南京大虐殺犠牲者数8 | リベラルブログ・生活保護者の色々な記事

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第十九号文書(Z 35)


南京安全区国際委員会
寧海路五号
一九三八年一月十四日
 

南京日本帝国大使館 福田篤泰殿 

(略)

 私たちは、貴下や自治委員会と喜んで協力し、現在、経済的に生計を立てる基盤のない難民を保護するものです。その証拠には、一月十日に自治委員会のもとめに応じて当方は米販売店を閉店したし、同日、自治委員会に割当てられた米を運ぷ手伝いもしました。ところが、この米から、当方の無料食堂用と収容所用は、ただの一袋も受取りませんでした。

 貴下が登記した市民は一六万人と思いますが、それには十歳以下の子供は含まれていないし、いくつかの地区では、年とった婦人も含まれていません。ですから、当市の総人口は多分二五万から三〇万だと思います。

 これだけの人口を普通並みの米の量で養うとすれば、一日に二〇〇〇担の米(あるいは一日に一六〇〇袋)が必要となるでしょう。このことから、貴下が提案した三日ごとに一〇〇〇袋というのは、必要な量の三分の一にも足らないことが明らかです。今までは住民は各自手持ちの貯蔵米にかなり大幅に依存してきましたが、それも急速に使い果たされており、米を購入したいという要求が、一月一日以来、急に高まってきました。住民が毎日少くとも一〇〇〇袋の米を購入できるように即刻取計らうべきです。そして、できるだけ早く一日につき一六〇〇袋に増量すべきです。

 米の外に、多量の小麦粉と、一、二カ月の配給分として石炭二〇〇〇トン、およびその他の燃料も購入できるようにしなければなりません。この寒空に難民がひどい苦しみをなめないようにするには、行届いた、効果的な計画が必要です。

 ですから、事態は実際にはどうなのか、そして、すでに結んだ協定がなぜ取り消されたのかをおたずねするために、手紙を書いているのです。

 難民は食べなければ生きていけませんし、米を奪われ、米を料理するのに使う燃料を奪われたならば、実際ひどい状態に陥るでしょう。貴下が直ちに軍当局に話して、この件を正して頂き、米と燃料を常時、安心して難民に供給していけるようにして下さるよう、お願いいたします。米や燃料が、当委員会をつうじて手に入ろうが、自治委員会をつうじて手に入ろうが、当方にとってそんなことは大した違いはありません。当委員会の希望することは、これらの生活必需品が市民に充分供給されることです。これはできる限り商業ベースで処理するのがよいでしょう。

 最後に一言。当委員会の仕事の改善について御提案があれば喜んでうかがいたく思います。

 日頃の御援助に感謝致します。

南京安全区国際委員会委員長
(署名)  委員長 ジョン・H・D・ラーベ

(『南京大残虐事件資料集 第2巻 英文資料編』P143~P144)




 

ジョン・ラーベ「南京の真実」


一月十七日

 ローゼンと話し合いをしたとき、すでに岡崎総領事は先日のいさかいの調停に乗り出していた。ベルリンや東京が何もいってこなければ、一件落着となる。そうなれば大変ありがたい。とにかく日本人と折り合っていかなければならないのだから。

 昨日の午後、ローゼンといっしょにかなり長い間市内をまわった。すっかり気が滅入ってしまった。日本軍はなんというひどい破壊のしかたをしたのだろう。あまりのことに言葉もない。近いうちにこの街が息を吹き返す見込みはあるまい。かつての目抜き通 り、イルミネーションなら上海の南京路に引けをとらないと、南京っ子の自慢の種だった太平路は、あとかたもなく壊され、焼き払われてしまった。無傷の家など一軒もない。行けども行けども廃墟が広がるだけ。大きな市が立ち、茶店が建ち並んでいた繁華街夫子廟もめちゃめちゃで見るかげもない。瓦礫、また瓦礫だ!いったいだれが元通 りにするというんだ!

 帰り道、国立劇場と市場の焼け跡によってみた。ここもなにもかもすっかり焼け落ちていた。南京の三分の一が焼き払われたと書いたが、あれはひどい思い違いだったのではないだろうか。まだ十分調べていない東部も同じような状態だとすると、三分の一どころか半分が廃墟と化したといってよいだろう。

 日本軍は安全区から出るようにとくりかえしていっているが、私は逆にどんどん人が増えているような気がする。上海路の混雑ときたら、まさに殺人的だ。いまは道の両側にそこそこしっかりした作りの屋台ができているのでなおさらだ。そこではありとあらゆる食料品や衣料品が並べられ、なかには盗まれた故宮宝物まで混じっている。難民の数は今や二十五万人と見積もられている。増えた五万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。かれらは、どこに行ったらいいのかわからない。

(P215~P216)
 



第二十六号文書

南京安全区国際委員会
寧海路五号
一九三八年一月二十八日

南京イギリス大使館 H・プリドー=ブリュン殿
(略)
 南京の二五万難民のうちほとんどが、南京市内と近郊で起きた広域にわたる放火のために家を失いました。そして一家の働き手が連行されたり殺されたりして、赤貧に陥っている家族が幾千と言わないまでも、幾百とあります。
(略)
 当委員会が救援のためにもっている資金は当然のことながら非常に不十分であります。南京市内に当方の手持ち分として一〇万ドルあり、さらに上海に五万七〇〇〇ドルあります。しかし、この一五万七〇〇〇ドルという金額をもってしても、現在市内にいる二五万人の難民を救うのには焼け石に水であります。
(略)
委員長 ジョン・H・D・ラーベ

『日中戦争史資料9』 P149




南京日本大使館宛書簡----十二月十六日

金陵大学、南京
一九三七年十二月十六日

 昨晩、本学の農業経済系の建物(小桃園)に何度も多人数で侵入した兵士によって三〇人の婦人が強姦された。私たちは、貴軍が軍事的優越性を示したからには道徳的にも優越性を示すだろうと信ずるものです。これら何万という平和的市民の生命および身体の安全が早急に必要となっているのです。



書簡
南京日本大使館福田篤泰宛、発信者ラーベ
(南京安全区国際委員会委員長、寧海路五番地、南京)
一九三八年一月一四日付
文書番号二七二二
<同一資料>

 私たちは、貴方が一六万人の住民を、一〇歳以下の子どもと、いくつかの地区では年配の女性を含めずに登録したことを承知しています。したがって、市内にはおそらく二五万から三〇万人の市民がいるでしょう。この人口を通常の米の量で養うためには、一日二〇〇〇担〔約一〇〇トン〕の米(一日一六〇〇袋の米)が必要になります。三日に一〇〇〇袋というご提案は、本来必要な米の量の三分の一にも満たないことが明らかです。

『資料 ドイツ外交官の見た南京事件』 P100