伊藤銀次の作詞家コネクション、康珍化さんの第2回目である。
と、挨拶が終わったと同時にいきなり脱線してしまう。

今年の1月4日号「仕事納めと仕事始め」、2月11日号「THAT'S ENTERTAINMENT !」をごらんになった方には、僕がかなりなウィーザー好きだとおわかりになっていただけたかと思う。
1994年にMTVで彼らの「Buddy Holly」を見たとき以来のファンである。
ソングライター、リヴァース・クォモの作る曲はどれも英語なのに、日本語のひらがなやカタカナのように聞こえる。日本語がのってもおかしくない、その譜割りの大きいところが日本でも人気のある所以かなとずっと思っていた。2ndアルバム「Pinkerton」のジャケットに、安藤広重の東海道五十三次「蒲原」 が使われていたり、PVに相撲取りや暴走族が出てきたり、いつもどことなく日本がちらちらするなと思っていた。
そしたらば驚いたことに、2008年にリリースされたウィーザーの「ザ・レッド・アルバム」のボーナストラックで、ついにJPOPの曲を日本語のままカバーしてしまったではないか。



Hey steve!今ガイジン歌謡選手権を開いたら、この「メリクリ」が優勝だと思わないかい?。


不勉強な僕は、その「メリクリ」という曲の存在も、オリジナルがBOAさんだということも、その時点まで知らなかった。だけどカタコトの日本語なのにいくつかの言葉が心に響いてくる。
そして何よりもその「メリクリ」というタイトルが惹きつけた。「今」をよく表しているいいタイトルだし、音の響きそのものに、人の心をときめかせるものがある。
いったいどなたが詞を書いてるんだろうと調べてみると、なんとそこに康珍化さんの名が ...。
驚いた。クォモが康さんの詞だとわかってて選曲したわけではないだろうが、僕にとってはまったく意外な場面での康さんとの再会。いまでもかわらず感覚がバリバリなところがうれしかった。
それがわかってから詞をあらためて眺めてみると、たしかに康さん。「雪は空から降ってくる」で使われていた「Snowflakes」という言葉が登場していた。



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1982年に2枚のアルバムをリリースした僕は、1983年に入っても勢いが止まらず、ポリスター3枚目のアルバム「スターダスト・シンフォニー」(1983)にさっそくとりかかった。
今振り返ると、2年間で4枚なんて作れたのは、売野さんや康さんなど作詞家のかたたちの才能とお力添えがあったからこその偉業だと思っている。
引き続き、康珍化さんが参加してくれたのはわずか2曲だが、どちらもクォリティーが高く、アルバムのファンタジー性をいちだんと強調してくれた、素晴らしい言葉の数々だった。


03) ディズニー・ガール
04) パパラプドゥ・ピピラプドゥ


03) の曲名は、僕がビーチボーイズの名曲「Disney Girls」からインスパイアされたと思われがちだが、実はそうではない。



アズテック・カメラのロディ・フレイムが紹介している。レアなブルース・ジョンストンの弾き語り映像。


意外に思われるかもしれないが、矢沢永吉さんの「YES MY LOVE」みたいな曲を作りたいなと思ったところから始まった。
永ちゃんは1949年生まれ、同年代といってもいいだろう。それを実感したのが「Yes My Love」。
そこにデイヴ・クラーク・ファイヴの「Beacuse」を感じた。展開の仕方はちがえど、きっと僕と共通した音楽の背景を持っている人じゃないかと思った。キャロルの「ルイジアンナ」が大好きなのも、そういうことからだったのかもしれない。





03)のセッションに参加してくれた、後のフェンス・オブ・ディフェンスの北島健二君のギタープレイがわずかにその雰囲気を残しているが、「Yes My love」から旅立っていって、まったく異なる銀次ワールドの地表に着地した曲なのである。

仮歌の段階では、サビのその部分は別の「なんとかガール」として歌っていた。もうその「なんとか」が何だったかは忘れてしまったが、その「なんとかガール」の部分に康さんが「ディズニー・ガール」と見事にはめ込んでくれた。他の曲でもそうだが、康さんのストーリー・テリングの巧さが光る詞だ。

ちょうど03)を録音していた時、カレン・カーペンターが亡くなったというニュースが入ってきた。北島健二君がその知らせにとても悲しんでいたのが印象的だった。ハードロックのギタリストというイメージが強い彼の、少年時代のポップスへの入り口にカーペンターズがいたというわけだ。そのエピソードから、この曲に「IN MEMORY OF LADY CARPENTER」とクレジットをつけることにした。

康さんは、擬音など、響きのおもしろい言葉を見つけてくる才能を持っている。
山下久美子さんの「雨の日は家にいて」で使われた「ティピティピタプタプ」という雨の擬音は素晴らしかった。擬音ではないが、萩原健一さんの「ぐでんぐでん」も、独特の響きでなかなかありそうでない。

その頃の60sリメイク・ブームの中で僕が立てたコンセプトは、1965年と1983年を重ね合わせてみることだった。1965年はモータウンやマージー・ビートが盛んな年だったが、それと共に、「サウンド・オブ・ミュージック」や「メリー・ポピンス」などのミュージカルもちょっとしたブームだった。
ミュージカル風な曲を、松武 秀樹さんのコンピューターを使った打ち込みで作って、ニルソンのような気分で歌ったらどうなるのか ... 。
04)の曲作りのときから、最終的には「パパラプドゥ・ピピラプドゥ」が入っている箇所に、何かおまじないのような言葉が入るといいなと思っていた。出来上がったオケと仮歌を聞いてもらいながら、その言葉を発明して入れてほしいと、康さんにお願いをした。「アブラカダブラ」とか、ディズニーの「ビビディ・バビディ・ブー」みたいなおまじないの言葉だ。





はっきりいってお題を出している僕ですら、そんな発想はできても、いざその言葉を考え出すとなると、これはなかなかむずかしい注文だなあと思っていた。もし僕が逆にこのお題をもらっても、はたして出てくるかどうか自信はなかった。わかりましたという康さんの表情からは、困惑も自信も読み取れず、あくまで冷静な表情のままだった。

何日か後に自信満々で持ってこられた「パパラプドゥ・ピピラプドゥ」のタイトルを見せてもらった時は、ほんとに参った。脱帽。神業だと思った。康さんのどこにこの言葉が収納されていたんだろう?
こんなに不思議でかわいいタイトルの曲なんてはじめてだった。康さんは言葉の響きの魔法使いだと思った。


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最後に余談。「東海道五十三次」で思い出したことがある。
昔電報を打つとき、銀次を説明するのに「ギンは金銀の銀。ジは東海道五十三次の次(つぎ)です。」とおもわず言ってしまって、電話局の女性にクスクス笑われたことがある。自分でもおかしくておもわず笑ってしまった。

さて次はいよいよ、康珍化さんとのコラボのハイライト、「Winter Wonder Land」だ。