blueflame_bot(version1.0)

@blueflame_botさんより

 

 

 

エゴは、「エゴが死んでも生きられる」ことに気付かれるのがもっとも怖いのです。

 

 

人間が死に直面した時の心の叫びは、

肉体からではなく、

本質からでもなく、

 

エゴが、それ自身の握りしめていた‘人生’という幻から

引き剥がされる時の抵抗の声です。

 

 

 

 

 

 

これね、本当のことです〜。

 

今日は、私がかつて経験したことを書いてみますね。

 

 

 

 

それは衝撃的でもあり、

辛いことでもありました。

 

 

Aさんは癌にかかり、

自分の想いとは裏腹に、近く旅立たなくてはならなくなりました。

 

「まだ死にたくない、生きたい」と言い続けておられました。

けれど、病は徐々に身体を蝕んでゆき、亡くなったんですね。

 

 

火葬場で棺が火葬炉に搬入されるその時、

突如、身内の方が雄叫びをあげるが如く、泣き叫び始めたんです。

 

本当に驚きました。

柩にすがりついて、泣き崩れるという表現そのものに。

 

 

参列者の方々は、悲しみのあまり泣かれたんだろうと解釈したかもしれません。

 

 

けれど、私には

Aさんが、肉体を焼かれることに対して

拒絶と無念さと憤りによって

悲痛の想いで狂わんばかりに泣き叫ばれているのだ…と

はっきり分かりました。

 

 

 

 

その後、帰宅した後に

泣かれた親族の方が私のところに来られて

「泣いたのは私ではなくて、Aだった」と仰いました。

 

私は「はい、分かっています。」と応えました。

 

 

 

 

 

 

それから一年後…

Aさんは、私の夢に現れ

 

「今までありがとう。じゃあ行くね。」と言って

 

後ろを振り返ることもなく

颯爽と軽やかな足どりで

 

遥かに巨大で美しく輝く

天界へと続くゲート(門)をくぐって

 

消えてゆきました。

 

 

 

 

 

 

人が死を恐れる理由の一つは

 

このエゴによる抵抗があるのだ、と

 

この文章を読んだときに改めて気づいたので

今回、挙げてみました。

 

 

 

 

 

 

人間はね、肉体を失ってこの世界から旅立っても

 

魂は、永遠に

輪廻転生を超えて進化成長してゆき

 

やがては

大元の《大いなる源》の愛へと戻ってゆくんです。

 

 

なので、《魂》にとっては

死は、単に次元を移行するだけのことであり、

 

この地上での生に固執するのは、その人間として生きる上で生まれた《エゴ》だけなんですね〜。

 

 

 

 

けれど、自我意識であるエゴさんを

真我の内に

昇華させることは

 

忍耐と根気強い「内省」が必要となります。苦笑

 

たぶんそれは

真我の《無償の愛》をもって

しか成し得ないことなのだろうと想います。

 

 

 

大愛にいだかれて初めて、

エゴがくつろいで

サレンダーできるのだと

 

 

私も今、まさに

学びの最中であります!笑