先日、テレビを見ていて初めて耳にした言葉。

「幻想文学」

お聞きになったこと、ありますか?
少し調べてみると、大きくはフィクション全般、特にファンタジー要素のある作品を指す意味が、原義のようです。
ただ、往々に使われるのは、現実と幻想の狭間と言うか。
言い換えるなら「白昼夢」のような、そんなフワッとした、不思議な感覚を指す時にぴったりなんだとか

さて、最近気になっているトピックの一つが「匂い」なんですけれども。
匂い、と「熱気」は似ている、そんなように思うことがあるんです。

随分と抽象的な議論になってきたので、いくつか具体例を交えてみたいと思います。
・夜の都会の匂い

例えば、初夏の季節。ビルを出たらもう夜になっていて、フッと風が吹くと、都会の夜のアスファルトの匂いが鼻をかすめる、なんてことありませんか?
もっと、イメージの補足をするなら、少し雨のような、生温かい匂い。
匂い、で気持ちが動かされるような。
僕は、六本木とか汐留みたいな、特に近未来的な雰囲気のある街なんかだと、一層気持ちが動かされるように思います。
もちろん、排気ガスだったり、高層ビルの明りやら高速道路やらといった景観含めた色んな要素があるんだと思いますけれども。
とにかく、匂いを嗅いだだけで、一瞬フッと気持ちが動いたり、意識の奥の何かがどこかへ行ったり、そんな経験はありませんか?

・海の匂い

海が近くに在って、潮風が吹くと湧きおこる気持ちもあるでしょう。
もちろん海といっても色々。沖縄やグアムのように常夏の島のトロピカルな風だったり、東北や北陸の日本海の風だったり、はたまた房総半島や湘南なんかの「日本の海水浴」を体現したような、電車や車を降り立った瞬間に鼻をかすめる匂いもあるかと思います。
今日、論題に挙げたい話や感覚に一番近いのは、お台場や豊洲、羽田空港なんかの湾岸エリアの匂いかと思っています。朝方だったり、夜や夕方なんかでも全然雰囲気の違う匂いで充たされますけれども、こうも人の心を動かすか、と驚くくらいにグッと掴んで話さない、そんな要素があるように思っています。

・合宿の朝の匂い

周囲にこの「匂い」の話をして、一番「あー、分かるわ」と共感を得るのが、この合宿の朝の話題。
例えば、中学か高校の部活の夏合宿で、山梨だったり長野なんかに行った経験のある人も多いと思います。朝、早く起きて宿舎を出ると、うっすら霧が出ていて、雨がりの土の匂いだったり、腐葉土のような森の地面の匂いだったり、またどこからともなく流れて来る焚火の残りのような匂いだったり。そんな匂いを嗅ぎながら、近くを散歩したりランニングしたりすると、不思議な気持ちになりませんでしたか?


まあ、具体例はこの辺りにして。少しでも話のイメージが伝われば幸いです。

最近思っているのは、この「匂い」を不意に嗅いだ時、戻って来る感情や気持ち、動かされる瞬間が少なからずあることにあります。
僕は下手くそながら少しだけ楽器と写真をやります。
視覚的な物、例えば風景や表情、もっと漠然と「色彩」はある程度「外部記憶」として記録することが可能でしょう。写真や映像が代表例だと思います。
また聴覚的な物、これは音楽だったり声だったり、もっと漠然と「音」と言えるものまで、録音することができます。また、楽器を奏でることもそうでしょう。
とにかく、自分が触れる少ない経験からも、視覚と聴覚はある程度の保存、再現が出来ることを感じています。

ただね、まあ前置きが相当長くなったけれども「匂い」だけは、上記のようにいかない。
頑張っても、なかなか残そうと思って残せるもんじゃない。再現しようと思っても作れない。
よく映画と旅行、映像か実際の風景かの違いは「臨場感」とか「生」と言う人がいると思います。音楽もCDで聞くのか、それともコンサートやライブに行くのか。そんなことも、左に同じことが言えるのではないかと。
つまり、「匂い」だと思うんです。やっぱり、匂いによる要素って本当に大きい。
人々が臨場感とか生、っていうあの言葉は、即ち「匂い」であると、言うことができる。
そんな風に思う、この頃です。

冒頭部分で「幻想」という言葉に触れましたが、人の気持ちを左右して「不思議だ」と思わせるにはこの「匂い」の要素が大きく関係していると。
そして、人の感情をセンセーショナルにさせる出来事ほど、その「匂い」はいつか「熱気」になり、やがて鎮火した時には「幻想」や「妄想」に変わると思います。
残像、とか、幻、とか、白昼夢、とか。
そんな単語を聞いて、もし少しだけでも反応する心の部分があるとしたならば、無意識的にそういった作用があるのかな、などなど。

幻想的な音楽と、幻想的な映像や画像に同時に触れた時、人の気持ちも大きく動きます。
これは映画の急展開のシーンもそうだし、ドラマなんかでよくある満点の星空やら、夏祭りの花火やらがある中で主人公が「結婚しよう」とか言ったりすることにも共通しているということができるでしょう。
マイナスイメージかもしれませんが、69年の安保の雰囲気。学生が異様な熱気の中で、ヘルメットを被って決起集会をする視覚的要因。また、過激な言論や政治活動、飛び交う罵声や怒号といった聴覚的な要因。加えて、これを「時代」と呼ぶんでしょうか?
やっぱり「匂い」が大きく関係していると。
その瞬間、その場所にいなければ味わうことにできない、100パーセントの理解は得ない。そんな匂いがあると思います。

随分と長い説明になりましたが、視覚も聴覚も嗅覚も伴わない、そんな文字文書による解説が最も中立かと思いました。
現在、この感覚的な物が一発で伝わるような、そんな何かを作成したい気持ちから奮闘中です。完成の暁には、このブログの方にも何らかの形でご報告したいと考えています。

しばし、お待ちを。
さて、先日は餃子の話で中途半端に終わってしまいました。
今日は新聞社の話をしたいと。

栃木県、報道、というキーワードから何を連想されますか?何を思い出されるでしょうか?

下野新聞を受験するきっかけは大学のある講義にありました。僕が所属する学部には、裁判や事情聴取、被疑者取り調べなど司法に携わる心理を専門にした教授がいます。僕の専門ではありませんが、その道では割と有名人というか、日本の中でも数少ない司法関係の心理を中心に研究されている教授なんだそうです。
それで、その教授のある講義の中で「足利事件」という冤罪の話を聞いたんですね。
事件の内容についてここでは深く触れませんが、無罪の方が殺人の罪で実刑判決を受けてしまっていた。が、報道機関の調査によって、かつての判決は事実無根、不当であったことが明らかになったと、大きく言ってそんな事件です。
3年ほど前の事件ですが、当時は裁判員裁判が始まった時期もあって、法曹界のみならず、大きく社会の関心が集まりました。日本の「警察」や「司法」の在り方が問われた訳ですね。

その事件が発生したのが、栃木県。もちろん、全国ニュースとして取り扱われた訳ですが、地元新聞である下野も、相当に力を入れての取材、報道であったとのことでありました。

大学教授は専門だったことから、新聞社の記事の解説や関連の本の出版に際し、コメント、批評や調査を手伝ったそうです。
その教授が「下野、良かったよ~、せっかくなら受けてみれば?」なんて声をかけてくれたもので、フラっとES書いて、試験受けて、と。
そんな流れで、前回書き始めた「宇都宮へ降り立つ」的な話に繋がる訳です。

地方新聞もいくつか受験を考えていますが、ちゃんと受験しているのはここが二つ目になるでしょうか?一つ前に受けた東海地方の新聞社とも共通しますが、その地域であるとか、地元のことを知らないとなかなか苦しい。そんな、地方新聞受験であります。
面接やら集団討論やら筆記試験やら、何かについて地元ネタが中心になったりするので、綿密なリサーチが欠かせません。が、やっぱり地元民と対等に話なんかできない。

まあ、おそるおそる、さも「詳しいですよ、何か?」的な虚勢を張って、やり過ごす。
そんな日々が続いております。
宇都宮、行って参りました。

ということで、今回は宇都宮への小旅行と地方新聞について、少し能書き垂れます。
宇都宮、僕は20数年生きてきて、今月の初めまで行ったこと無かったんです。
ということで、先日初めて土を踏む。ガンダム、大地に立つ。

宇都宮に行った理由は一つ。そう、何を隠そう就職活動です。
栃木県の県庁所在地である宇都宮には「下野新聞(しもつけ、と読みます。僕も最初は読めませんでした)」という、県内発行の地方新聞本社があります。まあ、そこへ入社試験を受けに行ったと。そういう話です。

宇都宮には沢山の餃子屋さんがあって、駅前も市内も時折「餃子」の看板を見かけます。
あと、有名ですが「いちご」関連の食べ物が至る所に売っている、そんな街でした。
湘南新宿ラインの宇都宮線に揺られて、新宿から約一時間半。長い道のりでありました。
JRの駅と東武鉄道の駅が割と近くにあって、市街も「旧市街」、「新市街」に分かれているような、そんな印象を受けます。ちなみに、街は東武宇都宮を中心とした新市街が栄えている様に見えました。
これは日本全国、大抵の都道府県に言えることではあるけども、地方新聞の本社というのは県庁のすぐ近くにあります。そして、県庁は、大抵の場合駅前に在る訳ではない。
つまり、新聞社は駅前に無い。とまあ、こういった三段論法が成立します。
これはデフォルトです。
まあ、就職活動という名目ながら、普段行ったことのない土地に行くというのはなかなか楽しい体験であります。

今回は地元で有名と聞く「みんみん」という餃子屋さんにお邪魔して、昼食を摂る事に。
そのメニューの潔いこと、大変びっくりでありました。

・ライス 100円
・焼餃子 240円
・水餃子 240円
・揚餃子 240円
・ビール 400円

以上

この潔さ。僕はいままで「餃子」という食べ物に失礼な考えを持っていたのかもしれない、そんな風に考えさせられる出来事でありました。だってそうでしょう?
「餃子」は大抵、炒飯とかラーメンなんかと一緒に中華屋さんで出て来る食べ物だと思ってたんです。もちろん家庭で作ったりもするけれど、まさかご飯屋さんのメニューが
ライスと餃子だけとは思わなかった訳です。

まあ、ということで殆ど新聞の話にならなかった訳ですが、今日はこのへんで。
次回に続く。