アンゲラ・メルケルと安倍晋三。
ドイツと日本は、第二次世界大戦における敗戦国という共通の過去を持つが、
戦後は全く異なる道を歩んできた。
それぞれの国を導く二人のリーダー。
その対照的な姿を見るとき、過去だけでなく、我々国民が立っている岐路、そして二人のリーダーが導こうとしている未来がハッキリと見えてくる。
2015年1月27日、ドイツのメルケル首相はベルリンで行われたナチス犠牲者追悼式典においてこう述べた。
「(当時起きたことを思うと)私たちドイツ人は深い羞恥の念にかられます」
「明日、アウシュヴッツ=ビルケナウ収容所解放70周年を迎えるにあたり、私たちは殺害された600万人のユダヤの人々に思いをいたすのです」
「人類に対する罪に時効はなく、当時の残虐行為の記憶を後世に伝えその記憶を鮮明に保つ責任を私たちは恒久的に負っている」
この演説に明示されているように、ドイツは戦後、連合軍による裁判を受けるのみという受動的態度に甘んじることなく、自国民による裁判によって戦争責任を徹底的に追及した。
教育においても、自らが犯した過ちから眼をそらすことを許さず、戦争責任、ホロコーストに関する歴史教育を粛々と続けている。
過去に向き合う作業は決して「後ろ向き」でも「自虐的」でもなく、寧ろより良き未来の基盤を構築・希求する非常に美しい現在の在り様だと、戦後70年以上を経た今のドイツの姿が示している。

ドイツ人の友人達は口を揃えて言う。
「もう沢山よ!って叫びたいくらい学んできた」
「分厚いテキスト、繰り返し教えられる大戦下の罪。うんざり。でも、逃げちゃいけない」
私たち日本人の教育はどうだろう?
自虐史観なる言葉が飛び交っているが、そもそも、私たちが「うんざり」するほど第二次世界大戦について学んだことなどあるだろうか。
「あ、ここは各自適当にやっておいて」
と巻末に近い近現代史は平気ですっ飛ばされる日本史の授業。史実さえ碌に知り得ぬ状態で、国民は如何にして「自虐」というレベルに至れるのか。もはや神業だ。また、政府の干渉により、教科書の戦争・虐殺の惨禍に関する記述は、更に曖昧にされた。
臭いものには蓋、の実践である。
ああ、美しい。
東日本大震災という惨劇を経験したにも関わらず、いまだ原発推進に突き進み、汚染水を垂れ流して世界に恥じず、復興支援よりオリンピックに巨額を投じる日本。
やはりドイツとは好対照だ。
ドイツは日本の原発事故を教訓とし、原発廃止政策を明確且つ着実に推し進めている。
物理学博士でもあるメルケル首相は、4年前の東京電力 福島第一原子力発電所の事故について、来日時こう述べた。
「ドイツはこのぞっとするような原発事故を連帯感を持って受け止め、より早く原子力から撤退する道を選んだ」
メルケル首相の演説には、「二度と過ちは繰り返さない」「国民の安全と環境を守る」という覚悟と信念が滲み出ている。
この毅然たる人物が、ドイツ国民が選んだリーダーである。
原発問題、復興、格差社会、近隣諸国との友好関係、改憲。
問題が山積する日本。
さあ、我々日本国民が選んだリーダー、
安倍晋三。
「美しい日本を取り戻す」
ことを信条とする彼は、
原発事故処理問題や福島の人々に背を向け、大戦以降深い傷を負ってきた沖縄に更なる負荷をかけることを少しも厭わず、靖国神社例大祭へ玉串を捧げて日中首脳会談に臨み、大好きなアメリカの上下両議院会議において実のない英語スピーチを披露して喝采を浴びた。
この裸の王様が、我々国民を如何なる未来に導きたもうことか。
ある意味、楽しみである。
もっとも、その成果と未来を受け取るのはまさに私たちと次世代の子供たちだが。

(最後に、長年英語環境にいた者として言っておきたい。米国留学のご経験を持つ我々リーダーの英語力は、驚くばかりに低い。あのスピーチは、酷かった…)