火星の上の床屋さん -5ページ目

火星の上の床屋さん

鞄に夢を詰めて、向かうは明日へ

高校時代好きだった女性がいた。

だけど僕はその子に話しかけることはできなかった。

といってもあの頃の僕は女性に対して極端な上がり症で、好きな人じゃなくても女性と話すだけですぐに顔が真っ赤になった。だから高校時代、僕は面と向かって女性と話をしたということはほとんどなかったと思う。

周りからは僕のそんな部分がとても劣っているように見えるらしく、友達によくからかわれて悔しい思いをしたけども、処方せんは見つからず未熟だった僕は女性を前にみっともなく顔面いっぱいを真っ赤に染めていた。

だから何か他のことで周りの連中を見かえしてやろうって思ったけども、あの頃の僕は本当に目立ったとりえのない男で、走らせても、勉強をさせても、絵を描かせても、成績は中の下を行ったり来たりするような生徒だった。だけど、そんな僕が恋をした女性は頭がよくて、品があって、そして何より山の上の田舎の学校には似合わないすごくかわいい女性だった。

僕は恐れ多くもその女性に恋をしてしまったのだ。

自分の立場をわきまえず、あつかましい恋だとはわかっていたけども、その子を見るだけで心臓がバクバクし、顔はたちまち赤くなり、まるで自分の熱でのぼせそうだった。

もうどうしようもできない思いだった。

その子とは高校2年になって一緒のクラスになることができた。その一年間は授業もろくに集中できず、ちらちらと彼女のほうを見ては胸を高揚させ、顔面をほくほくさせていた。僕の授業中の血液の運動量はかなりのもので、人知れず大量のカロリーを消費していたと思う。そのため時計が11時を過ぎるころにはお腹が空いて仕方がなかった。

友達はそんな僕を馬鹿にしていた。高嶺の花だと言った。そしてどうしても好きなことをやめられないのなら告白でもすればいいと言った。

だけど告白なんてできない。そして好きなこともやめることもできない。

僕は考えて、好きということは相手に伝えることができなくても、そう思えるだけで素晴らしいことなのだと自分に言い聞かせた。

友達はそんな僕をまた馬鹿にしていた。僕も僕でそれはなんだか開き直っているだけなのかもしれないと時々思った。

そして決して進展することのない片思いを胸に抱えながら日々は過ぎていった。それが正しいかどうかわからなかったが、あの頃の未熟な僕はそうするしかできなかった。友達は恋人との甘くて華やかな話をするけど、僕は精一杯我慢して楽しそうに聞いた。

高校2年が終わり、高校最後の年になった。僕が思いを寄せている子とはクラスが別々になってしまったけれど、友達がその子と一緒のクラスになったので、休み時間にはほとんど友達のクラスへと飛び出していった。僕は彼女に少しでも気にかけてもらおうと大きな声でふざけたり笑ったりした。

そしてある日のことだった、いつものように友達のクラスから自分の教室に戻ってくると、僕の机の引き出しの中にきれいに折りたためられた手紙が入ってあるのを見つけた。

白くて美しい紙の上にピンク色で書かれた文字。それは僕に宛てられたラブレターだった。

僕は信じられず唖然とした。こんな僕を選んでくれる女性がいるなんて、まるで夢の中にいるような気持ちだった。手紙に書かれた文面の一文字一文字が胸に飛び込んで僕の中で舞っているような感覚だった。嬉しさとあまりの出来事の動揺の中で、僕は誰からの手紙なのかを確認しようとした。

しかし手紙のどこにも差出人の名前は書かれてはいなかった。どうして名前がないのか、それは書き忘れなどではなかった。手紙の背に、悩んだ末に自分の名前を載せることはどうしてもできなかったという文を発見したからだ。

この手紙を書いてくれた人がわからない、それでも僕は手紙をもらったことが嬉しくて何度も何度も手紙を読み返した。たとえ差出人の記しがなくてもその手紙は僕にとっては人生で初めてもらったラブレターだったからだ。

けれど、どうして手紙に自分の名前を書くことができなかったのだろうか。不思議ではあるけれど、僕なりになんとなくわかる気がする。きっと僕たちはあの頃お互いに似たもの同士だったからなんだ。ひょっとして違う理由かもしれないのだけれど。

結局、あの手紙の差出人は今でもわからない。

だけどラブレターをもらったこと、本当に嬉しかった。

僕にとってあなたに選ばれたことは最高に幸せでした。

そして春、僕たちは同じピアノに合わせて歌い、同じ桜の下で卒業していった。