ジャズドラマーの古沢良治郎さんが亡くなられた。
1月15日(土)のお通夜に行き、最後のお別れをしてきた。
2006年の大阪・祝春一番でひさしぶりにお会いしたときはとてもお元気だった。その時は、うんと若い連中と、「ね.」というボーダレスなバンドで出演、なんとドラムは全然叩かず、シンセと歌だけというのには、度肝を抜かれた。
お元気どころか、昔よりもまた一段とやんちゃになっていた。明るくオープンマインドで、いつもやんちゃだった古澤さん。まだ65歳。逝くにはまだまだ早過ぎますよ。

どうしてもジャズを演奏している古澤さんの姿をみなさんに見ていただきたかった。僕にとっての古澤さんのイメージというのは、初めてお会いしたときにジャズを叩いていたときのものだからだ。YouTubeをあれこれ探したら、なんとこんな貴重なセッションが残っていた。





山下洋輔トリオとシュガーベイブが同じ事務所ということもあって、1970年代中頃、僕はジャズのミュージシャンのかたたちとの交流があった。おりからのフュージョン・ブーム。僕の中でもジャズへの関心が高まっていたこともあって、新宿ピットインに山下洋輔トリオや古澤良治郎クインテットをよく見に行っていた。
1977年リリースのDeadly Driveの「風になれるなら」に高橋知己のソプラノサックスが入っていたり、この映像の向井滋春さんが「こぬか雨」や「スウィート・ダディー」でプレイされているのはそういう経緯からである。

そんなある日、古澤さんが「銀次、セッションやろうよ。」と声をかけてくださった。えっ、僕ジャズとかよくわかんないんですけど...。「いいのいいの、そんなの。ロックでいいからさ...。確かにその頃古澤さんのバンドはいちはやくレゲとか演っておられたので、もろジャズじゃなければと、そのお言葉に甘えて参加させていただいた。

ところがいざ始まってみるとこれがえらいことに。
ジャズのセッションはだいたい、テーマ→各プレイヤーの即興のソロ→テーマという形式になっている。ソロの順序は決まっていても即興演奏だから長さは決まっていない。
やがて僕にもソロの番が回ってきた。出せるかぎりのフレーズを駆使して弾いた後、こんなもんだろうと次のプレイヤーにソロを渡そうとしたら受け取ってくれない。目線も合わせてくれないのだ。しかたがないのでまた、もじょもじょと弾いた後、どうぞと渡してもやっぱり受け取ってもらえない。そんな四の五のが続いて、なんだかもやもやしたままそのステージは終了。
楽屋でさっそく古澤さんにそのことを尋ねると、「それはさ、銀次のソロが「終わる」って顔してないからなんだよ。」えっ、終わる顔って?
「ソロってのはさ、ひとしきり納得するまで弾ききんないと。もうこれ以上はなにも思い残すところがないって所まで行ききっちゃってさ、それでフレーズが終わるよーって顔で終わると、あー、銀次は終わったんだなーって、すっと受けとってくれるわけよ。」

そういうことだったのか。ちょこまかちょこまか小技の応酬ばかりで山も谷もなかったにちがいない。きっと指のまわりでしか音楽を考えていなかったのだろう。はじめてジャズというか、生きた音楽の入り口に立ったような気がした。具体的に僕の音楽のどこに影響があったかはわからないが、その日から音楽感が変ったことはまちがいない。演奏は言葉を使わない会話なのだと知った。

なんとあのウォーのハーモニカ奏者、リー・オスカーからもお花が届いていた。





リー・オスカーと古澤さんは81年頃よく一緒にライヴを演っていた。中でも語りぐさになっているのは、荒川区立赤土小学校での子供たちとのコンサート。当時のジャズ雑誌にもよくとりあげられていた。小学生達に熱狂的に歓迎されたらしい。三上寛さんとの二人ライヴとか、おもしろいと思うことには何でもすぐに挑戦する人だった。リー・オスカーがゲスト参加した81年の古澤さんのアルバムは、「あの頃」という。


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古澤さんが亡くなったことはつらいことだったが、ひさしぶりに懐かしい人たちと再会できた。
まず大谷直弥。1984年から87年まで僕のバンドのドラマーだった男。古澤さんのローディーだった縁で僕のバンドに。古澤さんに会ってなければなかった話だ。僕のアルバム「Nature Boy」の中の、「Heart Of Garden」と「Rock'N'Roll Child」で彼のドラミングが聞ける。
前述の高橋知己とは、2006年の祝春一番で会っていたが、そのときはゆっくり話せなかった。今度どこか僕のライヴで知己のソプラノサックス入りで「風になれるなら」を演ろうと約束した。
山下洋輔トリオのドラムスの小山彰太さんも声をかけてきてくださった。洋輔トリオとの僕のなれそめや全冷中の話など、彰太さんと初めてたっぷりお話ができてよかった。

古澤さんのバンドで僕がセッションさせていただいた頃のメンバーは、

     古澤良治郎 (Drs)
大徳俊幸 (Pf)
     望月英明 (Bass )
     高橋知己( Sax)
     廣木光一 (GTR)

いま思えば、無鉄砲というか、僕はすごい人たちと演らせてもらっていたものだ。
その廣木君や大徳さんにも会うことができた。
当時、大徳さんに、アドリブ中に音がコードからはずれちゃったらどうすればいいんですかという質問をしたことがあった。
するとごく当たり前のように「そういう時はすぐ半音上か下に動かせばいいんだよ。なにかのテンションになってるはずだから」とのお答え。そりゃ確かにそうだけど、ぶったまげた。全然お変わりなくて、うれしくなった。

みんなとまたひき会わせてくれたのが古澤さんだと思うと少し複雑な気持ちになる。
古澤さん、いろいろありがとうございました。ご冥福を祈ります。