病気腎移植に思う | リベラルブログ・生活保護者の色々な記事

リベラルブログ・生活保護者の色々な記事

腎臓病と不安神経症で生活保護者。社会やニュース、その他、様々なこと、思ったこと、感じたこと色々なことをブログ記事にしていきたいと思っています。

愛媛県内の腎移植経験者ら25人は9日、宇和島徳洲会病院の万波(まんなみ)誠医師(66)や病気腎

移植を擁護するためとして、「移植への理解を求める会」を近く結成することを明らかにした。「捨てら

れる腎臓を移植に使えるよう、厚生労働省などにアピールする」としている。

 万波医師の手術を受けたのは10人。発起人の一人で「えひめ移植者の会」会長、野村正良さん(5

7)は、2000年に市立宇和島病院で病気腎移植を受けたことを明かし、「万波先生には『成功率は五

分五分』などとしっかり説明してもらい、普通の生活ができるようになった。先生は患者のことを考えて

手術していることを訴えたい」と話した。
(2006年11月10日 読売新聞)





この問題が起きた時、腎臓病の僕は不快に思った。『病気の腎臓を移植するなんて何て医者だ!』と。

しかしこの記事を読んで考えてしまった。腎臓病を長期間患う僕には気持ちが分かるからだ。

それから考えた、「病気腎移植」をどう考えたらいいのか、と。

確かに人工透析をしている人や、透析になるぐらい腎臓が悪い人は病気腎でも良いと思うだろう

記事のように確かに前より良くなった人もいる。しかし、良くなった人も、病気の腎臓より健康な腎臓の

移植を受けたいに決まってる。

健康な腎臓が無いから、わらをもつかむ思いで目の前の病気腎に飛びついてしまうのだ。

でも、だからと言ってこのような気持ちに人に心をさせてしまうのは決して良いとは思わない

確かに人工透析をしている人や、透析になるぐらい腎臓が悪い人は病気腎でも良いと思うだろう

記事のように確かに前より良くなった人もいる。しかし良くなった人も、病気の腎臓より健康な腎臓の移

植を受けたいに決まってる。

健康な腎臓が無いから、わらをもつかむ思いで、目の前の病気腎に飛びついてしまうのだ。

でも、だからと言ってこのような気持ちに人に心をさせてしまうのは決して良いとは思わない

『人間は万物の霊長である』と言う言葉がある。人間は万物の支配者と言う意味だ

人とした生まれた以上、人としての尊厳を持って生き抜きたい

周りの状況は病気で最悪でも、心の中だけは人としての誇りを持って生き抜きたい。しかし、

病気腎は今より病状をましにする代わりに、人としての誇りのようなものを失わせるような気がする。

始めは健康な腎臓が無いから病気腎でも良いと思い、そのうち病気腎をありがたいと思い、しまいには

わらをもつかむようになる。その間に人としての誇りも尊厳もボロボロになってる。

だから僕達腎臓患者に、病気腎を与えないで欲しいのです。人としての尊厳を失わない為に。

しかしその為には健康な皆さんから、亡くなった後、腎臓を提供していただかないといけません。

僕も臓器提供意思カードを持っていて、死んだら全ての臓器を提供すると言う項目に○をつけています、

もちろん、病気の腎臓を除いて。

日本人の考え方として、死後の身体は綺麗なままで葬りたい、と思う方が多いでしょう。

しかし、腎臓だけにかかわらず、目の角膜などの臓器も含めて、自分が死んだ後に、自分の身体に一部

が、他人の身体を助ける為に生き続けることの素晴らしさを分かって頂きたい☆

そして、健康な皆さんが亡くなった後、臓器を提供して頂ければ、我々は病人は人としての尊厳を

失わずにすむのですから☆