先日、少年サンデー掲載の「ハヤテのごとく」というマンガを読む機会があった。
作中、キャラクターが「できないことができるから、僕はプロを名乗っている」と熱く言うシーン。
作中設定のプロ人気漫画家は、ギリギリの時間に猛烈なスピードと類い稀な才能をフルに発揮して、無理やり間に合わせる荒業を成し遂げる時、上のセリフを発したのね。

いやいや、「プロ」っていう言葉、本当にアツい何かがほとばしってるのを感じたね。
個人的には、上のセリフ、非常にgoodです。なんか、響くものがあったように思うよ、少しだけ。


というのも、先日、朝日新聞の記者、つまり物書きのプロ、取材のプロと半日、じっくり話をする機会があったんです。人格的にも、もちろん素晴らしい人ではあるんだけども、とにかく文章の能力。これは、着眼点も構成、校正の能力も、本当にケタ違いで、目の前で心から感動した出来事だった。いや、ここで表現できないくらい、あれはやばかった。プロ、っていうのはああゆうことを指すんだと思う。
同じ日本語を使ってるとは思えなかった。加えて、自分が全力で書いた文章のレベルに身震いですね。


話によれば、もちろん新人の時から苦労を重ねての今だそうで。と言っても、自分より7、8歳上の人が、自分の稚拙な文章を数分の間に、見違えるように息を吹き込む。確かに土台は自分の文章なんだけれども、同じ文量、文字数、行数で遥かに読みやすく、2倍くらいの情報が詰め込まれて、おまけに深みと余韻が出てる。

もう、本当にびっくりしました。だって、もっと読みたいと思う文章なんだから。


これには、自分の顔が驚きと尊敬と、超絶な職人芸、あんまりの自分との差を感じる複雑な気持ちも絡んで、無意識にニヤけっちゃったのね。自分の口角が壊れたのかと思った。マジで。


自分の目指してる職業ってのは、どれだけプロ意識の塊なんだろうか、と本当に感じました。
できないことができるから、プロを名乗っている。ほんと、ダテじゃないって言葉を思いますね。


憧れ、ずっと憧れ。
新聞記者、やべーよ。プロ、すげーよ。
何かに精通するっていうことは、素晴らしい。
あー。前回は割に思いの丈をぶつけましたね。


まあ、自分も言えた義理じゃないけれど、ブログってのはつくづく、一方通行のメディアなんだと感じる訳さ。
つまり、誰が読むのか分からない。もしかして読者は0人かもしれない。そんな状況下でたくさんの人は、近況報告だの、つぶやきだの、雄たけびだの、ネットの海に情報を投げつける訳だ。
個人的には、海というより「雲」に向かって一人で喋ってる感覚に近いね。なんて言うか、社会に言いたいことはあっても、人からは批判されたくない、っていうザ・現代人のツールなんでしょう。

同じくしてブログ作った僕も、まあ例外なく。


・・・おもしろいっ


ゆるくやりたいと思うんでね。全部独り言ですわ。
ただ、誰からも相槌も無く、これだけずっと一人で喋れるっていうのも、大人としてどんなもんでしょうか?
ねえ。


ところで、ESがピーク。やばい。新聞各社のES〆切が、なんとなんと怒涛の勢いで差し迫ってる。もう生活も完全に昼夜逆転してしまって。
夜に早い時間からESに取りかかっても、集中して時間を忘れ、少し疲れて休憩して。でも、まあ中途半端で寝るとマズいかなー、なんて思うとキリのいいとこまで寝れなくて、「朝」。ってな毎日。

一日ズレ込むと、生活リズム狂っちゃってなかなか戻らない悪循環。いやいや、現代人感じる28時。

殊にね。新聞社のESって多業種に比べてとにかく書かせるような雰囲気があるのさ。
業種から言って当たり前なんだけれども、文章推敲して、間違えないように清書する、って作業のエンドレスなこと。エンドレスなこと。
この一連の動作を、あと何クール繰り返すんだろーか?きっと、今この瞬間もESに困って徹夜する学生たちに溢れている事でしょう。

とりあえず、ESの作業に戻るとします。失敬
最近、思うことと書いている事がなんとなく繋がっていない気がして、決して嘘ではないのだけど、危機迫る、肉迫した自分の感情の機微、みたいなものとはずいぶんかけ離れてしまっている様で、とにかくそういったエモーショナルな雰囲気に欠けてる気がしているわけだ。ESの内容とかマジでふわふわして歯が浮く感じがする。

今日、学生運動のさわりだけのパロディ的な映像を目にする機会があった。この映像のおかげで、少し忘れかけていた、自分の内側から出て来る、内包するフツフツとした何かが、呼び起された気がする。ちなみに映像も、学生運動に対する解釈も浅く、ひどいと言わざる得ないようなものだったが、そういった事象については今回は触れることは避けたいと思う。

先日、朝日新聞記者と会ったが、度量と器と知識を備えた人物と感じた。最近、文章の構成や内容について指摘が多いので、今回は気にせず、ぶちまけてみたい。

記者になりたい、と思わせるのは、自分の生きている社会の矛盾や困っている人の力になりたいと思うような気持ちだったと思う。むしろ逆で、それは警察官であっても、自衛官であっても、国家公務員であっても構わない訳なんだが。まあ。色々考えた時に自由にやれて、生活に身近で、波及効果が大きいように感じたのよ。世の中の矛盾や訳のわからん事件、国家権力の有象無象に真っ向切って戦える「報道機関」という言葉に魅せられたように感じるね。

最近はやれ就職難だ、やれ不況だと世間が必要以上に騒いで煽るばっかりに、雇用側もリクルートする側も必要以上に加熱しちゃって、変に疑心暗鬼になったり、やたら肩書や能力や奇抜さにこだわったり、はっきり言って、とんだ茶番がどこもかしこも繰り広げられている。みんな能書きばっか並べる大勢の一人になってしまう。しかし、ここでそんな体制の批判をしたって始まらない。そんな時代と体制にとりあえず適応しないと、夢は叶えられない。夢を叶えられないと、先は見えない。大きいことを言えば、この国や社会も変わらない。つまり、我慢を強いられる就職活動に全力で取り組むことが、人に役立つことに繋がるわけだ。とんでもなく間接的ではあっても。

 だから、やっぱり全力で取り組まなきゃならない。なかなかうまくいかないけれど。

さて、逆である。つまり、記者になったら人に役立てる、じゃなくて、人のために何か頑張りたいから、せっかく一生過ごすなら社会の為に必死になってみたいからきっと記者を志すんだと思う。難しいね、やっぱり。一筋縄じゃいかないわ。
笑われてしまうかもしれないが、世の中にはフィクションよりもよっぽど怖い出来事がある。本当に目を背けたくなるような、大変な出来事が沢山ある。多くの人は、難しいし、面倒だし、嫌になって眼を背けてしまうのかもしれない。

けれども、その問題や事件の渦中にいる人はそうはいかない。どれだけ逃げたくても逃げられない。例えば、自分の家族が大変な目に遭ったり、もしくは世間に迷惑かけちゃったり、自分の生まれた国だったり、自分の信じる神様だったりが周りから批判されたりするようなことになると本当に大変だ。これは国際報道の話や、大きな地震とかビルに飛行機が突っ込んだりする話だけでなくて、今、君のすぐ近くでこの瞬間に起きている。隣の家で子どもが虐待されてるかもしれない。認知症のおじいちゃんが家族からいじめられているかもしれない。学校裏サイトのネット上で袋叩きされて人権とか考えて頭抱えてる中学生がいるかもしれない。これは問題だ。一生懸命真面目に生きてきても、自分の勤めてきた会社が「フキョー」のせいで潰れそうかもしれない。そもそも、その不況がなんで起きたのかも、何なのかも知らない人がたくさんいる。借金の連帯保証人になっちゃったために、自分が一円も使ってないお金の返済に悩まなきゃいけないかもしれない。これは本当に問題だ。日本の年間の自殺者数は年間3万人を越えてる。

つまり、遠く離れた砂地の国の出来事もとんでもなく大変かもしれないが、自分の生きている国や街でも、とんでもなく大変な事は毎日沢山起きているわけだ。これは、やばい。
何がやばいかって、これを、やばい、と思ってない人がたくさんいること。人事で済まない事が必ず誰でもすぐ傍にたくさん転がってるわけだ。ついつい、大きな事件や衝撃的な映像、デモとかテロとか爆発とか象徴的な出来事ばっかりに目が行くけれども、新聞のテレビ欄一枚めくれば、社会がどれだけ混乱しているか、よくこれだけ秩序を保っているものだと感心するくらいやばい現実を実感すると思う。

 さて話が少し逸れたけれども、こんな僕にも優しくしてくれる人がたくさんいる。家族だったり大学や所属している色んなコミュニティーの人が、考えてみればとんでもなく優しくしてくれるわけだ。ご飯を食べさせてくれたり、相談に乗ってくれたり、真剣に討論してくれたり、楽しい話をしてくれたり。頭にくることも随分あるけれども、色々差し引いても、とんでもなく優しくしてもらえる。これは、すんごい主観的意見だが、周りの優しくて一生懸命に前を向いて生きている人には、世の中の悲惨な現場とかできれば見てほしくない。難しくてやばい出来事も真剣に向き合ってはほしいけど、ご飯が喉を通らなくなるくらいには悩んでもらいたくない。もっと言えば、誰かのワガママや怠慢でもって虐げられたり、泣くようなことになって欲しくない。もう、これは本当に涙が出るくらいにそう思う。でも、実際にはそうならない現実もあったりして、世の中の人は(例外なく僕も含めて)そういう現場に立ち会うと無力感を感じるわけだ。

 僕の就活がうまくいって念願の新聞記者になれたとする。まあ、それで世の中が変わるとはあんまり思えない。むしろ、全然思えない。ただ、僕が新聞記者になって記事を書くことで、今、この瞬間にも困って声を枯らす位に泣いてる人が一人でも減ったらいいと思う。僕の書いた記事を読んで、自分の生きてる社会とか人生なんかを昨日よりも小指の爪くらいでも上乗せして真剣に考えてもらえる人が増えたら本当に嬉しい。みんな見たくないけど、誰かが見なければ始まらない事件なら、僕が向き合いたいと思う。僕も進んで見たいと思う訳じゃないけど、それが誰かの為に繋がるんだったら、わりと厳しい仕事でも頑張りたいと思う。

 こんな志でもいいだろうか。こんな話を聞いたら、坂の上の雲に出て来るような歴史の偉人達は笑うだろうか。雲の上の神仏はどんな風に思うだろうか。
 

全力を尽くしたい。