保育観についてのブログを書いていて、このことを書きたいなって思ったので、続けて書くことにした。
保育の基本的なところはもちろん踏まえているけれど、自分は自分のために保育をしているんだなって最近思う。
子どもの成長発達に寄与したいとかでなく、自分がこの仕事が好きで楽しいから。
自分はとにかく子どもから好かれたいと思っている。
「ゆめぼし先生って面白いね」って言って欲しくて保育をしている。
そう言われると実はとても嬉しいのだが、素直に答えるのも面白くないので、「普通だから」って答えている。
行事も、終わった後で、「すごく面白かった」と言われるためにしている。
だから、今まで誰もやったことがない、まだ見たこともないことをやろうといろいろ考えるし、こういう時はいくらサービス残業をしても、持ち帰って夜中まで作業していても苦にならない(最近こういうのは、はやらないみたいだが)。
ついでに、絶対的に自分が目立つようなことをしている。
昔、誕生会の時に、当時の園長から、「あなたではなく誕生児が主役だから」と言われて、確かにそうだと思ったので、誕生会の時はそれを考慮しているが、行事の時は基本的に自分が主役である。
だから、自由度の高い行事が好きで、自由度の低い行事(卒園式とか入園式)の担当の時は自分の思いを押し殺して職人に徹している。
普段の保育でも、自分が楽しんでいる。
自分でもテンションが上がっているのがわかる。
よく声がでかいと言われる。
勝手に自分の世界に子どもを引きずり込んでいる時もある。
必要以上に興奮させている時もある。
ただ、それに乗れない子もいて、そういう子に無理やり強制することは絶対にしていない。
そういう子は、他の先生と遊んでいる。
これが複数担任制のいいところである。
もちろん、子どもたちも楽しんでいるのだが、私のために一緒に遊んでくれ、ついでには称賛までしてくれるのだから、子どもたちには心からありがとうという気持ちでいっぱいである。