昨年の僕の還暦ライヴにも参加、黒沢君と銀次と「こぬか雨」を演ってくれた青山陽一君。いつのまにか国際的なところで、さりげに快挙をとげていたではないか。
なんとSW YouTube Contest という、スティーヴ・ウィンウッド・オフィシャルサイト主催の"Can't Find My Way Home"カヴァー・コンテストで、青山陽一 & The BM'sの演奏が第2位に輝いたのだ!すごいじゃないか。おめでとう!
YouTubeによる参加なので、腕自慢がこぞって世界中から参加できるわけで、その応募の中からの2位ということは、はっきりいってどえらい快挙だといえる。その詳細を確認したいかたはぜひこちらをご覧あれ。

   http://www.stevewinwood.com/news/16461

それでは第2位に輝いた、青山陽一 & The BM'sの Can't Find My Way Homeをどうぞ。





エントリーされたものをスティーヴ自身が見て決めたとHPにある。もしほんとならこれはエライことだよ。僕も彼の大ファンだからこの事実だけで相当興奮してきた。スティーヴをよくご存じないかたのために少し説明しておこう。
スティーヴ・ウィンウッドは1960代中頃、ザ・スペンサー・デイヴィス・グループのソウルフルなリード・シンガー&ソングライターとして頭角を現し「Gimme Some Lovin'」「I'm A Man」などのヒットを飛ばした天才ミュージシャン。その頃まだ10代だとは思えない歌唱にしびれた。その当時の神童ぶりを見ていただこう。





1967年の映像だから19歳だ。いやはや恐ろしい。その後トラフィックを結成するも、1969年にエリック・クラプトンたちとブラインド・フェイスを結成。アルバム1枚で解散したがこのCan't Find My Way Homeはそのアルバムに収められた曲。ブラインド・フェイス時代の珍しい映像もあるが、ここはギターを弾いている彼の姿を見ていただきたい。
2007年のクラプトンとの共演、2分の1ブラインド・フェイス再現で、本家スティーヴ・ウィンウッドをごらんあれ。いいんだから、これも。





80年代に「Higher Love」などで不死鳥のように蘇ったときは我がことのようにうれしかったね。
ほんとにマルチ・プレイヤーでギターも、歌とキーボード同様、すごく巧い。噂ではクラプトンはブルース以外の曲での弾き方をブラインド・フェイス時代に彼のプレイぶりから学んだとのこと。

ちなみにコンテストの1位に輝いたのは、Brenna Fitzgeraldという女性。彼女が獲得した1位賞品はスティーヴ・ウィンウッドのサイン入りフェンダー・ストラトキャスター。これはちょっと残念だったね。青山君。

2004年5月に“ 怪しい隣人”という青山君のライヴでいっしょにDear Mr. Fantasyを演った時から、大のウィンウッド好きだと知ってたから、この賞がどんなにうれしいか僕にはよくわかるよ。
僕も負けず劣らずウィンウッド好き、うらやましさを通り越してちょっぴりジェラシーすら感じたもんね。だけどなにはともあれこれはパチパチもの。すなおにパチパチ、パチパチなのである。おめでとう。

1月14日南青山MANDALAで、青山陽一&The BMs凱旋公演ともいえる、今年初のライヴがあった。
その日は東京メトロ千代田線で表参道にちょうどいい時間に出てきていたのに、何を勘違いしたのか、銀座線を逆方向の渋谷方面に乗ってしまった。表参道→外苑前→渋谷だと思い込んでいたのだ。
年を取ったからというより、この手の勘違いは昔からしょっちゅう。何か考え事をしているときがやばい。この銀ドジのお蔭で、また渋谷から外苑前へ。やれやれ ... 。

MANDALAの受付に着いたときには、もう1曲目が始まっていた。オーマイゴォ。この日もあやうく「寒い国から来た銀次」みたくなりそうだったが、大事件はそれくらいだったので、残念ながら(?)普通のレポで行くことにした。

青山君のライヴの中ではThe BMsが一番好きだ。青山陽一(GTR)、中原由貴(Drs)、伊藤隆博(Key)のトリオの緊迫感がいい。今回はベースに千ヶ崎学君を加えていわばフル装備での2011年ライヴ初めだ。

今年も青山君のギターがいい音している。実は彼にいい音の秘密をちょっと教えてもらって、それを試してみたら僕も僕なりにいい音になったのだが、青山君にはやっぱりかなわない。右手のピッキングがちがうなと見入ってしまった。ただ今回は歌物が多かったので、青山陽一ギター・フリークの一人としては、もうちょっと長めのソロを聞きたかった。

青山君のおしゃれなサウンドと、それとは異なるベクトルの独特の詩は、他に類を見ないユニークな関係で、中でもこの日演奏された「25時」という曲の詞はちょっとすごかった。

  ♪妻も娘も親も知る由もない 妻も娘も親も知る由もない ...

このサビのリフレインを聞いていると、夜中に青山君が家族に内緒で行灯の油をなめているとか、はたまたバタンバタンと青山君の部屋から深夜音がするのでのぞいてみると、実は青山君は鶴で、自分の羽根でハタをおっているといった尋常ならぬ光景が浮かんできて、自分のあまりの不謹慎さにこわくなってしまった。あのときMANDALAにいた人でそんな奇妙なことを想像したのはまちがいなく僕だけだろう。

今年最初の演奏ということもあって、全体に力みのない余裕のある演奏だった。やはりベースが入ると生まれる余裕なのだが、バンド演奏はおしゃべりと同じ。いつも3人でしゃべっても充分音が埋まっているところにもう一つ楽器が入ってくると、確かに迫力や厚みはでるが、すきまが少なくなる分、少し緊迫感に欠ける気がした。
3人でしゃべるときと4人でしゃべるときではしゃべりかたを変えなければならないように思う。

休憩をはさんで、青山君の紹介で寺尾紗穂さん登場。以前からお名前はうかがっていたが、ライヴを見るのは今回が初めて。どこかジョニ・ミッチェルを思わせる声の出し方だなと思った。
お父さんは仏映画翻訳家の寺尾次郎さん。ハイファイセット、そしてシュガーベイブでいっしょにプレイしたことがある。そうか、彼女があの寺尾君の娘さんなのか...。どことなく面影を紗穂さんの表情にたどっては、ハイファイセットの国領の合宿や、TV出演でケニー・バレルとロン・カーターに会って大騒ぎしたこととか、一人思い出ににふけってしまった。
ソロで4曲。どうしてこんなに70年代な音楽なんだろう?吉田美奈子さんの「扉の冬」とかを思い出す。彼女と同世代はもっとちがう音楽を聞いて育っているはずだ。子供の頃、お父さんの影響を受けたのだろうか?うれしさと不思議さが入り交じった思いで聞き入った。
やがてThe BMsが再登場、いっしょに2曲。若き日のダニー・クーチとキャロル・キングが組んでいたシティを彷彿とさせた幸福な瞬間。新春青山ショーは終始ゴージャスな雰囲気で進行した。

この夜の南青山MANDALAには鈴木祥子さん、タマコウォルスの鳥羽さん、宮崎圭介君も見に来ていた。祥子さんとは以前モータウン特集の番組で「What Becomes Of The Broken Hearted」をいっしょに歌って以来。全然お変わりがなくいつ見ても少女のようだ。最近大瀧さんのトリビュートに関わっておられ、1月26日に「青空のように」を出される。
鳥羽さんにはこないだのタマコウォルス録音の秘話を聞く。最近聞いたバンドものでは秀逸の出来だったのでエンジニアリングもしている彼にどうしても聞きたいことがあったのだ。
休憩のときに宮崎君が挨拶してくれた。終わったらゆっくり話そうと思っていたらうっかり会えなかった。青山君のギターの話や、ウキウキ教への勧誘をしようと思っていたのだが残念だった。黒沢君にアドレスを聞いてメールしよう。

青山陽一君と出会ったのは意外と昔のこと。1989年グランドファーザーズ時代に僕の番組にゲストで来てくれたとき。思えばもう20年以上前。だけど音楽空間を共有し始めたのはごく最近のこと。これもなにかの思し召しであり、兆しなのかもしれない。このコンテストをきっかけに外国にうってでるというのはどうだろう?
「洋服の青山」ではなくて「洋楽の青山」ということで ... 。