
●僕は、4・26において、選挙結果が明らかになるに及んで、これに伴った主として選挙管理委員会関係の事後処理や選挙事務所の閉鎖の処理関係の、当面、必要不可欠な実務関係の指示、処理をやりつつ、これを関係者と計りつつ、やってきました。
●その後、無理に無理を重ねて来た、体のケアーを行う諸方策を考えてきたわけですが、最終的に入院・療養の判断を出しました。
5月2日、≪多摩北部医療センター≫に入院しました。救急車に来てもらい、完全隔離の集中治療室で、絶対安静の下での、検査を受けました。この、集中治療室で5日間過ごしました。
この過程は、病院側の患者の人権無視の処遇と真っ向から闘う過程でもありました。この件は
、別立てで、機会を得て述べることとしますが、安倍政治の排外主義を本質とする反動的で、「富める者はますます富み、貧乏人はますます貧困化する」<格差社会化>が、病院政治で、どのように顕れて来ているか、が検証できるものであったと考えています。
僕は、この5日間、この政治と夢うつつの中で、時には、「組織された反革命・反動」の勢力が「闇」の中で、僕の体を思いのままに管理・支配せんと動きと(これは、<妄想>と言えるか?!)、決してそうは言えない。>と非妥協的に闘って来ました。これが、本当の妄想であったのか、現実的に根拠ある事柄であるかは、混濁しており、もう少し、確認しえていませんが、一部看護士どもが、「患者の生命、生存を守る」と称して、患者を<独裁>し、<(暴力的に)管理>・<支配>・<隷属化>させることとの文字通り<非妥協>的闘いであったことだけははっきりと報告出来ます。
一寸でも、気を許せば、一挙に自分の人格が解体されてしまうのです。
一昨年年末、入院した時と違って、安倍政治の存続のなかで、病院側が、その本質、飽くことなく利潤追求すること>を、<患者の生命と安全>を守ると称し、巧妙に隠しつつ、かなりなレジーム化してきていることを、膚で感じることでした。
これは、僕が経験した「国立国際医療センター」や「徳州会」での入院の原体験と甚だしく異質なレジームと言えます。
又、 病院側は、僕が選挙にも出て、革命的マルクス主義の立場、観点、方法を天下に明らかにしてきている現下で、極めて警戒的であったことも確認しておかなければなりません。
●5月7日(木曜)、心臓関係の一般病棟に移り、ここでも、非妥協的に闘いつつ診察を受けて来ました。
こうして、僕の闘いが、単なる<際物>者の、ごねまくりの人物とは、全く違う、明確な思想性,世界観,理論性を有する、教養と知性を持った人物であることは知れ渡り、看護たちも、僕の言う事に一目も二目も置き始め、その中で、僕の支持者、ファンに練ってくれるような事態も生まれました。
そして、5月22日、午前中退院しました。この5・22は、奇しくも、僕の74才の誕生日でもありました。
今は、自宅で療養しています。
●病名は「心房の動悸の頻繁化、不整脈化」というところで、この状態を放置していたら、血管から剥がされた凝固物が、脳を詰まらせたり、心臓の冠動脈を詰まらせたりして、≪御仕舞≫になってゆく、とのことでした。
これは、平成14年年末から、15年1月に掛けて、この病院に入院した状態を、更に悪化させた状態をもたらしている、と医師は認定いたしました。
医師の方の病状認識の確定に於いては、僕が、1990年代の末(末、1998年頃)心筋梗塞を発し、新宿の「国立国際医療センター」で施術されたバイパス手術が、今も健全に機能しているか、否か、の状態確認をすベク、改めてカテーテルの検査を必要不可欠とされます。
なぜなら、当時の手術の資料は、既に廃棄されていますから、「国立国際医療センター」から取り寄せることは不可であること依るものでした。
僕はカテーテル検査を、承認いたしました。
●体重は、6キロ位、減り、学生運動をやっていた頃の体重となりました。
鏡を見ると、骨と皮の状態でした。現役に復帰いしてゆくには、何よりも筋力、腕力、脚力ら体力をつける必要があります。
入院前、入院中、精神的には、頭は冴え続け、問題意識は、凝集し続けているわけですが、残念ながら、脚力、腕力、筋力は最低に近い状態でした。
と言っても、今週ぐらいから,徐々に、焦らず、戦線復帰のトレーニングを意識的にやるつもりです。