「努力の先には?」 | 誰かの為に

誰かの為に

通りすがりでも何か為になる事を
そしてそれが誰かの役に立つと願って

『努力をすれば、必ず夢が叶う!』


こんな表現(教え)をする人は少なくないと思います。

しかし、実際はどうでしょうか???

「どうでしょうか???」なんて、表現をしてしまうと否定しているように捉われてしまいますかね?

(否定をするつもりは全くありません)


確かに、努力と言うものは非常に大切な事だと思います。

また、努力をするとしないでは結果に大きな違いが出る事は一目瞭然です。




それこそ「夢」が無い話かもしれませんが、『必ず』叶うとは限りません!

(繰り返しますが、努力をしても無駄だ!と言う事では決してありません)

では、「努力をしても夢は叶わない場合がある」と言う表現の方が適切なんでしょうか?

矛盾に聞こえるかもしれませんが、その表現も適切ではないと思います。



現代社会に「足りないモノ」と言う観点からお話しますと・・・

「努力をしても夢は叶わない場合がある」と言う事よりも、「叶わないと言う現実の厳しさ」もあるんだよ!って事も、平行して教えて行く必要があるのでは無いか?と思うんです。


以前にも触れた事はありますが、「心の病」が増えた背景の1つには・・・

少子化→少子化による過保護→過保護による精神面の未発達→未発達による心の弱さ

(このように育った子が親になり、我が子に繰り返される)

結果、心が弱い為にストレスに弱くなり、例え小さなストレスでも回避出来なくなってしまうのです。

(無論、ストレスの要因も増加しているので一概には言えません)



学校教師による「体罰」なんて良い例かもしれませんね。

確かに今も昔も『体罰の定義』と言うのは、非常に難しい問題ではあります。

しかし、これだけはハッキリ言えると思うんです・・・それは、、、

今現在の基準で「体罰」を考えるのであれば、私の高校時代の教師(特に体育科)は、全員訴えられてクビですね(笑)

それだけ、時代が変わってしまったんです。時代が変われば、当然色々なモノも変わります!

その1つが「精神面の強さ弱さ」なのかもしれません。


「厳しさ」を教える事も1つの教育であり、その人の為である事は間違いないと私は思います。

「可愛い子には旅をさせよ」→古い言葉ですが、名言であると私は思います。