大井満氏『仕組まれた"南京大虐殺"』より
捕虜の不法処断
このように、ここまでにいわゆる不法殺害なるものは見られないが、しかし純然たる不法行為にあたるものが、まったくなかったかというと、残念ながらそうは言いえない。
それは雨花門外において、百十四師団所属の六十六聯隊第一大隊が、千二百四十の捕虜を、家屋に収容してから少しずつ連れだしては処断しているのだが、この場合は明らかに不法な行為と言わざるをえない。
高松半市氏 第一大隊第四中隊
数はそれほど多くはない。その半数くらいであったと思う。私の中隊で処分したのは百名くらいと思う。当時中隊で満足に行動できる兵は七、八十名で、捕虜監視に多くの兵力を割くことは不可能であった。
(『南京戦史』)
(『南京戦史』)
食糧もなかったためと記録にはあるが、これは便衣兵ではない。いかに激戦の最中とはいえ、不法な捕虜殺害であることは明らかだ。
ただ数となると、第一大隊のみの行為とあるから、四ケ中隊であることからして、千二百は誇大戦果と見られ、高松氏の言うように、実数は半分の六百程度ではないかと思われる。
(同書 P199~P200)
*「ゆう」注 一応原文通り紹介しましたが、加害者側は「人数」を過少申告する傾向がありますので、実際の人数は半分くらい、というのは必ずしも信頼できないものであると考えられます。上の通り、部隊のいわば「公認戦史」である「野洲兵団奮戦記」ですら「1500人余」の数字を挙げています。
歩兵第三十三聯隊『南京附近戦闘詳報』 第三号附表
昭和十二年十二月十四日 南京城内戦闘詳報鹵獲表
昭和十二年十二月十四日 南京城内戦闘詳報鹵獲表
俘虜
区分 将校 准士官下士官 員数 一四 三,〇八二
備考
一、俘虜は処断す
二、兵器は集積せしも運搬し得す
三、敵の遺棄死体
区分 十二月十日 十一日 十二日 十三日 以上四日計
死体(概数) 二二〇 三七〇 七四〇 五,五〇〇 六,八三〇
死体(概数) 二二〇 三七〇 七四〇 五,五〇〇 六,八三〇
備考 十二月十三日の分は処決せし敗残兵を含む
(「南京戦史資料集1」P499、または「南京戦史資料集」旧版P605)
佐々木元勝『野戦郵便旗』より
入 城 式
十二月十七日
一同トラックで中山陵に出かける。ここは中山門を出て、右手の松林丘陵のドライブ道路を走るとすぐである。陵の巾の広い階段を私たちが上がりかけた時、一組の兵隊がガソリン罐を徴発してもどってくる。一人新しい青竜刀を持っている。
敗残兵が一人後手を縛られ綱で曳かれてきたので私は驚いた。ガソリン罐は陵墓の階段途中にある附属建物にあったものらしい。敗残兵は近くの松林か、どこかからひょろひょろと現われたのである。背が高く痩せ、眼がぎょろつき軍鶏みたいである。
負傷しているらしく、飢え疲れているのであろう、階段横の芝地から道路へ下る時のめる。まったく情ないくらい、胸を道路に打ちつけて、二、三度のめる。連れて行かれるのが嫌らしくもある。中山陵の前、松林の中の枯れた芝生でこの敗残兵の青年は白刃一閃、頸を打ち斬られてしまう。亡国の悲哀がひしひしと私の胸に迫る。
(『野戦郵便旗』(上) P219)
常識で考えても殺すことが必要な状況であるとも思われず、これは明らかに「虐殺」と判断できると思います。
*念のためですが、ネットではよく「投降兵はその場の判断で殺してしまって構わない」という誤解を見かけます。実際にはハーグ陸戦条約第二十三条で「兵器を捨て又は自衛の手段尽きて降を乞へる敵を殺傷すること」は明文で禁止されており、上の二例は明らかな国際法違反の事例です。もし殺害が許されるケースがありうるとしても、それは極めて限定的なものです。