〜朝、目が覚めるという

奇跡に感謝〜

 

 

医師、矢作直樹氏の言葉より。

 

 

 

息ができるだけで奇跡なのと同じように、

朝、目が覚めることも、

じつは奇跡的なことです。 

 

事故や体調が急変して救急車で運ばれてくる人のなかには、意識が戻らずに亡くなる人がいます。 

 

自宅で脳卒中や心臓麻痺を起こして、朝目覚めないまま死んでいく場合もあります。 

 

 

わたしたちは、つねに死と隣り合わせで過ごしている。

 

それが生きている

ということなのです。 

 

 

体は今も、わたしの命を保つために、誰に命令されるでもなく二四時間働いてくれています。 

 

 

そんな自分の体に

やさしい目を向けて、

感謝してみませんか。 

 

 

声に出して「ありがとう」と言ってもいいし、

体をやさしくさすりながら、

心のなかでつぶやいてもいいでしょう。 

 

 

 

わたしは朝、目が覚めたら、

息ができていることにまず感謝します。 

 

そして、 手足が動くことがわかると

 

「ああ、今日もありがとう、

一日よろしくおつき合いくださいね」と体に挨拶をします。 

 

 

コップを持って水が飲めること、トイレに行けること、朝食を摂れること、身支度ができること...、

 

体が動くことすべてに感謝して一日をはじめます。 

 

 

そして夜は「今日も一日ありがとうございます」と、

自分のために働いてくれた体に感謝して布団に入ります。 

 

 

 

ありがたいとは、

文字通り「有り難い」わけですから、

「当たり前ではない」ということ。

 

 

朝、目覚められるのも、息ができるのも、じつは当たり前ではないのです。

 

 

『替えの利かない「あなたとわたし」』サンマーク出版

 

 

 

中村天風師はこう語る。

 

『朝、眼がさめるのは当りまえだと思っているね。

 

それが当りまえでない証拠に、

いつか時が来れば、どうしても眼のさめない朝が来る。

 

それは、あっちへ行っちまうことになるんですよ。 よく考えなさいよ。』

 

 

寝ているうちに息が止まっても、文句も言えない。

 

淡々と過ぎてゆく日常が

いかに幸せなことか。

 

それは、朝目がさめて、息ができること、食事ができること、手足が動くこと、仕事に行けること、…。

 

そんな当たり前の幸せに気づかない。

 

足りないことや、ダメなところばかり見続ける人は、

今ある幸せに気づかない。

 

不足を数えれば数えるほど、

不平不満、愚痴、泣き言、文句が出てくる。

 

 

大事なことは、ないことに目を向けるのではなく、

今ある幸せに感謝すること。

 

 

 

ありがとうの反対は「当たり前」。

 

毎朝、「目が覚めるという奇跡」に感謝できる人でありたい。

 

 

 

以上、「人の心に灯をともす」のfacebookより転載させて頂きました。

 

 

 

 

2024/3/10 魚座新月の日

 

箱根神社および

九頭龍神社に

 

参拝して来ました〜❤️✨

 

 

 

 

 

 

晴れやかな空に

 

涼やか(すずやか)な風

 

 

そして

 

目にも鮮やかな純白の霊峰

 

富士の山

 

 

 

 

 

 

今、此処に生きている

 

 

 

 

 

感謝をこめて