はじめて「ヴァニティー・ファクトリー」を聞いたのは、赤坂バックページ・スタジオだった。
1980年の夏だったか秋だったかもうはっきり覚えていないが、もう「Back to The Street」はリリースされていたが、まだ佐野君のバンドに「ハートランド」の名前がついていなかったと記憶している。(いい名前が浮かんだんだ。ハートランドっていうのはどうだい? と発表があったのもバックページ・スタジオだったと思う。)
阿部ちゃんとダディさんは確実にメンバーにいたけれど、明君や小野田君がいたかどうかも定かではない。
シータカはまだ登場していなかったように思う。
「ガラスのジェネレーション」のレコーディングに入っていたかもはっきり覚えていない。「Back To The Street」の中の、「ナイト・スィンガー」、「ビートでジャンプ」、「Back To The Street」、「Please Don't Tell Me A Lie」をいっしょに作ったあと、縁があって佐野君のバンドのメンバーになれたすぐあとのことだったように思う。



ずーっとライヴではやってくれなかった曲。このギター・リフがまた聞けたときは、また自分が弾いているような気分になってうれしかった。


ある日リハのためのセッティングをしていると、佐野君が「やあ」とスタジオに入ってくるなり、嬉しそうな顔でみんなに向かって「ジュリーから曲の依頼があったよ。」
えー、ほんとに?おーっやったーっと大騒ぎになった。
そしてエレピの前に座るとおもむろに、「こんな感じの曲なんだ。」と、さっそく僕たちにその曲を聴かせてくれた。
どことなくビリー・ジョエルを思わせる曲調。まちがいなくロックだが、どこかジャズ・ブルースのようなやるせないフィール。歌詞の中にWhen Sunny Gets Blueが折り込まれているのが印象に残るアーバンなスタイル。それがヴァニティー・ファクトリーの1st ヴァージョンだった。





「どうだろう?」と歌い終わって感想を求める彼。いい曲だった。正直いって他の人にあげちゃうのがもったいないとも思えるいい曲で、沢田研二さんのヴォーカルから、その声の湿り気の魅力を感じ取り、少しブルージーなメロディーを書いてしまうセンスには舌をまいてしまった。
「いいじゃない。」と答えると、「できれば銀次にアレンジしてもらいたいんだけれど... 。」なんてうれしいことをいってくれた。だけどこの時点ではまずありえないことだと思った。

「いやーそれは無理なんじゃない。だって沢田さんの曲は井上堯之さんや大野克夫さんがアレンジするんじゃないの。」 と言うと、「そうか... 。そうなんだね。」となんとなくさびしげで心残りな表情。
その日のその話題はそこまでで、リハーサルへと入って行った。

まさかその先にこんな展開が待っているとは佐野君も僕も予想だにしなかった。

まさにその翌日に電話があった。
当時の沢田研二さんのディレクターだった木崎賢治さんからの電話。
挨拶も早々にいきなり、なんと丸々1枚沢田研二さんのアルバムのアレンジをお願いしたいとのこと。
佐野君はこのアルバムのために「ヴァニティー・ファクトリー」を書いたのか ... 。
そのアレンジが僕に? うれしいけれどきっと何かのまちがいだと思った。

  つづく