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□2010年05月30日号□

Hello Again 三崎港!

一月に続いて、また三浦半島最南端の町、三崎にやって来た。

今週いっぱいは、三崎在住の音楽プロデューサー、藤沢宏光さんのスタジオに、黒沢秀樹君と立てこもり、二人のユニットのデモ音源作りに集中した。
今週はそのリポートをお届けしよう。

雨模様の月曜日、黒沢君は録音機材などの運搬もあるので、自分の車で、僕は小田急線湘南台から横浜市営地下鉄ブルーラインに乗り換え、上大岡まで出て、そこから京急本線特急で三崎口まで直行、駅のターミナルで午後3時頃待ち合わせた。
合流後、藤沢宅へ。
旅の疲れももろともせず、セッティングを済ませるや、さっそく作業開始。
ここに来るまで黒沢君と二人で半年近くかけて、あーでもないこーでもないと、慈しんで育てて来たメロディーや詞が、サウンドを伴って、いよいよ形をなしはじめる。
翌火曜日には早くも一曲目がまとまってきた。さいさきがいい。

その夜は、
藤沢さんがプロデュースしている、三崎銀座商店街にあるイタリアン・バール・スタイルのカフェに出かけて、ディナーを楽しんだ。

「週刊銀次」2010年3月28日号でお知らせしたように、藤沢さんは現在、この三崎在住の子供たちからなる「かもめ児童合唱団」をプロデュースしていて、ファースト・アルバム「焼いた魚の晩ごはん」が出たばかり。
安倍なつみさんやTHE BOOMの宮沢和史君がゲストボーカルで参加していたり、矢沢永吉さんの「アイラブユーOK」、スピッツの「田舎の生活」、THE BOOMの「故郷になってください」といった意表をつく選曲など、藤沢さんの包丁さばきは実に見事なのだが、それよりもなによりも、主人公である子供達の、邪心のない歌声が、まっすぐ力強く突き抜けて響いてきて、思わず心が揺さぶられる感動的なアルバムなのだ。

中でも僕のお気に入りは、アルバムの最後を飾るタイトル曲「焼いた魚の晩ごはん」。
これを聞いてじーんとこない日本人はたぶんいないだろう。
この曲は黒沢秀樹君の作曲。
何かが降りて来たんじゃないかと、おもわず思ってしまう自然体なメロディーに、日本人の心の原風景にふれてくる、藤沢さんの詞がついて、マジックが起きた。
かもめ児童合唱団の「焼いた魚の晩ごはん」、ほんとうに心から、多くのひとたちに聞いてほしいアルバムだ。

その藤沢さんが、今度は三崎にできたイタリアンなお店をプロデュース。
「喫茶館・ミサキプレッソ」という名のこのお店は、内装といいメニューといい、かかっている曲といい、まるで下北沢にあってもおかしくないオシャレなお店。
この夜は、エビのリゾットと、マグロのトマト・ソース・パスタをいただいたが、三崎だけあって魚が新鮮で、味付けもごきげん、食後のカフェラテも香り芳醇で大満足、とてもボーノな夜だった。

昼はパスタ+サラダ+コーヒーのランチ。
夜はワインが登場、そのイタリア・ワインの品揃えがすごくて、しかもとにかく安い。
三崎で唯一だからあたりまえだが、あえて三崎で一番だと思わずいいたくなるカフェ&トラットリアだ。
三崎商店街の中華料理店「牡丹」の右隣、黄色いオーニングにMPと書かれていて、商店街の中でもひときわ異彩を放っているので、すぐに見つかると思う。
三浦半島に遊びにきた際には、ぜひ寄ってみてくださいね。

その夜ちょうど、ネタンダーズのリーダー、三崎在住のドラマー高野純一さんが遊びにきていた。
以前からバンドの名前はよく耳にしていたが、会って話すのは初めてだった。
ジャズっぽい即興性の高い演奏をするグループだそうだ。一度見て聞いてみたくなった。
それにしても、東京でもあった事のないミュージシャンに出会えるなんて、なんて三崎はミラクルな町なんだ。

すでにこのカフェには、多くのミュージシャンたちが訪ねてきている。
僕の知り合いでは、リクオ君やヒートウエイブの山口洋君もやって来たそうだ。
「かもめ児童合唱団」の存在も含めて、三崎の噂は徐々にミュージシャンたちの間でふつふつと泡立ってきているようだ。

火曜日の午前中、作業前に、油壷マリンパークまで走った。
往復約10km。三崎に来たもうひとつの僕の楽しみは、海からの風を受けながら、海辺を走ることだ。
海の近くを走るのはとても気持ちがいい。
海から「マイナス・イオン」が出ているからなのだろうか?心も体ものびのび、細胞のひとつひとつが、みるみる元気に躍動してくるのを感じる。

水曜日は近場をウロウロ、木曜日には城ヶ島大橋を渡って城ヶ島まで走っていった。
城ヶ島は前回来たときは公園に行ったので、今回は灯台を目指した。
灯台の手前を左に折れ、土産物屋の通りを過ぎるとそこからハイキングコース。
太平洋の潮風にうたれながら、馬の背洞門まで行って帰って来た。
城ヶ島といえば、北原白秋の「城ヶ島の雨」。子供の頃、好きな歌のひとつだった。
少年期を大阪で過ごした僕は、まさか小学校で歌ったあの歌に出て来た城ヶ島を、こんなふうに走ることになろうとは、想像もできなかった。
汐の香りを感じていたら、子供の頃、家族で行った海水浴での事件を突然思い出した。

まだ自力で泳げなくて、浮き輪につかまりいい気になって、浜辺から離れたところでバシャバシャと遊んでいた。
気がつくと浜がずいぶん遠くなっている。
いつのまにか引き潮にのって、沖へと流されそうになっていたのだ。
あわててバタ足で浜に向かって泳ごうとするのだが、潮の勢いが半端じゃなくて、
気持ちとは裏はらに、どんどんどんどん、湾の外へと押し流されていくではないか。

生涯あれほどあせったことはなかった。
泣きながら大声で父親の名を呼ぶのだが、浜辺で陽に当たりながら眠っているらしく、気づいてくれない。
何度も何度も呼ぶうち、やっと声に気づいた父親が起き上がり、キョロキョロと僕を探している。
さらに大声で呼ぶと、やっと僕を見つけ、全速力の抜き手で泳いできて、間一髪のところで助けてくれた。
もし、あのまま外洋に押し流されていたらと思うと、今でもぞっとする。
そんな事を思いながら、城ヶ島大橋を渡って帰ってきた。

毎日びっちり作業を続け、いよいよ金曜日。
たくさんのスケッチ曲の中から選ばれた4曲が形をなしてきた。
一月の曲と合わせると5曲。設計図通りの部分もあれば、予想外におもしろくなった曲もある。
いよいよ本格的に秀樹・銀次のユニットのスタートだと実感されて、さらにやる気になってきたし、自らに課す課題も見えて来た。これを東京に持ち帰り、いよいよ次のモードに突入だ。

来るたびになんだか愛着がわいてくる。土曜日後ろ髪をひかれる思いで三崎を後にした。
犬のミルトン、猫のきくぞう&リリィ、かわいいおもてなしありがとね。
じゃれるのはいいけど、ケンカしないでなかよくするんだよ。

そして、藤沢ご夫妻、暖かいおもてなし本当にありがとうございました。

お世話になったお礼に、いい結果を出せるようにがんばります!


伊藤銀次
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□2010年05月23日号□

今でもときどき発作のように、無性に食べにいきたくなるラーメン屋さんがある。
それは今はなき笹塚大勝軒だ。
残念なことに、もうずっと前に店はなくなっているので、食べに行けるわけがないのだが、食べにいけないとわかっているから、よけいに僕の脳が記憶している味の思い出が、年々美化され肥大していく。
今週は僕にとっての「幻のラーメン」笹塚大勝軒のお話しをしよう。

ちょうど「Deadly Drive」の頃だから、1977年頃、僕は笹塚に住んでいた。
笹塚駅前の観音通り商店街を3分くらい歩くと、通りが右に折れる手前あたりに、いつも人が並んでいてなにやらいい匂いのする店があった。
屋号を見ると「大勝軒」。別件で前を通ると決まっていつも人が並んでいる。
気になって気になって、ついにある日、たまたま並んでない日があったので、プラッと入ってみた。
席数はカウンターに5席だったか6席、記憶は定かではないが、二人がけのテーブル席が一卓だけあったように思う。
小柄で眼鏡をかけてテキパキ働くご主人と、おかみさんの二人でやっているらしい。
腹が減っていたのでラーメンの大盛りをたのむとおかみさん、

「うちは並で二玉なので、大盛りはやめたほうがいいですよ。」

初めての店なので、言われるがまま「並」を頼むと、出て来たラーメンの量の多さと、醤油ベースのスープの煮干しの香りの強さにガーン!
おそるおそるスープをひとすすりすると、浮かしてあるユズの皮の香りと相まって、今まで味わったことのない未知の旨さ。
麺は固すぎない僕好みの少しモチっとした食感。
食べ始めると止まらなくて、若かったせいもあるが、ペロっと食べてしまった。
大阪出身の僕が、生まれて初めて出会った、魚介系東京醤油ラーメンだったのである。
しかしそのままでは終わらなかった。

その後何日かすると、なぜか無性にまた食べたくなってくるのだ。
すぐ近所なのでまた食べに行き、これだこの味だと納得して帰り、また一週間ほどすると食べたくなってくる。
この「また出かけこれだこの味納得帰り」を繰り返すうちに、すっかりやみつき、笹塚から引っ越してからも、わざわざ足を運んで食べに行くほどのファンになってしまった。

ところが80年代に入ってからのこと、しばらく行っていないなと、ひさしぶりに出かけて見たら、なんと「ミスターチン」という中華料理店に変わっているではないか!

当時いろいろ調べてみると、どうやら大勝軒には、東池袋大勝軒系と永福町大勝軒系の大きな二つの流れがあることがわかった。
東池袋は言うまでもなく、あの「ラーメンの神様」山岸一雄氏を開祖とする、つけ麺&特製もりそばの流れである。
なくなってしまった笹塚大勝軒は永福町大勝軒系だという。
そこで本家の永福町大勝軒に出かけてみた。

本家なので、当然ユズの香りも同じ、確かに旨かったが、笹塚に比べると僕には少し油っこい感じがした。
さらに同じ系統で、梅ケ丘にも大勝軒があることを知り、そこにも食べに行った。
僕の舌のイメージでは、永福町より笹塚に近い感じがしたが、逆にちょっとあっさりしている気がした。
(いま梅ケ丘大勝軒は屋号が「勝や」に変わっている。)

その後も同系列の大勝軒を見つけては行ってみたものの、あたりまえだが、あの笹塚と同じ味の店には出会えなかった。
最近はあまりラーメンを食べなくなったが、もしご主人がどこかでご存命ならば、たった一度でいいから、もう一度あの笹塚大勝軒のラーメンを食べてみたい。
ピーター&ゴードンではないが、「つのる想い」である。

ラーメンの話しをしていたら、麺類つながりで面白い話しを思い出した。

僕がまだ佐野元春withザ・ハートランドのメンバーだった頃、確かサムデイ・ツアーの四国でのことだったと思う。
当時僕らのメインPAマンのシューゾーが、旨いんだけど、とっても頑固な変わった親爺さんがやってるといううどん屋に、みんなを連れていってくれたときの話しだ。

佐野君、シューゾー、そして僕とメンバーがゾロゾロ入っていくと、無駄な装飾のない素朴なうどん屋さん。メニューも普通にいろいろありだが、シュウゾーいわく「とにかく玉子うどんをたのんでみー、おもろいことになるから。」
奥をチラ見すると、偏屈を絵に描いたような親爺さんが黙々とネギを切っている。
好奇心と重苦しさが僕たちの間にたれこめたが、こういう微妙なシチュエーションでいつも大役を押し付けられるのは、人柄からいって、必ずサックスのダディ柴田さんだった。
この日も嫌がるダディさんを、みんなで言いくるめて、天ぷらうどんが食べたいって言っていたのを、玉子うどんを頼んでもらう事にした。

ご主人とは好対照に、いかにもやさしそうな奥さんが注文を取りに来た。
めいめい玉子うどん以外のうどんを頼み終わると、一呼吸おいてダディさんが、玉子うどんを頼んだ。その瞬間だった。
ネギを切る手をタッと止めたかと思うと、親爺さんが目にもとまらぬ早さでダディさんの前に来て、こう言い放ったのだ。

「玉子うどんはやめとき。玉子はダシの味をこわすからな。天ぷらか天かすにしとき。」

あっけにとられるダディさんと俺たち。笑いを必死でこらえるシューゾー。

確かに言っていることはわからないでもない。
ダシのうまみを玉子のうまみが消してしまうという理屈なのだろう。
だが、ずらっと壁に貼られた品書きの中には、明らかにちゃんと「玉子うどん」と書かれているではないか?!なのになぜ注文できないのか?

たぶん、あれは親爺さんにとって、お客を試し諭すという「愉しい儀式」だったのだろう。
うどんはとても旨かったが、それにしてもおもしろい店だった。
なんだかダディーさんに会いたくなっちゃったな ...。元気にしてるだろうか?

話しに「天かす」が出て来たのでもう一つ、佐野元春 with ザ・ハートランドに関する「麺類ネタ」(?)を!

あれはまだ佐野君がブレーク前、アルバム「Heart Beat」の頃だったと思う。
大阪でオフの日があった。佐野君やベースの小野田君などメンバーは、雀荘で麻雀を打って時間をつぶすことになった。
僕は別の用事が入っていたのか、なぜかそこには参加しなかった。
もう30年も前の話しなので、そのあたりはよくおぼえていない。

翌日ホテルのロビー集合の約束になっていたので、待っていると、やってきた佐野君たちは何やら機嫌が悪そうなのだ。
事情を聞いてみると、昨日雀荘で「たぬきうどん」を注文したら、そんなものはないと言われたというのだ。
そんなわけはない、いやそんなもんはない、いやあるはずだと、すっかり押し問答になってしまったらしい。

「銀次、これはいったいどういうことなんだい?」

確かに、東京には「たぬきうどん」は存在する。
「うどん」に「天かす」をトッピングしたヤツだ。
だが大阪では、これを「たぬきうどん」とは呼ばず、「ハイカラうどん」と呼ぶのである。
そう注文していれば望みのものに出会えたのだが、これを「たぬきうどん」と注文したため、事件が勃発したわけだ。

さらに大阪では、油揚げの載ったうどんを「きつね」、油揚げの載ったそばを「たぬき」と呼ぶ。
ちょっと頭がこんがらがってきそうだが、大阪には「たぬきうどん」がないように「きつねそば」という呼び方もないと言う事になる。

「秘密のケンミンSHOW」のはるか30年も前に、土地柄の違いに遭遇した佐野君達は、僕がいくら説明しても、どうにも納得がいかなかったようだ。
ザ・ハートランドで大阪出身は僕だけだったからね。


伊藤銀次
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□2010年05月16日号□

あまりにも素晴らしかった、武道館ライブの余韻を味わいたくて、キャロル・キングとジェイムス・テイラーの「Live At The Troubadour」を買ってしまった。
CD にDVDがついて、なんと2080円という価格もちょっとというか、かなりうれしかった!
もちろん、この安さと牛丼値下げ戦争とは何の関係もないのはあたりまえであるが、あらためて男女のデュオの魅力にすっかり魅了された今週だった。

とかくロックの世界が男の世界だなとつくづく思うのは、書店の音楽書のエリアにある本が、ビートルズやストーンズ、U2などなど、男性アーティストばかりなのに気づくときだ。
個人的にはジョニ・ミッチェルやキャロル・キングなどの女性シンガーソングライター関連の本があってもいいのにと思うのだけど、そんなニーズは世の中にはまったく存在しないようだ。
表面的にアニマルズやモンキーズなど男性アーティストが主役として見えていた時代でも、実はキャロル・キングが曲を作っていたり、ビートルズが「チェインズ」をカバーしていたりする。
ロックの歴史は決して男性だけで作ってきたものではないと思うのだが. . 。

男女デュオといえば、「Falling Slowly」で2007年度アカデミー最優秀歌曲賞を獲得した、グレン・ハンサードとマルケタ・イルグロヴァの二人のユニット、Swell Seasonが記憶に新しい。
「Once ダブリンの街角で」という映画は、低予算だが手作り感いっぱいのじんわり感動!
ほんとにすばらしい音楽映画だった。

そして、ときおり男性的な激しさをみせるグレンに対して、終始、素朴なたたずまいの中にも、秘めた女性的な強さを見せるマルケタとの対比が、この典型的な男女ユニットを魅力的にしていた。

実は僕も、青木ともこさんという女性シンガーソングライターと、「クラウディ・ベイ」というユニットを2006年頃から組んでいる。
ここんところその活動がちょっとご無沙汰になっていたところ、ファンの方から「クラウディベイはその後どうなったんですか?」という質問をうけた。

実は、青木さんの飼っていた愛犬又三郎が、長年アジソン病という奇病をわずらっていたところに、さらに腎臓を悪くして、彼女はその介護に追われていたため、活動がなかなかむずかしかったのである。
残念な事に、青木さんの懸命の介護もむなしく、この2月に又三郎は亡くなってしまった。
ショックも徐々に癒えてきているようで、まもなくクラウディ・ベイも再開できそうな感じだということを報告しておこう。

ペットを飼うことは楽しいことだけど、亡くなる時はほんとうに切ない。
朝日新聞の夕刊に、三谷幸喜さんが連載していた「おしまんべ」の話しは、きっと全国の愛猫家や愛犬家に、共感の涙を誘ったのではないかと思う。
読んでいて僕も、昔よく猫を飼っていたときのことを思い出した。
もの言わずともいっしょに暮らしていると、いつしか家族同然の存在になっていくものなのだ。
何度か猫達との別れを体験した僕は、その亡くなる時の切なさから、もう二度と飼わないと決めてしまった。
それなのに、犬や猫を買っている誰かの家に行くと、すぐにその子たちと仲良しになってしまう。
かわいいと思う気持ちはやっぱり変えられないのである。

今週の最後は、「ケッちゃん」こと高橋結子がパーカッションをつとめる「タマコウォルズ」のライブに行って来た話。
偶然だが、またまた女性ミュージシャンの話題だ。

ケッちゃんは、いろんな場面でプレイしている売れっ子だが、僕と杉真理君が組んだ「マイルド・ヘブン」の女性ドラマーでもある。
去年の「I Stand Alone」のサマー・スペシャルでも叩いてもらったし、クラウディ・ベイの大森「風に吹かれて」でのライブでは、
ウッド・ベースの戸田吉則君と共にリズムを盛り上げてくれた。
(ちなみに、この時の演奏をDVD化する予定でいるのでお楽しみに!)

男性顔負けの、とても思いっきりのいいドラミングが気持ちいい、そんな彼女が参加している「タマコウォルズ」のCDが、これまたごきげん!
いてもたってもいられなくなって、吉祥寺MANDA-LA2でのライブに、早速かけつけた。

CDで聞いていた時は、ミーターズかリトルフィートかっていう印象だったが、熱いライブは、さながらオールマン・ブラザース・バンドやグレイトフル・デッド、はたまたクイックシルバー・メッセンジャー・サーヴィスを彷彿とさせる、あまりのジャム系サウンドで、僕はまるで、1969年頃のサンフランシスコは、フィルモア・ウエストにいるかのような錯覚に陥った。
そして男性陣のホットな演奏とは対照的に、それを支える女性リズム・セクション、ケッちゃんと、ドラムスの中原由貴さんの、二人のクールなノリがなんとも印象的でカッコよかった!

ライブに呼んでくれてありがとう!ケッちゃん、また一緒に演奏したくなったよ!


伊藤銀次
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□2010年05月09日号□

冬と春が入り乱れを繰り返してる間に、いつのまにか初夏を通り越して、真夏日だったりするこの頃。
ところが、夕方あたりから、風が涼しくなり、半袖では寒いくらい。
いったい今の季節をなんと呼べばよいのか?変な咳してる人も多い。
みなさん油断しないでくださいね。

ジョギングを始めて今年で10年になる。
素人でもトレーニングを積んで、ホノルル・マラソンなどの大会をめざす人も多いが、僕の場合は、記録の更新とかにはまったく興味がない。

むしろ、僕らの年齢でタイム目当ての、ゼイゼイハーハーのマラソンは、生命の危険すらある。
僕のジョギングのテーマは「LSD」。

といっても、ビートルズの「Lucy In The Sky With Diamonds」でも、もちろん、リゼルグ酸ジエチルアミドのドイツ語の略でもない。
LはLong、SはSlow、DはDistantの略で、「長い時間をかけて、ゆっくり遠くまで」走るスタイルなのだ。
競歩の人にも抜かれるペース、だいたい1時間に約12kmくらいかな。話しをしながら走ることもできる。

駒沢大学前にプリプロ・ルームがあった頃、駒沢公園で知り合った成岡さんに教わった、膝に負担をかけない、少しでも体にやさしい走り方。
この走り方だとまったく息もきれずに、どこまでも走れるのだ。最近は毎日6~10kmだが、以前は20kmほど平気で走っていた。
仕事のある日は午前中に1~2時間走ってからでかける。

いろんな人から、よくそれで疲れませんねと聞かれるが、このLSDの走り方だと、血液循環がよくなるせいか、むしろ体も、そして頭もすっきりして仕事にのぞめるのだ。

暖かくなり、やっと短パンで走れるようになったのがうれしい。
短パンと長パン(?)の境い目は摂氏15度。15度以下だとちょっと寒い。
ただ、これから暖かくて走るのが楽しい季節なのだが、気をつけなきゃいけないのは、紫外線だ。

帽子は当然のこと、サングラスも絶対着用。時間帯も11時から2時の間は避ける。
この間は、お日様が真上にいるから、まったく日陰ができないからね。
これからのシーズン、銀次の走りは、まるで影踏みのように、日陰から日陰を渡る、忍者のようになっていく。

加えて、お酒もタバコもやめてしまった僕。
みんなも何か体にいいことしていたら、教えてくださいね。

今週の黒沢君との作業は、匍匐前進。
ハードルを高く上げ過ぎてるのかもしれないが、ここはがんばりどころだ。
来週がいよいよ山だな!

先週の「週刊銀次」で、斉藤和義君の名字を、「斎藤」と表記してしまった。
人間の「目」の記憶というのは実にあいまいなもので、すっかりそうだとずっと思い込んでいたのだ。
大変失礼しました。

その斉藤くんのプロモにジョン・レノン役で出てるリリーフランキーさん。
Tokyo Mood Punksというバンドをやっているということを、たまたま見ていた1月31日のMUSIC JAPANでの出演で、遅ればせながら知った。

その時演奏した「ストロベリー」という曲が、それからずっと気になってしかたがなかった。
斉藤君のPVでリリーさんを見た事がきっかけで、「ストロベリー」をもう一度ちゃんと聞いてみたくなり、CDをゲットした。

やっぱりいい!やさしい視線で、鋭く「今」を喚起させる詞が、特にすばらしいと思った。
いい刺激をありがとう。

伊藤銀次
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□2010年05月02日号□

最近、斉藤和義くんの「ずっと好きだった」がお気に入りだ。
曲もいいが、なにしろPVがやけにおもしろい。

ビートルズの映画「Let It Be」のラスト、屋上の演奏シーンの、かなり手の込んだパロディになっていて、無精髭もそれらしく、斉藤君はポールの役どころ。リンゴやジョージ役の人も、服装とかなんとなく雰囲気。
そしてジョン・レノン役の人に目をやると...、なんとリリー・フランキーさんだ!
全然顔とか似てないのに(失礼)、妙に感じが出ていて、思わず顔と心がほころんでピースフルな気分になってしまった。こういう遊びは好きだなあ ...。

今週のほとんどは、黒沢君とのユニットの曲作りに集中した。
曲作りでも一番肝心で胸突き八丁、作詞の作業だ。

メロディーというのは、体の中から、夢の蝶々が飛び出してくるようなもので、しっかりと捕虫網にのがさず、捕まえておけば、かならずその中に、とても珍しく魅力的な旋律が一つぐらいは入っているものだが、作詞の作業はただじっと待っていても、何も飛んでこない。

頭にうかんだイメージに的確に符合し、しかもメロディーが求めているベスト・パートナーを、無限にある言葉の中から見つける作業。
ラッキーにも最初からメロディと言葉がいっしょに出てくることは、そんなにあることではない。
メロディが呼んでいる相方を、見つけてやらなければならない。
それも出会ったときに、ミラクルな化学反応を起こす相方を。

予想通りの言葉が、そのまますんなり、はまる時もあれば、時には、詞とメロディのベクトルが、真反対なのが、予想外に新鮮な響きを生み出す事もある。
メロディが訴えている数少ない手がかりから始める、まるで推理小説の犯人探しのようで、謎が解け、言葉がみつかったときの喜びといったら、何にも代え難い。

謎解きの取り組み方でいうと、僕と黒沢君は、ホームズとワトソンというよりも、「点と線」の鳥飼重太郎と三原紀一のコンビに近いのではないかと思う。
年齢は違えど、互いにリスペクトできる、自分にない守備範囲を持つスペシャリスト。
しかも、どちらかがホームズ役の時、もう一人は自然にワトソン役を担うことも自在にできる。
今週の作業では、さらにお互いの理解を深くすることができたような気がして、当初茫洋としていたユニットのイメージが、だんだんとあぶり出されてきているような気がする。

作詞の作業はとかくストイックになりがちだが、僕たちはまるで高校生の研究クラブのように、今、言葉と戯れている。

前回触れなかったが、4月24日の「話し出したら止まらナイト」に、予期せぬ方々が足を運んでくださった。
和久井光司君、大瀧詠一激似ボーカルとして話題になった、いちかたいとしまさ君(僕の「日射病」をカバーしてくれている唯一のアーティスト!)、元ON・アソシエイツの関口直人さん、(冨田靖子さん主演、大貫妙子さん作曲・歌、1985年の三ツ矢サイダーのCMの編曲をやらせてもらったり、お世話になりました。)だ。

ライブ終了後、ひさびさなのでしばし互いの近況報告となったが、関口さんが作詞家に転身しておられたのには驚いた。

彼の作詞による「父の言葉」という作品のDVDをいただき、さっそくその夜拝見したが、心の深いところにさりげなく触れてきて、やわらかく心を揺さぶってくれた作品だった。
この作品は、シンガー・ソングライター、西海孝さんの「空を走る風のように、海を渡る波のように」というCDに納められていて、全曲、フォスター、アイルランド民謡、スコットランド民謡に、関口さんが詞をつけた、アコースティックなアルバム。チェックしたいCDだ。

そして、なんとこの世界の大先輩、小松久さんがわざわ来てくださった。
ヴィレッジ・シンガーズのリーダーであり、音楽プロデューサーとしても数々のスターを育てた小松さん。
近年、テレキャスター関係の記事などで拝見することが多く、ジェイムス・バートン好きなんだなと、かねがね興味があった。
僕のギターも、実はジェイムスの影響を多大に受けているところから、話はテレキャス&ジェイムス周りで盛り上がり、後日、小松さん制作のDVD「テレキャスター奏法」を送っていただいた。
とてもていねいに様々なカントリー・スタイルの弾き方を教えてくれている、人柄がにじみ出たステキなDVDだった。

内容ももちろん大事だが、やっぱり、音楽は人から人へと、どういう風に伝えるのかが、一番大切なことなんだと、当たり前だが改めて感じさせられたね。

ちょっと前に読んだ植島啓司さんの「偶然のチカラ」に影響され過ぎてるわけではないと思うが、黒沢君とのユニットでは、またテレキャスターを弾きたいと思っていたところでの、ミスター・テレキャスター、小松さんとの出会い...。これは、テレキャス買えってことでしょうか?!


伊藤銀次
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