こんばんは!
「ずっしー。」です!

今日も一日お疲れ様でした!

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かっての日本海軍の軽巡洋艦と言えば細長い船体に煙突が三本立って15cm単装砲が甲板上に幾つか乗っている姿が一般的なものでした。そこで新時代に相応しい軽巡洋艦として誕生していたのが(以前模型として組み立てていた矢矧を含めた)阿賀野級だったのです。

 

話は戻ってそんな5000トン級軽巡洋艦の球磨級の中でも大井と北上にはある時期特殊な装備が施されていました。それは戦艦大和の存在と同じ位機密扱いの。


戦前、太平洋を挟んで反対側にある米国を仮想敵国として軍備の充実を図っていた日本海軍は日本近海へ押し寄せて来るであろう米艦隊に対して初めに航空機と潜水艦で、次に夜襲を行う事で敵方の隻数を減じた上で最後に主力艦隊同士の艦隊決戦に持ち込むという計画が有りました。

その作戦の中で登場していたのが(特殊な装備を施した)大井と北上だったのです。

 

何が特殊なのかといいますとこの2艦だけ魚雷関係の兵装が大幅に強化されていました。他軽巡に対して倍以上の魚雷発射管を片舷5基の両舷合わせて10基搭載していて重雷装艦と呼ばれていました。

もちろん竣工当初から魚雷発射管を多数積んでいたのでは無く、開戦が近いとなった時は短期間で重雷装艦になるよう準備は行われておりこの2艦の存在は正に秘密兵器の扱いでした。

 

ところが南雲機動部隊の航空攻撃で真珠湾に停泊していた米戦艦群が大きなダメージを受けた事も有り日本海軍が想定していた様な艦隊決戦は起こりませんでした。他ならぬ日本自身が戦いの様相を変えてしまったのです。

そんな訳で艦隊決戦の切り札になったもののこの2艦に出番は無く、結局数回に分けて魚雷発射管を降ろしその後は高速輸送艦や回天運用艦へ用途が変更されました。改装に要した工数を他の作業に充てればと思うと残念な結果に。

この2艦にはこの様な歴史的背景が有ったのです。

 

模型の方に話を戻しますと今回組み立てたのはそんな重雷装艦時代の大井。

秋津洲の次に組み立てられそうな模型を検討している際にこちらの模型を発見。しかも随分前に発売された模型の様で(今年リニューアル発売されたA社製品と比べても)安価だったので購入し組み立てを行いました。(なおメーカーHPを見るとこの大井はラインナップに記載が無いので絶版モデルなのかも知れませんね。)

主な構成は船体とハル部分、そしてランナーが1枚。部品点数が少なく組み立て易いキットでは有りました。しかしながらひとつ問題が。

それは重雷装艦の主兵器である魚雷発射管について、1基4連装なのは間違いないのですが発射管にカバーが付いていたのか付いていなかったのかが今でもハッキリしていないのです。

 

終戦後はカバー付きと言われていたものの残されていた資料(図面)からカバー無しが正しい姿と改まり。その為こちらの模型もカバー無しで取り付けるのが本来正しいのですが同時に組み立て説明書には注釈が有りまして「当時の大井乗組員の方よりカバー付きだったとのご意見が寄せられています。そこでカバー付きへ変更する場合は同社別売りの装備品セットの購入をお勧めします。」と書いて有りました。また現在リニューアル発売中のA社の大井もカバー無しの様です。

どちらを取り付けるべきか迷いましたが私の場合はWLシリーズで魚雷発射管のストックを大量に持っていた関係でカバー有を選択していました。

 

参考までに当時の大井の写真を見たら解決するかな?

私の持っている日本海軍艦艇写真集(軽巡洋艦編)には大井も収録されています。

ところが重雷装艦時代は機密が影響してなのか写真は一枚も無いのです。北上も同じく。つまり重雷装時代のが完全に抜け落ちている状態。大井はその後暫くして戦没したので写真は戦前の通常スタイルの掲載が多いですが、損傷状態ながらも終戦の日を迎える事の出た北上に関しては回天搭載時代に撮影されたのも少し掲載されていました。

写真が残されていないので重雷装艦時代についてはイラストを用いており絵を見るとカバー付きで描かれていました。

 

と言う事で最後にまとめると搭載パターンとしては、

・カバー付きだった(証言から)

・カバー無しだった(図面から)

・北上はカバー付きだけど大井はカバー無しだった(某動画チャンネルの解説より)

など。果たしてどれが正しい大井の姿なのでしょうね。

今回取り付けなかったカバー無しの発射管はちゃんと保管しています。今後はっきりする日はやって来るのかな?


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それでは、、、
明日も一日頑張りましょう!!!

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