読者の方の中には、「バブルガム・ミュージック」といわれても理解できない方もいらっしゃるのではないか。話を進めていくうえで、ここはバブルガム・ミュージックとは何かについて話しておかなければならないだろう。

「バブルガム・ミュージック」という言葉が生まれたのは、ニュー・ロックやサイケ・ロックなどが登場して、ロックが成熟し始めた1968年頃。ロックの大人化の反動で出てきた、ティーンエイジ向けの音楽をこう呼んだ。1910フルーツガム・カンパニー、オハイオ・エクスプレス、アーチーズなどがその代表選手。

その造語の由来は定かではないが、子供でもくちずさめる親しみやすさを「風船ガム」にたとえたとか、味を楽しんだ後はガムのように簡単に捨ててしまえるからとか諸説あるが、僕は、プロデューサーのジェリー・カセネッツとジェフ・カッツが1910フルーツガム・カンパニーを売り出すために作った造語ではないかと勝手に思っている。





その音楽自体はすぐに廃れてしまったが、バブルガム・ミュージックという言葉だけが残って、今でもティーンエイジ・ミュージックを指すときに使われている。ブリトニー・スピアーズやバック・ストリート・ボーイズなど、ティーンに人気のある音楽を「バブルガム・ミュージック」と呼ぶきっかけになった現象だ。

私感だが、広義では、およそあらゆる時代のティーンエイジャー向きの音楽はすべて「バブルガム・ミュージック」と呼んでもいいと思う。ビートルズやチャック・ベリーにも、バブルガム性があると思う。

もし1910フルーツガム・カンパニーを100%のバブルガム度だとすると、個々にその「バブルガム度」の配分のパーセンテージはちがうが、そのパーセンテージのちがいで、アーティストの甘辛さとか、子供度と大人度のバランスや、華やかさと地味さなどが決まるような気がする。たとえば、ビートルズとストーンズの比較だと、よりストーンズのほうがバブルガル度は低いといえるのではないだろうか。さらにビートルズのバブルガム度を上げていたのはポールで、ポールがいなければはたして人気グループになれたかどうか ...。またバブルガム度は、ウキウキ度とも関係があるような気がする。

ロックパイルの「Teacher Teacher」や「Now And Always」を聞いたときにまず感じたのは、そのバブルガム性であり、その源流にビートルズ、さらに水源にバディー・ホリーを感じた。バディー・ホリーがアルバム「BABY BLUE」のバブルガム・ロックの精神的な出発点になったのはそういう理由でだ。





さて、だいぶ脱線したので本線に無理矢理戻そう。
なぜ木崎さんが女性作詞家のかたたちを選んでこられたのか、今の僕にはもう記憶が定かではない。こういう特集をすることになるとわかっていたら、こないだお会いしたときに聞いておけばよかった。

何となく覚えているのが、アルバム「BABY BLUE」で、ボビー・ヴィーの「Take Good Care Of My Baby」やジミー・ウェブの「The Worst That Could Happen」の詞のような、シャイでセンシティヴなやさしさを持った主人公で行きたいと主張していたことだ。今から思えば、それはすでに「幸せにさよなら」に始まり、そこからつながっていた銀次らしい世界なのだ。
その方向性なら女性作家のほうが、うまくそのデリケートさを表現できると、木崎さんが判断されたのではないかと推測する。





小林和子さんにはじめてお会いした時、とても育ちのいい良家のお嬢さんという印象だった。テニスでもやっておられるんじゃないかと思える、スポーティーで健康的、カラっとした感じの女性だった。

ボビー・ヴィーはバディ・ホリーの影響を受けたシンガーのひとり。♪ウォオオウオウという独特の歌い回しなど、イミテーターといってもいいほど唱法に影響が見られる。僕はゲイリー・ルイスからスナッフ・ギャレット繋がりでボビー・ヴィーにたどり着いた。
キャロル・キング&ジェリー・ゴーフィンの名作「Take Good Care Of My Baby」、キャロルの胸キュンなメロディーも甘酸っぱいが、ジェリーの詞が僕にはにジンときた。
なにしろ、ふられた彼女の新しい彼に、僕のベイビーをよろしく頼むよという、とんでもなくやさしい男性像。そいつに泣けた。アメリカの青春映画では、いつも彼女をかっこいい男の子に持っていかれて泣き寝入りする男の子が出てくる。中学のとき好きだったったのはこういうふられソング。多感だったんだろうな。ハーマンズ・ハーミッツの「Silhouettes」もビートルズの「No Reply」の歌詞に胸がキュンとなったものだ。そんな主人公のイメージをお話して、小林和子さんに詞を書いてもらったのが、「CONGRATULATIONS」だ。
まだロケンロール一筋になる前のストーンズのこの曲の影響も知らずのうちにあったかも。





実は「CONGRATULATIONS」は詩先だったか曲先だったか、よく覚えていない。僕の記憶では、他のほとんどの曲と同じ、サビの♪CONGRATULATIONSだけ、メロと言葉があって、あとは英語擬きで歌ったものに、小林和子さんが詞をあててくれたように思う。
クリフ・リチャードやストーンズの「CONGRATULATIONS」がお気に入りだったから、それにインスパイされてと考えられるのだが、そう思いたい一方で、なぜかすでに詞ができていてそれを見ながら曲を作った記憶もあるのだ。今度木崎さんに会ったら確認しなくては ...。


「CONGRATULATIONS」の曲調は、シュプリームスの「恋はあせらず」からだろうという方もおられるが、これはもちろん直球のパブロックで、ロックパイルの「Heart」みたいな曲を狙った。





当時僕がアレンジした曲で、「コングラ」(CONGRATULATIONSの略称)みたいな「ドッドッドー・ドッドッドドー」のリズム・パターンの曲には、沢田研二さんの「Bye Bye ジェラシー」、ひかる一平君の「青空オンリー・ユー」があり、いちおう3部作。勝手に「伊藤銀次ビート」と呼んでいた。

おりから日本の歌謡曲にもポップな曲が多くなっていた。アイドルだったけど、田原俊彦君の「ハットして!Good」などは今までのアイドルの曲とは思えない、英米のバブルガムな要素を持つ曲でけっこう好きだった。そんな話をミーティングでしていたら、木崎さんがほんとにトシちゃんの詞を書いていた小林和子さんを連れてきちゃったもんだから驚いた。

まだスタートしたばかりで、どこまでポピュラリティーのあるものを作ればいいのやら指標が見えず、思いっきりバブルガムに振り切ったところから始めたものだから、彼女の書いてくれたものが、さわやかでコンセプトどおりの詞なのに、自分で言い出したくせに、ちょっとアイドルっぽ過ぎるんではと、心が揺れていた。

ところが発表してみると「コングラ」は大人気曲になった。ウキウキの曲調なのに別れの詞。よくファンレターで、明るい曲調がかえって別れの切なさを強調して泣けるというコメントをいただいくことがあった。顔では笑って彼女に祝福を送っているが、心の中では泣いているこのギャップ。初期の銀次のステージでは、いつもラストを飾っていたナンバー。小林和子さんとは「CONGRATULATIONS」のたった1曲だけだったが、初期の伊藤銀次を代表する胸キュン曲を生み出してくださった。





自分で詞を書かなかったのは、メロディーやコード展開、構成やリズム・アレンジに頭が行き過ぎていて、メジャー・シーンに対抗した詞を、決められた時間内でてきぱき書く自信がなかった。そのくせまだ他の人に詞を任せることに慣れてなくて、きっと優柔不断な姿勢を小林さんに見せてしまったかもしれない。
でもいっしょに「コングラ」を作っておいてよかった。小林さん、ステキな詞をありがとう。