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Tetsu龍 罷り通る

風景写真つれづれ
旅の紀行もこもこ

Tetsu龍でございます。

 

お勉強バッカですいません。

ただ、こだわりが強いので、調べないと夜も眠れず、

昼間仕事中に居眠りしてしまうので。(;^_^A

さて、現在の沖縄県の人口は2024年統計で約144万6千人、

都道府県で25番目、日本人口の0.6%、ほぼ真ん中の数字です。

近代的な人口統計調査が始まったのは明治時代で、

それ以前の人口統計は推計人口が使われます。

それによると、日本の人口は

安土桃山時代~江戸時代初期1200万人~1300万人

江戸時代中、後期 3000万人前後で、

1872年(明治5年) の第一回統計人口が3480万人になります。

そも、琉球王国時代の人口はどうだったんでしょうか?

推計人口に寄れば、

12世紀 4万人~6万人

13世紀 4万人~7万人

14世紀 5万人~7万人 三山時代

15世紀 5万人~8万人 琉球王国成立(1429年)

16世紀 6万人~9万人 

琉球王国最盛期 約17万人(1800年前後)

ではなかったかと思われます。

先程の日本全体の人口で割ると、琉球王国成立時で、0.6%

最盛期で0.56%と、ほぼ本土の人口増加率と比例しています。

なんで、こんなことを調べたかと云うと、琉球は極端な軍事力を

持たなかったと言われています。

1609年、薩摩の琉球侵攻が3,000程度の兵で行われており、

それに対してあまりにも琉球王軍が簡単に敗退したからです。

安土桃山時代の動員力が1万石辺り200人~300人と云うのが現在の学説です。

1611年の慶長検地時の表石高が約9万石、実際は12」万石くらいでは

なかったかと言われており、そこから先程の動員兵力を当てはめると、

最小で200×9=1,800、最高は300×12=3,600となります。

この人数が各地に点在している訳ですから、

薩摩軍が3,000で琉球侵攻出来たのは納得がいきます。

次回に続きます。

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Tetsu龍でございます。

琉球の歴史は「おもろさうし」という、

1531年以降に編纂された歌集に頼るところが大きく、

諸説紛々としていますが、実際の処推測が多い。

 

まあ、それを嘆いていても仕方がないので 勝連按司について行きます。

全部で10代いるのですが

初代は、前にも出てきた英祖王統二代目の五男で。そっから5代目までは初代の系譜です。

6代目は伊覇按司一世の六男で、勝連按司を破ってその座に着きます。

???ですね。伊覇按司って誰や?今帰仁王子=伊覇按司一世らしい。

壮大な内輪もめですやん。

この伊覇按司三世の次男が先述の護佐丸です。

7代目は浜川按司がその座に着きますが、5代目勝連按司の家臣です。

何処にいたか、浜川グスクがあったかどうか、調べた限りでは分からなかった。

浜川御嶽と云うのは出てきますが、ここは泉の湧き出る場所、祈りの場でした。

8代目は浜川按司二世、一世の息子です。

9代目は茂知附按司……二世の養子説や、妻説等がありますが出自不明。

 歴代の按司と名前の系統が違うので、「望月」の字を当てて → 大和人だとか、倭寇だとかいう説もあります。

そして勝連最期、第10代の按司が阿麻和利、この人が勝連按司では一番有名です。

元々は茂知附按司の家臣です。

勝連按司は、眼下に広がるうるま湾を通じて、交易によって栄えており大きな力を持っていたようです。

次に琉球の人口について……

次回に続きます。

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しじみは浸みるいねー

とにかく食べる。

なんでも食べる。

でも、やはりうどんとかが多いかな。

 

Tetsu龍でございます。

日によって気温が違うので

まだまだ肌寒い日もありますが、

まあコートはいらない季節になりました。

こうなると俄然麦酒が飲みたくなる。

飲みやすいので、

オジー自慢のオリオンビールが好きです。

 

今週はやる気が出ないので夜は外食

親子丼とおうどんにしました。