火星の上の床屋さん -4ページ目

火星の上の床屋さん

鞄に夢を詰めて、向かうは明日へ



雲ひとつない快晴、太陽は悠々と空に君臨している。
そんな中、私は部屋にこもり原稿の前で悪戦苦闘している。
大きなテーマを掲げ、長編の小説を書こうと田舎に家を借りて引っ越してきたものの、なかなか思うようにいかない。
自然の香りを仰げば、悶々とした気分も解け、筆の進みもはかどるかと思っていたが、私の考えは甘かったのかもしれない。
窓を開けると、田舎の涼しい風が流れてきた。
するとその風に混じって鳥や虫の声が聞こえる。その声を聞いていると仕事の疲れや緊張がふっと軽くなるような気持ちになれる。
こうした恩恵に授かれるだけでも、こうした面倒を起こした甲斐があったものかと思う。
窓の外はまだ青々とした自然が太陽の光をみずみずしく反射させていた。
仕事上、部屋にじっと篭るのは避けられないことだが、やはり人間も動物がゆえ、こんな日は外にでなければ体の健康に関わるものだ。
私は少しの間だけ仕事に暇を設けることを決め、縁側に立ち外の様子を伺った。
庭では妻が鳥たちを寄せるために枝にフルーツの皮をひっかけているところだった。
妻は田舎育ちのため、都会での生活よりも自然に囲まれた生活に愛着を持っていた。そして私が仕事にまいっているときにも、率先して田舎暮らしを勧めたのは妻だった。
妻の鳥寄せのための準備を眺めていると、私の足元に野菜のくずが置いてあるのに気付いた。
「これは一体何だね」とたずねると、それは鈴虫やコオロギを寄せるために、これから庭の垣根に挿すためのものだという。
ほうほうと納得したあと、私はべつだんどこへ行こうというあてもなく靴を履き、庭を抜け、家の裏の路地に出た。するとおかしなものが目に留まった。
道の上にまるで宇宙からのメッセージのようなものが白い歪んだ線で書かれていた。
何かの暗号なのか、自然現象の一種なのか。私は何のためにこんなものが私の家の裏に書かれているのか奇妙に思えた。
少々戸惑っていたが、ふとあることが頭の中をかすめて私ははっとした。
私は家に戻ると小石をいくつか拾って、それに鳥や虫の絵を描き始めた。そんな私の様子を妻はめずらしいものを見るように眺めていた。
そしてもう一度あの宇宙からのメッセージのようなものが書かれていたところへ行き、絵を描いた小石をそこへばらまいた。
妻は僕の満足そうな顔を見て、「そんなもの撒いたって、何も来ませんよ。鳥や虫の声を聞きたいのなら、ちゃんと好物な餌を撒いてあげなければ」と笑った。
手には虫たちの餌になる野菜のくずを持っていた。
私は「まあいい、まあいい」と言ってまた部屋に帰り仕事に戻った。

次の日、朝食を済ました私は部屋にこもり原稿の前で悪戦苦闘していた。
太陽がより高くあがる頃、風を入れるために窓を開けた。
すると鳥や虫の声に混じって、子供たちの遊びに興じる声が聞こえてきた。
私はどうやら子供たちを集めることに成功したようだ。
やはり太陽の下で遊ぶ子供たちの無邪気な様子は良いものだ。
そして田舎の住み心地がまた一段と上がった、そんなふうに思えて嬉しくなった。
夕暮れ頃、子供たちの声が去ったあと、私は家の裏の路地に行ってみた。
そこには私の撒いた小石達はすっかりなくなっていた。
代わりに、宇宙のメッセージのようなあの奇妙な暗号が増えていた。
その暗号のひとつに目をやる。
じっとこらえて見てみると、それはコオロギの絵だとやっとわかった。
そういえば私が撒いた小石の一つにもコオロギの絵が混じっていた。
私はなんだか嬉々として、胸の中がぱっと華やいだ気分がした。
子供たちに遊び心を刺激されて、とてもいい気分だ。
慣れはじめた田舎暮らし。
きっと仕事もうまくいくだろう。

夕焼け色に染まる今日

私の腹の虫も鳴いている。


火星の上の床屋さん-夕日