さてさて
毎日新聞のU記者と話をする機会があった。大学に客員講師として来られていた関係もあって、講義も受講することもできたと。
とても有意義な時間なのです。
U記者はテレビの解説者もされている方で、毎週のある曜日に、みのさんと激論を繰り広げていらっしゃる。博識の本当に素晴らしい方、という印象でしたね。とても温かい、優しい方でした。いや、毎日新聞は素晴らしい。Tさんも、Yさんも、Nさんも。
お会いする度にその新聞社のカラーと云うものが少しだけ見えてくるように思います。
毎日新聞は自社の方の言われる通り、「自由」な気風そのまま、よく顕れているように感じるのです。
はい。その方と、この一ヶ月に3回程お会いする機会があって、毎回U記者の震災に関する評論やご意見を伺うことができました。以前は新聞社系の雑誌編集長を務められた名記者だけに、論点も鋭く毎度驚嘆の連続でありました。
さて、前回のブログ更新を見れば、3月の7日。次回クライマックスとか言っていたら、本当にブログが終わったかのようになってしまっていることに気が付きましてね。へへへ・・・。
今日は、震災に関することに色々と触れたいと思って、でもまた、これがなかなか難しい。
何を記すか、少し悩んだので、そのU記者の講義受講の感想レポートをそのまま掲載したいと考えます。
僕が、講義のレポートで普段どんな事を書いているのか、気になる方は是非ご覧くださいw
見たくねーよ、って人は、もうここで止めちゃって全然結構です。
以下、あまり面白いことは書いてません。
5月18日提出レポート
果して、原発はどうあるべきなのだろうか?
講義を受ける中、平行してずっと思ったことである。考えていたことである。
先の震災より前期すぐのタイミングということもあり、地震や原発の話は切っても切り離すことのできない、「特別」な講義だった。その震災によって採用活動が延期された毎日新聞を受験する私にとって、その当の新聞社の記者の方から原因となった震災の評論を聞くことは、そういった意味においても「特別」に思えた。
私が思ったのは「言葉」ということである。情報と人々の声を媒介する新聞メディア。
講義を聞く中に現代を思った。最も印象的だったことは、第三回の講義冒頭で、一時帰宅の被災者の人々と、その行政の対応について触れられたことである。
ゴールデンウィークをはさむ全三回の講義期間。その一ヶ月の中でも、震災に関する様々な状況は日々変化し、進行した。一時帰宅の人々の「気持ち」をもっと優先すべき、とのU記者の言葉に思う所があった。胸が熱くなった。
透明のビニール袋にまるで「詰め放題」のように衣類や所持品を入れる人びと。背中の「番号」で識別される人々。住まいと生活と、大切な人や物を失った悲しみに、私たちはどれだけ寄り添えているのだろうか。二ヵ月余り経って、よもや半分他人事のようになっていないか。
私はそう問われているように思った。
「相手の身になって考える」ということは、口で言えても、真剣に取り組めば取り組んだだけ難しい。私はいかに「冷静」に受け止めるか、そういう手腕が求められる職業こそ記者と考えていたが、「人間を扱う仕事」と仰る言葉に、その奥の「思いやり」を感じた。
新聞では毎週のように様々な調査やアンケート結果が記事となって掲載される。テレビの記者会見や、人々への街頭インタビューも画面を賑わせている。左記で共通することは、「報道機関」が「何らかの対象者」へ「ある事柄」について「回答を求める」ということにあるだろう。
私がニュースや新聞を見て思うことは、質問のタイミングや言葉遣い、前後の会話や導入の流れによって、その「回答」のニュアンスも左右されることである。
震災のショックから「原発は不要だと思うか?」と質問すれば、大方の人はYESと回答するだろう。しかし「原発の使用もやむを得ないか?」と尋ねれば、これまたYESと言う人が多くなるのも事実である。
「言葉」ということを強く思う。
本レポートの冒頭に書いた「原発はどうあるべきか」という私の問いも、上のような矛盾や見えてこない真実への疑心から、かすみそうになることもある。
今はU記者の言われる「思いやり」という言葉の内に、その答えの片鱗があるように感じている。
以上
毎日新聞のU記者と話をする機会があった。大学に客員講師として来られていた関係もあって、講義も受講することもできたと。
とても有意義な時間なのです。
U記者はテレビの解説者もされている方で、毎週のある曜日に、みのさんと激論を繰り広げていらっしゃる。博識の本当に素晴らしい方、という印象でしたね。とても温かい、優しい方でした。いや、毎日新聞は素晴らしい。Tさんも、Yさんも、Nさんも。
お会いする度にその新聞社のカラーと云うものが少しだけ見えてくるように思います。
毎日新聞は自社の方の言われる通り、「自由」な気風そのまま、よく顕れているように感じるのです。
はい。その方と、この一ヶ月に3回程お会いする機会があって、毎回U記者の震災に関する評論やご意見を伺うことができました。以前は新聞社系の雑誌編集長を務められた名記者だけに、論点も鋭く毎度驚嘆の連続でありました。
さて、前回のブログ更新を見れば、3月の7日。次回クライマックスとか言っていたら、本当にブログが終わったかのようになってしまっていることに気が付きましてね。へへへ・・・。
今日は、震災に関することに色々と触れたいと思って、でもまた、これがなかなか難しい。
何を記すか、少し悩んだので、そのU記者の講義受講の感想レポートをそのまま掲載したいと考えます。
僕が、講義のレポートで普段どんな事を書いているのか、気になる方は是非ご覧くださいw
見たくねーよ、って人は、もうここで止めちゃって全然結構です。
以下、あまり面白いことは書いてません。
5月18日提出レポート
果して、原発はどうあるべきなのだろうか?
講義を受ける中、平行してずっと思ったことである。考えていたことである。
先の震災より前期すぐのタイミングということもあり、地震や原発の話は切っても切り離すことのできない、「特別」な講義だった。その震災によって採用活動が延期された毎日新聞を受験する私にとって、その当の新聞社の記者の方から原因となった震災の評論を聞くことは、そういった意味においても「特別」に思えた。
私が思ったのは「言葉」ということである。情報と人々の声を媒介する新聞メディア。
講義を聞く中に現代を思った。最も印象的だったことは、第三回の講義冒頭で、一時帰宅の被災者の人々と、その行政の対応について触れられたことである。
ゴールデンウィークをはさむ全三回の講義期間。その一ヶ月の中でも、震災に関する様々な状況は日々変化し、進行した。一時帰宅の人々の「気持ち」をもっと優先すべき、とのU記者の言葉に思う所があった。胸が熱くなった。
透明のビニール袋にまるで「詰め放題」のように衣類や所持品を入れる人びと。背中の「番号」で識別される人々。住まいと生活と、大切な人や物を失った悲しみに、私たちはどれだけ寄り添えているのだろうか。二ヵ月余り経って、よもや半分他人事のようになっていないか。
私はそう問われているように思った。
「相手の身になって考える」ということは、口で言えても、真剣に取り組めば取り組んだだけ難しい。私はいかに「冷静」に受け止めるか、そういう手腕が求められる職業こそ記者と考えていたが、「人間を扱う仕事」と仰る言葉に、その奥の「思いやり」を感じた。
新聞では毎週のように様々な調査やアンケート結果が記事となって掲載される。テレビの記者会見や、人々への街頭インタビューも画面を賑わせている。左記で共通することは、「報道機関」が「何らかの対象者」へ「ある事柄」について「回答を求める」ということにあるだろう。
私がニュースや新聞を見て思うことは、質問のタイミングや言葉遣い、前後の会話や導入の流れによって、その「回答」のニュアンスも左右されることである。
震災のショックから「原発は不要だと思うか?」と質問すれば、大方の人はYESと回答するだろう。しかし「原発の使用もやむを得ないか?」と尋ねれば、これまたYESと言う人が多くなるのも事実である。
「言葉」ということを強く思う。
本レポートの冒頭に書いた「原発はどうあるべきか」という私の問いも、上のような矛盾や見えてこない真実への疑心から、かすみそうになることもある。
今はU記者の言われる「思いやり」という言葉の内に、その答えの片鱗があるように感じている。
以上