が来ることを信じて、祈るような気持ちで「うきうきミュージック」を演った。
黒沢君がいつものギター・リフを弾いているあいだ、寒さにかじかむ体とは裏腹に、できるかぎり思いっきり両手を広げ手を叩くことができた。その場所にいたすべての人にクラッピングしてほしくて思いっきり両手を伸ばして手拍子をした。

終わると観客のみなさんからの温かい拍手。「三崎のマイケル・ムーア」こと内川先生や三崎の人たちが「心も体もあったかくなったよ。」と喜んでくださったのが一番うれしかった。
なんとかかんとか、「ニュー・ミサキパラダイス」のトリという大役を果たせてほっと一息。
屋上ライヴのビートルズもやったことのない駐車場ライヴ、貴重な体験をさせていただいた。

MPの藤沢さん、三崎のみなさん、出演者のみなさん、そしてお越し下さった御客さんたち、ほんとに楽しい時間をありがとう。これが第一回で、またきっと第2回が開かれることを願っています。
ミサキプレッソのブログにも、この日ライヴの模様がでているのでぜひこちらも見てくださいね。

☆港町三崎のカフェ&バール / ミサキプレッソ <MP>
2011年3月29日号 : 3月27日(日) ニュー・ミサキパラダイス!
http://misakipresso.blog133.fc2.com/blog-entry-97.html


打ち上げ会場のMPはまるでカオス。今日の出演者のみなさん、MPの三崎在中の常連さんたち、この日のために都内や各地からたずねてきてくださった、藤沢さんの人間関係の広さを知らしめる多ジャンルの方達とのハイなコミュニケーションが遅くまで続いた。もしかして津波があのときこの三崎を襲っていたら、こんな素敵な出会いもありえなかったかと思うと、大自然の脅威の前には生きているということすら単なる偶然に思え、なぜか生かされているということに感謝しなければと思った。
もうとにかくいろんなひとたちと話したので、自然に心はずっとハイ状態。

なぜか佐竹君が明石焼用のプレートを持ち込んでいた。なぜ三崎で明石焼きなのかはよくわからないが、プロ・ユースの銅のプレート、しかも焼くのはたこ焼きではなく明石焼である。

僕は大阪出身だから、たこ焼きを焼くのには自信がある。しかしあいにく明石焼は焼いたことがない。
小学校の夏休み、毎日のようにたこ焼きを焼いていたことがあった。たこ焼きのポイントは生地の濃度にある。おたまですくって、たらーっと垂らしたときにトロっとし過ぎていると、お好み焼きみたいに固い仕上がりになってしまうし、ゆる過ぎるとまとまりにくくて焼きにくい。その微妙な具合を中学時代にマスターしてしまった。

シュガーベイブの事務所テイクワンに居候していた時、たこ焼きを焼いたら、今は亡きシュガーベイブと山下洋輔トリオのマネージャーだった柏原卓に「こいつぁうまい。六本木で店を出そうよ。」と言われたことがある。イカ天の審査員をやっていた頃、東海テレビの「気分はセッション」という番組のホストをやっていたとき、放送中に焼いたこともある。スタッフにはなかなか好評だったようだ。おっと、ひさびさにおおはばに脱線しかけている。銀流たこ焼きの作り方についてはまた別の機会に。

明石焼は卵が多くて卵焼きに近い。しかもソースではなく出汁につけて食べる。明石焼のタネと出汁は牡丹の大将に作ってもらって、さて佐竹君が焼き始めた。
ネタをプレートにはって蛸をいれてからずいぶん時間がたっている。
もういいんじゃないのというギャラリーの声にも、彼はまだまだなんていって悠長に構えている。
それにしても長過ぎる。煮込みやおでんじゃないんだから。
だけど彼があまりにも自信満々なもんだから、そのままにして他の人と会話していると、なんだか香ばしい匂いがしてきた。しかもあまり明石焼らしからぬ香ばしい匂い。ひょっとして焦げてんじゃないのというギャラリーの声にも、相変わらずまだまだなんていっている。まあ2時間はみといてもらわないとなんていっている。どうやらかなり酔っぱらっているようで、あてにならないことがやっとわかった。
これはいかんと、封印してあった「たこ焼き人銀平」に変身してプレートの前に立つことにした。

すっかり佐竹君の一回目は見事に黒こげとなっていた。しょうがなく牡丹の大将にプレートを渡し、きれいにしてから焼き入れしてもらって始めたが、今度は僕が焼くことにした。
なにせ、たこ焼きを返す「きり」(木柄へり引きというらしい)がなくて、プラスのドライバーで返さなければならないので、なかなかまとまらなかったが、そこは昔とったキネヅカ、なんとかそれらしきものに仕上げた。藤沢さんをはじめ場内から拍手が起こったのにはちょっと照れくさかったが、おかげでひさびさにたこ焼きを焼く楽しさを思い出した。
それを見ていた黒沢君が要領をすぐにおぼえたみたいで、2回目は彼が初めてとはおもえない手さばきで見事に焼き上げ、そのあとリベンジを計った佐竹君もきれいに焼き上げ、なにはともあれよかったよかった。


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銀次・佐竹の明石焼・師弟コンビ。


翌日、お昼頃起き出し、ウエアに着替えると、油壺方面に走った。目当てはあのプール。
「サンデー銀次」の熱心な読者の苦楽健人さんから、2月6日号「I Left My Heart In 三崎港」へいただいていたコメントの中で、「三崎港から尾上町に向かう道すがらには、市民プールがあって銀次さんの『風のプール』な風景でしたよ。」と紹介していた、三浦市営プールを見に行こうと思った。

その健人さんは三崎のご出身。ニュー・ミサキパラダイスを楽しみになさっていたが、仙台に出張して震災の犠牲になった社員の方の御霊のお弔いのためにおいでになれなかった。三崎の友人のかたがきっと聞きにきてくださるというコメントが切なくて、なんとも胸のつまるような複雑な気持ちになった。

前日ライヴが終わったとき、そのお友達、しんばさんが見にきていてくださり声をかけてくださった。後日メッセージをお寄せくださったところによると、先祖代々の三崎人とのこと。握手をしながら少しお話をしているあいだ、ずっと苦楽健人さんからのコメントを思い出していた。

前に走ったときは道路から眺めるだけだったが、今回はプールのフェンスのすぐそばまで降りてみた。



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確かに「風のプール」だ。まるで売野さんがこのプールで体験したことをあの歌にしたんじゃないかと思えるほどだ。ライヴに来れなかった健人さんにと、携帯のカメラで何ショットか撮った。


11日の震災以降、東京、大阪、三崎、いろんな場所でいろんな人たちのいろんな人生があることを知った。
それぞれに毎日があり、それぞれに問題を抱え、それでも、しかとで生きている。今も震災に会った人たちの明日は見えない。それでもしかとで生きている。僕はそんながんばっている人たちに、うかつにがんばれなんてとても言えない。
僕ができることといえば、がんばれと肩を思い切り叩くことではなく、おもわず口笛を吹きたくなるような曲を書くことだ。これからも心の中に元気の泉が自然に湧いてくるようなポップスを作り続けたいと思う。

この未曾有の災害は、国民に選ばれたしかるべき人たちが責任と自覚を持って、すべての叡智を駆使して解決にあたらなければ、解決できないものだと思う。政治家のみなさん、あなたたちのほんとうの力をみせてください。そしてこの天下り利権列島に乱立する原発、なんとかなりませんか?