「サンデー銀次」史上、始まって以来の3日連続更新!いよいよpart.3、「怒濤の3日間」の最終回である。
毎日この濃い情報量、さすがに疲れてきたけど、読む方も大変だろうね。
黒沢君からも、無理をしないでくださいねと、心配とねぎらいのメールをいただいた。
ありがとう。何が僕をかりたてるのかはわからないけれど大丈夫!
僕にとって文字を書くことは、音楽をするのと同じくらい楽しいことだから。僕の心を動かした素敵な出来事を、いつもこのブログを楽しみに読んでくれる人たちと共有したい。思うことはただそれだけなのだ。

「サンデー銀次」11月11日増刊号で告知したように、20日(土)、代官山「晴れたら空に豆まいて」での「おりづる、とんだ。」というイベントに、青木ともこさんとのユニット、クラウディ・ベイで出演した。
この日は、ライターで晴れ豆のブッキング・マネージャーでもあった、角野恵津子さんの四十九日。
生前いつも開場前、各テーブルの上に置くための「折り鶴」を折られていたとのこと。この日の出演者はみんな、角野さんに応援してもらったり、お世話になったアーティストだったので、このライブ・タイトルがつけられた。

だからといって追悼ライブというわけでもない。角野さんにお世話になったミュージシャンは、僕たちだけではなくほんとに大勢で、とても僕たち4組だけで代表して追悼しきれるものではないからだ。
角野さんはすべてを捧げて、たくさんのミュージシャンを愛し育み、その音楽を愛してくださっていた人だった。
何かの因縁で、たまたま彼女の四十九日に、ゆかりのある晴れ豆で演奏できた僕らは幸運である。
僕たちからの彼女への感謝の気持ちをこめた演奏を、きっと角野さんも見に来てくれ喜んでくれていたのではないかと思っている。

クラウディ・ベイは2006年の結成当時、「クラウディ・ベイの風」という菅野さん企画のシリーズ・イベントでお世話になった。山本英美君&山越直彦君、リクオ君、堂島孝平君など、毎回豪華なゲストに来ていただけたのも彼女のおかげだ。そして「おりづる、とんだ。」の出演者のZABADAKとは、第3回のゲストに来てもらったときが、初めての共演だった。

ひさびさの晴れ豆、そしてひさびさのクラウディ・ベイ名義のライブ。ラカーニャに続いて戸田吉則君にウッドベースで手伝ってもらった。
お客さんを値踏みするなんて、アーティストとしてほめられたものではないが、この日のお客さんは実にレベルの高い、耳の肥えたお客さんだというのが、ステージに立ってひしひし感じられた。
それが不思議とプレッシャーというより、いい緊張感を生み出してくれ、気持ちよく演奏できた。ありがたい。ちゃんと聞いてもらえているという実感はミュージシャン冥利につきる。下記がそのセットリストである。

01) 六月
02) Runaway
03) G-Chord Song
04) 海を近くに

01)は詩人茨木のり子さんの詩に僕が曲をつけたもの。02)は青木ともこさんの訳詞によるザ・コアーズのカバー。03) はザ・ローチェスのスージー・ローチェの曲におなじく青木さんの訳詞をつけたもの。
04) は茨木さんの詩に、吉岡しげ美さんが曲をつけたもの。
02)から04)で、戸田君にウッドベースを弾いてもらった。少ない楽器で、空間をうまく使った音楽をめざしたいので、柔らかくボトムを支えてくれる戸田君のウッドは、うってつけだ。



クラウディベイがカバーしたThe Corrs / Runawayのオリジナル


種ともこさん、ZABADAKとはほんとにひさしぶりの共演。とても楽しみにしていた。
種さんの音楽はほんとに種さんだ。いつも聞くたび、ケイト・ブッシュなどを思い出してしまう。
幼女のような感性で、スティーリーダンやブルース・ホーンズビーのようなテンション感のあるコード・ワークを自在に駆使して演奏される「ちいさい秋みつけた」が大好きだ。

この日風邪をひいていたというのに、ZABADAKの吉良知彦さんは、そんなことをおくびにも出さないパワフルでスケール感のあるギター・プレイをみせてくれた。途中さすがにがまんできなくて洟をかみに楽屋へ大急ぎでかけこむシーンがあったが、けっして全体の緊張感をそこなうものではなかった。
ヨーロッパまで演奏に出かけたという経験値の高さが、あいかわらず迷いのないグローバルな音楽に輝きを与えている。その音楽の佇まいが潔くて好きだ。そして、いつ聞いても「遠い音楽」はしみてくる。

久保田洋司君はクラウディベイに続いて2番目の登場。永遠に少年のままなんじゃないかと思わせる、瑞々しいステージ。どこかザ・スミスとかを思い出した。実はこの日を僕はとても心待ちにしていたのだ。

uncle-jamは、三崎在住の音楽プロデューサー、藤沢宏光さんのスタジオで頻繁に作業をさせていただいている。作業が終わると、「お疲れさま」と称して、たいてい明け方近くまで、三人で飲みながらいろんな情報交換するのだが、藤沢さんのお話の中で、何度も久保田君の名前が出て来ていた。
そんなことで、僕の中を久保田君のイメージが一人歩き始めたと思っていたら、なんと示し合わせたようにイベントで共演することが決まったのだ。
やっと久保田洋司君といっしょにライブができる!昔、古賀森男君と永井ルイさんとのライブのときに、紹介されたっきりでやっと共演できる!三崎のことについても話せるぞとわくわくしていた。僕はすっかりライブの前日まで初の共演だと思い込んでいたのだった。
ところがどっこい、とんだ記憶ちがいだったことが打ち上げで判明した。Oh my god !!

1991年8月渋谷クアトロで、BL.WALTZやPSY・Sのチャカさんが出演したFRAMES OF DREAMESというイベントがあり、古賀森男君と「いるかブラザーズ」というユニットで出た久保田君と、すでに共演していたのというのだ。しかも銀次プロデュースのイベントだという。えー、なんでだ。そんな馬鹿な。なぜか僕の記憶からその部分がみごとに欠落しているではないか。
そう言われると、PSY・S のチャカさんがキッスの「Hard Luck Woman」を歌ってたことなど思い起こされてきた。だが久保田君たちとビートルズの「今日の誓い」をいっしょに歌ったという記憶がない。
何はなくとも記憶力だけには自信があったのに ...。しかも自分でプロデュースしておきながら覚えてないとは ... 。ギンジ、ショックだ。
ぽっかりあいた「銀次の記憶の穴」を発見した夜だった。

この日久保田君は、古賀森男君の「スクーター」を歌ってくれた。懐かしいね、いい曲だ。フェビアンの古賀君が僕のバンドでギターを弾いてくれてた頃を思い出す。
古賀君、どうしてるんだろう?なんだか無性にフェビアンが聞きたくなった。



ドラムの彼こそ誰あろう、一昨日のブログで紹介した、クマちゃんこと熊倉隆君だ。


三崎の藤沢さんを尋ねたことのあるミュージシャンは、久保田君やuncle-jamだけではない。
リクオ君やヒートウェイブの山口君も訪れている。僕はこれを心の中で秘かに「三崎コネクション」と名づけている。
先月の三崎滞在中に藤沢さんから聞かせてもらった、元「詩人の血」のヴォーカル、辻睦詞君の最新のデモはすごかった。自分の声を多重録音して、ビーチボーイズのなどのコーラス曲を演っているのだが、ただのポップではない。ブラックホールのような吸引力があり、あえて形容するなら、ブライアン・ウィルソン meets シド・バレットかな。黒沢君も僕もそのサウンドに首ったけになってしまったのだが ... 。
なんと驚いたことに、その辻君が、その日お客さんとして晴れ豆に来ているではないか!

ZABADAKの小峰公子さんから僕が出ると聞いて、わざわざ見に来てくれたらしい。ギターの感じをとても気に入ってくれたようで、初対面で話が弾んだ。この偶然のチカラには思わず、同じく見に来てくれていた黒沢秀樹君と顔を見合わせてしまったほどだ。まさに「三崎コネクション」大集合の日になった。

戸田君は黒沢君の今のバンドのメンバーで、その戸田君と黒沢君が初めて会ったのが、なんと戸田君が久保田君のバンドのメンバーだったときだという。ここにもあちらにもいくつもの出会いや再会が ... 。
最後はこの「三崎コネクション」を発展させて、いつか「三崎音楽祭」をやろうぜと、やおらみんなで盛り上がった、代官山の打ち上げであった。

「おりづる、とんだ。」に来てくださったみなさん、晴れ豆のスタッフのみなさん、momentの寺澤君、そして角野恵津子さん、どうもありがとうございました。第2回も期待しています。

はじめは、それぞれただの「点」に過ぎないものが「線」としてつながり、それがやがて「面」になり、最後は立体となって動き始める .... 。
SF好きの僕の感じかたは、年齢の割にロマンティック過ぎるかも知れないが、そんなほのかな予感が、寄せてはかえし寄せてはかえした、至福の3日間だった。