「サンデー銀次」2月1日号「I Stand Alone vol.3」に神戸No.2さんからこんなコメントが寄せられた。

作詞家さんへの依頼ってどんなふうに注文するのですか?まったくお任せ?ダメだしとかあるの?こだわりは?等など機会があれば語ってくださいませ。

20日に「I Stand Alone 2009」のDVDが出るという、ちょうどよい機会なので、今まで僕のメロディーに素敵な詞をつけてくださった、作詞家のかたたちとのエピソードを、思い出しながら書いてみようと思う。

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売野雅勇さんはいうまでもなく、中森明菜「少女A」、チェッカーズの「涙のリクエスト」、「星屑のステージ」、「ジュリアに傷心(ハートブレイク)」、稲垣潤一「夏のクラクション」、荻野目洋子「六本木純情派」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」などをてがけた、大ヒット・メイカーの作詞家である。
1981年に僕が売野さんにお会いした頃は、まだ広告代理店におつとめで、コピーライターの仕事もなさっていた。

アルバム「BABY BLUE」の制作に入るにあたり、プロデューサーの木崎さんが紹介してくださった。
「Baby Blue」の中のほとんどのメロディーやアレンジは、かなり僕の中でくっきりと見えていた。
そして詩のコンセプトや伝えたいことも見えてはいたが、サウンドとちがって、どういうふうに形にしていいかわからなかった。佐野元春の新しい詞のスタイルに出会ってから、それまでの僕の詞は時代遅れに感じていた。そこで木崎さんに、佐野君のようなスタイルで、もう少し大人なタッチで詞が書ける人はいないかと相談した。

はっきりと覚えていないが、初めてお会いしたのは、たぶん新宿御苑のテイク・ワン・スタジオだったと思う。なぜか初対面の印象だけは今でも鮮明に蘇る。印象的だったのは、芸能界の匂いがまったくしなかったということだ。どちらかというと、まるで林望さんや野口英世のような、学者や研究者のような静かさにあふれていて、その控えめな話しかたに、折り目正しさとインテリジェンスを感じた。
アルバム「BABY BLUE」で売野さんに詞をお願いしたのは、次の5曲である。

01) Baby Blue
02) Tappin' And Clappin'
03) プラネット・ガール
04) ONE WAY TICKET TO THE MOON
05) SHADE OF SUMMER

アルバム「BABY BLUE」のほとんどの曲は、メロディーが先に作られ、あとから詞がつけられた。
詩が先にできていたのは、「雨のステラ」と「コングラッチュレーションズ」、「センチメンタルにやってくれ」の3曲だけである。僕の記憶では、最初、神田広美さんと小林和子さんの女性陣の詞に曲をつけることから、作業がはじまったような記憶があり、遅れて売野雅勇さんが参加してきた。このお二人とのエピソードはまた別の回で語ることにする。

基本的に売野さんとの作品は、アダル・キッズの概念、少年の心を持ちながら大人でいることというコンセプトのお話をした後は、もちろんマイナー・チェンジはあったが、大きな内容に関してはおまかせした。
この頃売野さんは、まだ作詞家としてブレイク前だったので、その時間をほとんど僕の作業に独占的にさいてもらえたのがラッキーだった。

04)のサビの、♪One way ticket to the moonという言葉がひらめき、ここからメロディーを作っていった。
この頃ELOのアルバム「Time」が愛聴盤で、その中の「Ticket To The Moon」というタイトルがおもしろいと思っていた。





そういえばニール・セダカの大ヒットに「恋の片道切符」というのがあった。原題は「One Way Ticket」。この2つをくっつけて「One Way Ticket To The Moon」。これを口ずさんでいたら全体の曲ができた
このタイトルをお題にして売野さんに仮歌のテープを渡し、詞のストーリーはおまかせした。どんな詩を書いてくれるのか楽しみにしていたら、予想以上にすてきな詞だった。
「東京メトロ」よりはるか前に、歌詞の中に「メトロ」が使われているのもオシャレで売野さんらしい。



アコギ・ヴァージョンだとさらに詞のさびしさがしみてくる。


今みたいに誰もが携帯を持ってなかった時代、「コインが戻る」というフレーズで、公衆電話ボックスが思い出される。しかもテレカ以前の公衆電話だ。

曲を先に作るときは、いつも適当な英語もどきの言葉がついている。ラララとかルルルでは気分が出ないからだ。あるときマネージャーに「仮歌のときの方が雰囲気が良かったですね。」と言われたことがあってショックだったことがある。ちゃんと意味のある日本語になった瞬間に、あのデタラメ英語の持っている洋楽っぽい世界はなくなってしまう。かといってあのままリリースするわけにもいかないのだ。

Tappin' And Clappin'は、はじめ「Rollin' And Tumblin'」だったか「Reelin' and Rockin'」だったか、なんか英語の対句のフレーズで歌っていた。その仮歌に売野さんがこの言葉をはめてきたのだ。
仮歌の段階ではジェームス・テイラーがニュー・オリンズ風の曲をカバーしているイメージだったが、まさか真夏のサンタクロースの歌になって戻ってくるとは夢にも思わなかった。
本編イントロの始まる前に、短い歌が付いている。これをヴァースといい、昔のスタンダード・ナンバーには、必ずというほどついている。あの「スターダスト」にも長めのヴァースが付いている。落語でいう「まくら」にあたる。本編は1分12秒あたりの「Sometimes I wonder.. 」からだ。





Tappin' And Clappin'のヴァース部分には、「みんな昔のまま」という詞がついてきた。
これが内容を遠回しに暗示していてさすがなプロの技。1960年代に流行った化粧水で、もう80年代には知らない人も多かった、「アストリンゼン」という驚きの小道具まで飛び出す。「初めてなのに懐かしい」といわれた理由のひとつかも知れない。「雨のステラ」に続く2ndシングルとしてのリリースが決まったので、歌詞の中からとって「真っ赤なビキニのサンタクロース」という邦題がつけられた。


03) はもともと1978年頃、当時の RVCレコードの企画シングル「サーフ・ローラー・ストリート」として作った。
実際には存在しないグループの「サーフ・ローラーズ」名義。残念ながら企画がボツった。それを木崎さんに聞かせたらOKが出た。メロは少し手直ししたがほとんど変ってない。「プラネット・ガール」という詞になったのは、たぶんイントロなどのアレンジがSFっぽかったので、売野さんのイマジネーションが刺激された結果だろう。

売野さんとのコラボのハイライトは、やはり「Shade Of Summer」だろう。
僕はユーミンの「卒業写真」の詞が大好きだった。「卒業写真」の主人公は女性。これを男性にしたような詞を、「Blue Velvet」のようなロッカバラードのメロディ-にのせてほしいと、売野さんにお願いした。

詞が上がってきて、試しにマイクを通して歌ってみた。軽く一度歌って調整室に戻ってきたらエンジニアのそぶりが変だ。よく見ると目にうっすらと光るものが ... 。





歌も含めたすべての録音の作業が終わりミックスが始まった頃、売野さんが語ってくれたことがいまだに忘れられない。

「僕はプロだから依頼されたものをきちんとフィクションとして作ることをいつも心掛けています。
だけど、Shade Of Summerではうっかり自分を出してしまいました。プロとしては恥ずかしいことですが、
このストーリーは僕の実話がもとになっています。だからもはや冷静に聞けない。
銀次さんのメロディは自の僕を出させてしまいました。」

ソングライターとしてこれほど感激した瞬間はなかった。