作詞家の康珍化さんが、僕のプロジェクトに参加してくれたのは、ポリスター・レコードでの2ndアルバム「SUGAR BOY BLUES」(1982)からなのだが、実はそれ以前にすでにお会いしていたのだ。

それは1980年。どういう経緯でそうなったのかもうよく覚えてないが、当時僕が住んでいた新中野の家に康さんのほうから遊びに来てくださったことがあり、それが初対面だった。
その時、名刺代わりに大滝裕子さんの「ミリオン・キス」のアルバムを持ってきてくださった。そのタイトル・チューンの「ミリオン・キス」が彼の最新作品だという自己紹介だったのだ。

彼に会うちょっと前に何度かこの曲をラジオで耳にしていた。明らかにアイドルの曲なのだが、大滝裕子さんの天性の歌のうまさ、コードの使い方やシンセの響きにさりげなく新しさがあって、気にしていた曲だった。どこかABBAというか、トニー・マコウレイーっぽいバブルガム性があった。
流行り始めていた、英語のサビももちろん耳に残ったが、「I'm sorry 行かなくちゃ」というBメロの、言葉とメロとの合いぐあいが妙に心地よくて、そこが好きだった。
初対面だったけれど、関心のある曲をてがけた人だったことが、親近感を高めてくれた。





初対面の印象はとてもきまじめな大学生。哲学でも専攻していそうな感じだった。牛乳瓶の底のような厚い眼鏡が今でも強く印象に残っている。売野さんとはちがった感じだが、芸能界の匂いのしない人だった。プロの作詞家としてのデビューが1979年だったから、それは無理もなかったのかもしれない。

そのときのお話では、積極的に自分で作詞家になりたくてなったわけではなく、大学の友達のバンドに詞を書いていたら、そのバンドがデビューすることになり、気がついたら作詞家デビューしていた、というようなことをおっしゃっていた記憶がある。どこかまだ迷いのようなものがうっすら感じられ、とてもやさしいかただったけれど、ぼそぼそとした話し方に少し暗さを感じた。
そのうちいっしょにお仕事したいですねと、その日は別れた。

1981年、沢田研二さんでお世話になっていたプロデューサーの木崎賢治さんから、山下久美子さんのアレンジをやってほしいという依頼があった。「雨の日は家にいて」というアルバムで、佐野君の「So Young」や大沢誉志幸君の曲など6曲を担当させていただいた。
そのとき、あの康珍化さんとレコーディングの現場で再会。康さんが詞を手がけた「雨の日は家にいて」、「どしてもプリーズ」の編曲をさせてもらい、詞編曲でやっと初コンビを組むことができた。


雨の日は家にいて/山下久美子

¥2,500
Amazon.co.jp
「総立ちの久美子」のきっかけになったアルバムだ。


そんな伏線があっての、康さんの銀次作品でのデビューは、アルバム「SUGAR BOY BLUES」の次の2曲だった。

01) ちがうんだよ
02) Dear Yesterday

山下久美子さんのレコーディングでは作詞家と編曲家の関係だったので、あまり作品を通してお話をする機会がなかったが、やっとダイレクトにやりとりができるようになった。
驚いたことに、いつのまにか牛乳瓶メガネではなくなり、やさしさはそのままに、どこかシャープで活発な印象に変っていた。「バスルームから愛をこめて」などいくつかのヒットを手がけたことが、自信につながってきたのか、何か心境の大きな変化があったのだろう。すっかり迷いが見られなかった。
迷いがないどころではなかった。はじめて「ちがうんだよ」の詞を見たとき、そのあまりの大上段ぶりに、ほんとに驚ろかされた。

01)も02)のどちらも曲が先である。「ちがうんだよ」では、80年代のニルソンみたいなことがやりたかった。ビング・クロスビーの「You Must Have Been A Beautiful Baby」みたいな、1930年代風なメロを、ロービー・デュプリーの「Steal Away」みたいなサウンドで処理したらおもしろいんじゃないかという発想からだった。



最初にデイヴ・クラーク・ファイヴのカバーでこの曲を知った。ボビー・ダーリンのカバーもナイス。



ドゥービー・ブラザースのWhat A Fool Believesがこの手のサウンドの元祖かな?


当然、その仮歌を渡しておいたから、康さんならきっとすごく優しさに溢れた温かい詞を書いてくれるだろうと思い込んでいたものだから、いきなりの「ちがうんだよ」というタイトルに、ビビビと拒否反応が起きてしまった。まるで門前払いというか突慳貪(つっけんどん)というか面会謝絶というか、問答無用の、強い否定を意味するタイトルだと勝手にとってしまったのである。
今でこそ少しはマシになったが、どうも子供の頃からせっかちで早とちりなところがある。
スマナサーラさんの「怒らないこと」を知ってからは、飼い犬に出すような「待て!」の指示を自分に出し、必ずワンクッションおくようにしているが、あの頃の僕は、ちょっとしたことに過剰反応しやすかった。

ほんとに失礼なことをしたと今さらながら後悔しているが、最後までちゃんと詞を読みもしないで、この「ちがうんだよ」というタイトルは変えてほしいみたいな暴言をはいてしまったのだ。どうかしていた。
一瞬スタジオが凍りついたようになった。どうしたものか困った空気が漂った。
ところが康さんは何もなかったかのように、にこやかな表情で、歌詞の世界観をていねいに説明してくださったではないか。
僕の中で熱っつくなってたものが次第におさまってきて、やっと理解することができた。
これは、人差し指をふりながら、舌でチッチッチと言うときの「ちがうんだよ」のニュアンスだったのだ。
売野さんのときの「Shade Of Summer・ブレてる事件」に続いて、またしても、ぼくのほうが「ちがうんだよ」だったのである。情けないったらありゃしないが、かくして名曲「ちがうんだよ」が誕生した。





康さんの詞にNGを出したのは、僕の記憶が正しければ、このときだけではないかと思う。
とにかく歌ってみると、詞が先でそれにメロディーを後からつけたかのように歌いやすいのだ。
康さんの詞はまぎれもない歌詞である。まるで自由詩のように広く深い世界を展開していても、歌ってみると、唇にのどに心地のよい響きをもった歌の詞なのだ。それは「ギザギザハートの子守唄」や「桃色吐息」などのサビにもよく顕われている。「ミリオン・キス」になんとなく僕が感じたものは、後に花開く康珍化マジックのあくまで予告編だったわけだ。

アルバム「スターダスト・シンフォニー」の制作に入った頃には、康さんの詞への評価がどんどん高まっていった。上田正樹さんの「悲しい色やね~OSAKA BAY BLUES」が大ヒットしたのだ。
BOROさんの「大阪で生まれた女」以来の大阪弁のヒット曲。とても素晴らしい詞曲だったが、大阪出身の僕には、ひとつひっかかっていることがあった。

「康さんも詩人だね。あんなきれいじゃない大阪港の海の色からこんな素敵なイメージがうかべられるなんて。」

「えっ? そうなんですか?実は僕は一度も大阪港の海を見たことがないんですよ。」

なるほど、だからイマジネーションを膨らませることができたわけだ。まだ天保山ハーバービレッジなどなかった時代のお話。
そのとき、「FMナイトストリート」で、スペインに遊びに行かれた佐野元春ファンのかたからいただいたお便りのことを思い出した。そのお手紙によれば、バルセロナには湖がなかったそうだ。