タイトルにもあるとおり、私のブログは
子供たちの大学受験回顧録(含む大学受験関連情報)と
私のつぶやきがメインとなっていますので、
読者は高校生の親御さん、大学受験終了組及び中学生の親御さんが殆んど。
中学受験生(つまり小学生)の親御さんはほぼいません。
ところが、先週、中学受験ブロガーの方に花子の中学受験記をリブログしていただいた影響で、アクセス数が大幅に増加し、フォロワーも数十人単位で増加しました。
どうでも良い出張ラーメンの記事の翌日に物凄いアクセス数となっていたので、最初は何があったか分からなかったので本当にビックリしました。
ということで、今この瞬間は、中学受験ブログのブロガーの方や読者の方が結構いらっしゃると思いますので、久しぶりに中学受験ネタを書いてみたいと思います。
先日紹介した日経の「迫真」風に。
第1回「親の狂気」
2月の勝者で中学受験は「親の狂気」と聞いて、言い得て妙だなと思いました。
奏の中学受験が2015年春でしたので、記憶が薄れてきていますが、ある種「洗脳」に近い妙な高揚感があったように記憶しています。
・子どもの受験なのに、自分の事のように1日中、中学受験の事ばかり考えてしまう。
・模試や過去問の成績に一喜一憂し、悪いと1日中不機嫌になる。
・志望校に合格しなかったらどうしうようと、最悪のことばかり考え、子どもにプレッシャーをかけてしまう。
・受験仲間の結果が良いことを素直に喜べず、妬んだり羨んだりする。
・他人を思いやる余裕がなくなり、自分の子どもの成功だけを考えるようになり、とにかく、人相や性格が悪くなる。
・受験結果がすべてで、成功すれば子どもの人生全てがうまく行った気になり、失敗したら絶望感で一杯になる。
多かれ少なかれ、このような感じになるのではないかと思いますし、私も当時はそんな感じだったように思います。
要は、思い入れが強すぎ、家族の生活の殆んどすべてが「中学受験」になってしまうという感じかなと。
この「狂気」が中学受験の原動力になっている面もあるのでしょうが、努力することが大事であって結果は必要以上に気にすることはないと思います。
実力偏差値60のお子さんが、一発勝負の入試で偏差値65の中学に合格したとしても実力偏差値が上がるわけではないですし、まさかの不合格で偏差値55の中学に入学することになったとしても実力偏差値が下がるわけではないので、努力が無駄になるわけではありません。
考えてみれば、中学受験では神の領域の筑駒ですら東大現役合格は生徒の半分程度、開成も東大合格は浪人込みでも半数以下であって、中学受験偏差値の高い生徒、あるいは、中学受験偏差値の高い学校から順に難関大学に入って行くわけではありません。
中学から大学受験までの6年間に逆転は十分可能であり、中学入学はスタートであってゴールではないのです。
このようなことは当たり前のことなのですが、受験が近づいてくるにつけ、どんどん視野が狭くなってしまい、子どもや自分自身を追い込んで、せっかくの希望に満ちた中学生活を楽しくスタート出来なくなります。
もっと気楽に考えたらと思いますし、後から振り返れば、中学受験の結果はそこまで重要ではないかな、って思います。
多くの方が「狂気」に満ちてしまう中学受験。
ですが、中学入学後には、あの熱狂はなんだったのか、というくらい無関心になってしまう人が多いように思います。
第2回はいつになるか、分かりませんが、そのうち書きます。