セクシュアル・ハラスメントに関する文献を読んでいて、ふと思い出したエピソードがあります。
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Aさんは職場の上司からのセクハラ行為にひとりで悩んでいました。
会社にはセクハラ相談窓口はなく、
性に関するデリケートな問題なので、なかなか同僚にも相談することが出来ません。
そんなある日、Aさんは幼馴染みのB君と話す機会に恵まれました。
B君は、大学卒業後、ずっと或る法律試験に取り組んでいる真面目な人物です。
Aさんは上司の件があってからというもの、男性が怖くなっていましたが、昔から知っている幼馴染みのB君には恐怖を感じません。
二人は久々に会ってランチをすることにしました。
AさんはB君の様子を見て、話せるようならセクハラ被害について相談したいと思っていました。
合格こそしていませんが、長年法律の勉強をしてそれなりの知識を持っている相手なので、法的なアドバイスも得られるかもしれない、という淡い期待も抱いていました。
約束の休日、現れたB君は昔と変わらず、気さくでリラックスした感じ。
ふるさとの話や共通の友人の話等、会話も弾みます。
それでも、Aさんはまだ迷っていました。
折角久しぶりに再会した幼馴染みです。
いきなり重い悩みを打ち明けて、つらい想いをさせないだろうか。
嫌がられないだろうか。
そんな時、B君はAさんに気を許したのか、それとも笑いをとろうとしたのか、こんな話を始めます。
「俺さー、試験落ちてばっかで、周りのヤツが慰めよう、気分転換させようと思ったらしくてさ。あいつらエリートサラリーマンだけど、ほら、風俗、普通に通ってるから、『お前もデビューしろ』つって俺を連れていったわけ。それで、仕方ないから、一応好みの女の子選んでさー。でもさ、この女、客に向かって『自分で服脱げ』とかぬかすわけ。俺、腹立ってさー」
内心、Aさんは衝撃を受けます。
B君のいう「あいつら」の中には、既婚者もいます。
試験になかなか合格しないB君への「慰め」=「風俗」となる発想にもなかなかついていけません。
しかし、そんな話を聞いたからと言って、AさんはB君やその友人たちを直ちに批判したり拒絶したりはしません。
「そういうものなのかな・・・」
と理解しようとし、冗談としてきちんと流します。
幼馴染みの口から、思いがけず性に関する話題が語られたことで、Aさんは考えます。
もしかすると「性に関する問題」という話題のハードルは低いかもしれない。
思いの外、気軽に親切に聞いてくれ、アドバイスをもらえるかもしれない。
アドバイスがなくてもいい。
苦しい気持ちを聞いてもらえさえすれば、少しは楽になれる。
しかし、Aさんは思い止まります。
「やっぱり、勇気が出ない」
「もう少し様子をみよう」
しばらくして、B君から連絡がありました。
Aさんはその時、とても辛い状況に耐えていました。
「何か元気ないね。どうしたの?」
「俺で良ければ話、聞くよ?」
B君の問いかけに、Aさんは胸を突かれます。
激しく迷った末、
「・・・私ね、上司から、セクハラされてて・・・」
そこまでが限界でした。
電話の向こう側でB君は動揺を隠しきれず、その様子はAさんにもひしひしと伝わって来ます。
会話は不自然なかたちで終わり、数日してB君からAさんにこんなメールが届きます。
「あれからずっと悩んでいましたが、俺にはどうすることも出来ない問題だと思いました。Aはきっと自分で乗り切れると俺は信じています。じゃあ、元気で」
Aさんは驚愕します。
「上司からセクハラを受けている」
としか言っておらず、詳細については全く打ち明けていません。
何かを頼んだ憶えもないのに、B君は、一体何を「悩んで」いたのでしょうか。
B君は昼食の席で、気軽に風俗の話を持ち出し、冗談まじりに詳しくエピソードを語り、性の話題で笑いをとりました。
それとは対称的に、Aさんは一言「セクハラにあっている」としか相談出来ていません。
B君からの音信はそれきり、途絶えたそうです。
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男性側から語られる「性」
女性側から語ってもよい「性」
両者には大きな隔たりがあり、権限はどうやら男性が掌握しているようです。
男性側からの「性」はほぼノーリミット、例え顰蹙をかってもご愛嬌。
一方、女性側から呈される「性」に纏わる話題にはかなりの制限や禁止用語が設定されています。
このエピソードを見る限り、
男性は、かなり踏み込んだ領域まで性を語る権利を有していて、語ること自体で自らの男性性を誇示したり、その確認作業も兼ねているようです。
しかし、女性側から語られ、問いかけられる微かな「性」に対し、男性は即座に「待った」をかけます。
詳細も聞きたくない。
問題の核も知らずに
「俺にはどうすることも出来ない」
と断じています。
そこには強く、圧倒的な拒絶が表明されています。
これは、一体どういうことなのでしょうか。
B君個人だけの問題ではない気がします。
例えば、私の知人男性らも、痴漢冤罪の話になると饒舌になるのに、セクハラや性暴力の話になると気まずそうに話題を変えようとします。
交通事故や殺人事件の被害者が誰であったとしても、その問題を論じるとき、男女間に境界線が発現するようなことはほとんどありません。
しかし、それとは対照的に、セクハラや性暴力の話になると、男性と女性が敵味方に分かれるような現象、或いは男女間のみならず、人間と人間との間に分断や破壊が生じるケースが多々見られるのは何故なのでしょう。
私は、これらエピソードにこそ、
セクシュアル・ハラスメント問題が抱える深い「病根」のようなものが顕れているように感じるのです。
皆さんは如何お考えでしょうか。
