昨夜は武蔵小山アゲインで小松久さんのライヴがあった。小松久ソロ・ライブ「大好きロックンロール・ギター#7」12弦ギター特集。僕のトークライヴ「話し出したら止まらナイト」フォークロック特集にお客さんとして見えておられた小松さんが、それに刺激をうけて今回の特集となったそうだ。
どうやら僕のイベントでのロジャー・マッギンやビートルズの話、そして黒沢秀樹君のリッケンバッカーの12弦と共にuncel-jamで歌ったバーズが、小松さんの中で眠っていた12弦魂に火をつけたようだ。
なんと6曲も演奏された。小松さんはライヴで新曲を演るたびにご自分でカラオケを作ってこられる。それがドラムとかほとんど完コピ。コーラスもきちんと入っていてなかなかに手が込んだオケ。小松さんてほんとうに音楽が好きなんですねと、水野晴雄さんのように感心してしまった。
12弦の曲に、Tボーンズの「真っ赤な太陽」やピーター&ゴードンの「愛なき世界」がセレクトされているところが、いかにも小松さんらしい。





なんと湯川れいこさんもお見えになっていた。お会いするのは「六本木心中」でお仕事をいっしょにさせていただいて以来。ひさしぶりにご挨拶。僕の席は湯川さんのま後ろだったので、けっこう終始緊張気味であった。なにしろ思春期の頃、テレビでよく拝見した音楽評論家の中で紅一点だった湯川さんは、憧れのお姉様だったから...。

いつも小松さんのメインのギターはテレキャスター。相変わらずいい音していたのだが、昨夜はストラトに持ち替えての、シャドウズの「春がいっぱい」が僕的にはキタ。とても丁寧な演奏で、ジェイムス・バートンっぽいノリのいいフレージングもいいけれど、メロディックな曲でのプレイはヴォーカリストの肉声にも似た歌心を感じた。





本編最後の「Hello Mary Lou」の終わりのほうで、オケが録音されているMDが音飛びしてオケが無音になってしまうアクシデントがあったが、小松さんはそのまま弾き続け、すぐにそれと気づいたお客さんが全員手拍子でドラム代わりとなったために、曲は無事完奏。ちょっぴり感動的なシーンだった。
さらにこの日は小松さんのお誕生日。第2部の冒頭で、いきなり暗転になり店長の石川さんからバースデイ・ケーキがステージに運ばれ、演奏もよかったが見せ場の多い温かいライヴであった。

「銀次さん、次回の特集のアイデア、なんかない?」とたずねられ、「スプートニクス特集なんかいかがですか?」と即答したのは、個人的に小松さんのトーンで「霧のカレリア」が聞きたかったからである。


$伊藤銀次 オフィシャルブログ 「SUNDAY GINJI」 Powered by Ameba


今年の1月8日号「漂流 本から本へ」で山下洋輔さんのことや、全日本冷やし中華愛好会のことを書いた後、偶然洋輔トリオのドラマーだった小山彰太さんと再会しその当時のお話をしたせいで、無性に山下洋輔さんのエッセイ、「ピアノ弾きよじれ旅」が読みたくなって、ついにアマゾンでゲットしてしまった。
封を切ってさっそくペラペラと流し読みする。おお、これだこれだ。タモリさんや坂田明さんといっしょに、僕がハナモゲラ語周辺の人たちとして描かれているのだ。なんと、山下さんのFM番組の中で、無伴奏のアフリカ人の牛追い歌と共演してブルース・ギターを弾き、洋輔さんとプロレスについて大いに語り、新宿ピットインの前で坂田明さんとハナモゲラ歌舞伎をやっている。
実はこの本をちゃんと購入して読むのは初めてなのだ。山下さんには失礼だが、1977年に初めて単行本化されたときには、僕が描かれているのがほんの数ページだったので、買わずに書店での立ち読みですませていたのである。その後文庫本化された時も迷ったが、やはり立ち読みですませていたが、小山彰太さんとの再会がきっかけで、ついに購入というわけだ。

山下さんが福岡でタモリさんを発見したことや、全日本冷し中華愛好会やハナモゲラ語のこと、ヨーロッパ公演のことなどが書かれていて読みたくなるが、まだ内田樹さんの「ためらいの倫理学」を熟読中なのでそれが終わったらと思いつつもつまみ読みが止められない。昨年の12月20日号「なごみの本をありがとう」で和田誠さんのことにふれたのがきっかけで買ってしまった「三谷幸喜のありふれた生活」をすでにペラペラ読みしているので、これで3冊同時読みという離れ業を展開することになってしまった。


三谷幸喜のありふれた生活/三谷 幸喜

¥1,260
Amazon.co.jp


「よじれ旅」の中で僕と山下さんがジャズとプロレスの共通点について話している。おもしろいもので、その後佐野元春のハートランドでドラマティックかつアクロバティックなステージを展開していた頃、ときどき佐野君がアントニオ猪木のように見えたりして、ロックンロールのライヴもすごくプロレスっぽいなと思ったことがある、ドラマティックなものをどうリアルに感じさせるか、そのあたりが同じだと思った

昔、芳の里というレスラーがいた。いつもゲタをはいて登場、得意技はそのゲタで相手を叩くこと。これが意外と観客には受けた。相手の髪の毛を左手で鷲掴みにすると、右手に持った下駄を高くかざしてお客にアピール。行け行けとわく観客。さあこいつで叩くぞとばかり下駄の歯の方を客に向けてかざすのだが、いざ叩く段になると、くるりと裏返し鼻緒のほうで叩くのを、プロレス少年だった僕は見逃さなかった。なるほどそういうことか、これはエンタテンメント、ショーなのだと少年の日に悟ってしまった。

ある日のこと、6人タッグで場外乱闘になり、カール・カールソンというヘッドギアをつけた外人レスラーがひとりマットの上でノビていた。そこへするするとお客さんが上ってきてリング上に転がっていた芳の里のゲタをひっ掴むと、こともあろうにゲタの歯の方でカールソンの額に一撃を見舞ってしまった。
額はざっくり割れすぐに担架で運ばれ、全治1ヶ月だったかの重傷。マジにやるとこんなことになってしまうという実例だった。
プロレスを八百長だという人がいるが、あれだけ鍛えに鍛えた彼らでも、もし本気で戦ったら毎試合大怪我、死者すら出ることだろう。三沢選手の例でもわかるように、いつも死と背中合わせの「寸止めの美学」のエンタテインメントなのである。

いま相撲がとんでもないことになっている。野球賭博騒動から発覚した八百長騒動だ。
何も今に始まったことではなく、昔から何度も噂になり週刊誌に取り上げられてきた。
物的証拠がないためうやむやになっていたが、携帯の着信履歴という動かぬ証拠がでてきたもんだから、今度という今度はさすがにうやむやにはできなくなった。

相撲が「国技」と呼ばれているかぎりは許されないことだろう。「国技」ということで自然とスポーツマンとしての「誇り」や「潔さ」をいやでも見ている人が求めてしまうからだ。しかもそのイメージは自分たちが作り出しているものなのだから ... 。朝青龍という天才アスリートを素行が悪いという理由で引退に追いやったのだからね。強いことより品格のほうが大事だと世の中に宣言したのだから、八百長は一番の大衆への裏切り行為となってしまう。しかも「八百長」とは言わず「無気力相撲」と呼び変えたところもイサギ悪かった。





ウィーザーのリヴァース・クオモは今回の相撲騒動をどう思っているのだろうか?

よく考えると相撲のことなど心配している余裕などなかったのであった。いよいよ目前にせまってきたuncle-jamのライヴ。どんなことをやるのか、カバー曲など、喉元まででかかっているのだが、ここはやっぱり教えられないのだ。当日足を運んでいただき確認していただきたい。スマンの涙なのである。
ただし故意による無気力演奏だけは絶対にありませんので。