にわかに「ジュリー部のナゾ」で盛り上がる「サンデー銀次」。といっても僕だけが勝手に盛り上がっているのかも知れないが、そんな折、タイムリーに、音楽プロデューサーの木崎賢治さんから昨夜電話をいただいた。24日は仕事があり、僕のバースデー・ライヴには残念ながら参加できないとの電話だった。
ひさしぶりだったので少しお話しをしたのだが、驚いたことに、木崎さんから内田樹さんのお名前が出た。銀色夏生さんから推薦されたのがきっかけで、内田さんの本を読むようになり、とても影響を受けているとのことだった。その木崎さんが内田さんのツイッターをフォローしていたら、なんとそこに僕の名が...。しかも加えてナゾの「ジュリー部」の名が ...。

木崎賢治さんといえば、吉川晃司、山下久美子、大沢誉志幸、槙原敬之、トライセラトップス(敬称略・順不同)などを育てた音楽プロデューサー。アーティストのいいところを引き出し成功に導く名伯楽である。かくいう僕も木崎さんによってアーティストとして開眼させられた。彼から学んだものはほんとに多い。大瀧詠一さんと並んで、僕の二大師匠の一人である。
そして木崎さんの手がけたアーティストで絶対忘れてはならないのが、ジュリー、沢田研二さんだ。沢田さんの黄金時代は、木崎さんが加瀬邦彦さんとともに支え創りあげてこられたものだ。

内田樹さんのツイッターを見て、僕の名前とジュリーの名前を見つけたら、それは驚くだろうね。
僕と内田さんの関係にとても興味をもっておられた。できれば僕から紹介してほしいような雰囲気だったが、なにしろ内田さんには一度しかお会いしていないのだ。一度しかお会いしていないのに、僕の周辺のひとたち、武蔵小山アゲインの石川さん、高校の同級生の阿部君、宝塚の光安さん、そして意外にも大瀧さんも関係があったりして、ひとことではなかなか複雑で説明しにくい。木崎さんに説明したけれどはたして理解してもらえたのかどうか... 。とりあえず武蔵小山アゲインの石川さんに相談してみよう。

木崎さんと初めてお仕事したのは、沢田研二さんのアルバム「G.S. I Love You」だった。



当時はまったく意識してなかったけど、僕のアレンジ、「悲しみはぶっとばせ」だね。


そんなこんなで、ひさしぶりに武蔵小山アゲイン店長の石川さんに電話をした。ジュリー部のことや木崎さんのことなど報告したら、どうもアゲインが最近とんでもないことになっているらしい。とんでもないと言っても僕にはうれしいことなのだが、お客さんの数がこの何日か急激に増えているらしい。きまじめな方だから、逆に戸惑っておられる。いよいよアゲインの時代がきたんですよと、明るく励ましておいた。まだ行ったことのない方はぜひアゲインに足を運んでください。そこには日本人がなくしそうになっている大切なものがまだあるので。


いつも元気過ぎるくらい元気な木崎さんだが、1994年に一度だけ日赤に入院なさったことがあった。心配でお見舞いに行ったら、もうずいぶんお元気になられていて、ほんとはいけないんだけど、請われてお土産に持っていったちらし寿司をぺろりとたいらげてから、枕元にあった1本のテープを聞かせてくださった。ビートルズのカバー曲だった。まだ荒削りだがいい声だ。「彼はすごい有名なかたのご子息でね、大事に育てていこうと思ってるんだよ。」曲は「I've Just Seen A Face」で歌っていたのは、まだデビュー前の和田唱君だった。





いま思えばまだトライセラ結成前の唱君の貴重な瞬間に立ち会えた気がする。そんなことを木崎さんとのひさびさの会話に思い出していた。ある意味で僕も彼も木崎門下生なのだ。
ちょうど偶然12月20日に「なごみの本をありがとう」で唱君のお父さんの和田誠さんのことをとりあげたばかりだったから、そこに木崎さんからの電話はまさにシンクロニシティーであった。

この頃、また若い時のように、数々の出会いが起きているのはなぜだろう?すべて黒沢君との出会いから始まっているような気がするのだが ...。

12月24日に出演してくれる久保田洋司君とは11月20日の代官山・晴れたら空に豆まいてでの「おりづる、とんだ」というイベントで共演した。初共演だったと僕がかんちがいしていたことについては、「サンデー銀次」11月24日号の「怒濤の3日間 Part.3 ~ おりづる、とんだ」を見てね。
現在は作詞家としても活躍中だが、こないだデビュー25周年記念の素敵なアルバム、「トナカイ」をリリースしてアーティストとしても精力的に活動している。uncle-jamがお世話になっている三崎の藤沢宏光さんつながりでもある。

こないだの代官山での打ち上げではあんまりいっぱいお話ができなかったが、1991年8月渋谷クアトロで行われた僕のプロデュース・イベントで、いっしょにビートルズの「今日の誓い(Things We Said Today)」をやったときの僕の歌い方がすごく印象に残っていると言ってくれた。そのとき僕はひとつ久保田君に告白して懺悔しなければならないことがあったけれど、喉元まで出て言い出せなかった。あまりにも恥ずかしいオバカな話なので...。
それは、80年代にレギュラーだったFM番組の中で、彼の所属していたグループ「THE東南西北」の曲をかけるときに、うっかり「ザ・とうざいなんぼく」と紹介してしまったことだ。うー、恥ずかしい。そのときは連日の徹夜レコーディングで疲れていたとはいえ、まったくどうかしていた。なにとぞお許してくだされ。



この曲が好きだった。なんとアレンジが村松君なんだね。


今回のブログを書き始めたのは21日だったけれど、24日に遊びにきてくださる方からのお返事へのお返事や、さらに新たに歌いたいと行ってくださる方たちがいて、黒沢君とのやりとりなどしていたら、日をまたいでこんな時間になってしまった。日付的にはあと3日。明日はいよいよスペシャル・セッションのリハーサルがある。早く寝なくちゃ。