Tetsu龍 罷り通る -4ページ目

Tetsu龍 罷り通る

風景写真つれづれ
旅の紀行もこもこ

Tetsu龍でございます。

 

琉球遠征 どんどん回数が伸びております。

当初の下書きでは中城は6回目やったのに。(笑)

さあ、中城にやって来たぞ!

護佐丸のグスクだ―。グスクを意識して最初に歩いた城だー!

王府の首里城は別にして琉球のグスクの最高傑作と言っても良いと思う。

14年前に来た時に、物凄く感動したのを覚えています。

そして今回再訪して、更にその気持ちは深まりました。

中城城は現在も発掘、調査、整備、補修中です。

他の世界遺産みたいなミュージアムはまだない。

簡易券売所みたいなところと、

珈琲&土産物ショップGUSUKU ROCK CAFÉさんが出来ていました。

御城印とか色々漁ります。

キングシーサーは居ませんでしたが、ゴジラとメカゴジラは居た!

しかも、最初のやつ。

ゴジラは首里城ってなってますが、

このご城印は中城しか売ってないらしい。

メカゴジラはやはりこいつでなければねーと、お爺の呟き。

あとロボット刑事K第20話で戦うのがこの中城城。

ウィキペディアには勝連城となっているが間違ってますよ~!

中城城ですよ!

今回急にヲタってますが、こういうのも大好き!

さて、風は強いが天気が良いので三月の沖縄はもう暑いな。

奥に向かって右側の舗装路を進みます。

ここも、カートが行ったり来たりしてる。観光地化進んでるなぁ。

一番奥が正門になりまして、以前は正門の奥の山に

中城高原ホテルという建設途中で放置された謎の廃墟がありました。

2020年に解体撤去されたそうです。

次回につづきます。

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ニ・ニ・ニーチェかサルトルか

みーんな悩んで大きくなった(^^♪

 

 

若者よ、悩め!!

 

 

Tetsu龍でございます。

二の郭から、先程と同じような左カーブの階段を登ります。

登るにつれて、階段の幅が徐々に狭まって行き、

攻め手が詰まるようになっています。

姫路城の二の門前なんかもそうやね!

石門があり、上がった処が一の郭。勝連城最高地点です。

見晴らし抜群だが、とにかくうるま湾から吹き付ける風が凄い!

出入口の石門から階段が石壁に沿って直角に付いているので、

風が強い日は転落するんじゃないかなんて思います。

ここにも、玉ノミウデ御獄、勝連の守護碑等があります。

全体像の把握は、アマワリパーク内のジオラマを見るとよくわかります。

ここはアーチの石門が残っていないし、

今帰仁城や座喜味城と比べると、石垣のカーブが少ない気がする

さて、「中山世鑑」(琉球正史)によると、

勝連按司 阿麻和利は、王位に就く野心を抱いていたと言われています。

当時の尚氏王、尚泰久は百度踏揚(ももとふみあがり)を阿麻和利に嫁がせ、

護佐丸を中城按司に任命してこれを牽制しました。

忠臣護佐丸、逆臣阿麻和利という構図がこれまで語られてきた定説です。

しかし、近年の研究によると「おもろさうし」に阿麻和利を称える歌があるなど、

矛盾点が指摘されており、尚氏の権力基盤が不安定で、

地方の有力按司とせめぎ合っていたのではないかという説が提唱されています。

 

護佐丸・阿麻和利の乱っていうやつね!

そのお話はどっかでまたします。

 

勝連グスクともそろそろお別れです。

遠征は……つづきます

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最近チャンバラ映画がめっきり少なくなったので、

個人的には寂しい。

 

太秦ライムライトとか、

 

 

最近なら侍タイムスリッパーなんかかな。

 

 

海外向けの奴は、殺陣がもう一つ好かん。

お爺やと笑ウて下さい!

 

Tetsu龍でございます。

能書きばかりたれとらんで、早よ、城回れやという声が聞こえた来たので

お城に上がります。

緩やかな坂道を登って行くと、世界遺産と城址碑の前に来ます。

ここまでカートが登ってきました。観光地化しとる!

以前来た時は、」こんな感じで長閑ですね。

まあ、いまもそこまで人居ないんですけどねぇ。

ここが四の郭、今は草原ですけど、当時は湿地で、

堀の役目も果たしていたようです。

井戸らしきものがある。

そこから、梯郭式に上がって行きます。

左カーブ―の石段を上がると三の郭。

この石段がよく考えられていて、右手に剣、左手に楯だと、

右側から攻められるので、登って行く時防御がしづらいという。

オオッツ!言われてみればそうだ。

登った処の石門の石がでかい!
ただ、石垣の多くは道路工事なんかで持ち出されていたのを、

沖縄の戦後返還後復元された物やそうです。

三の郭には肝高の御獄、とすり鉢状遺構があります。

御獄は祈りの場ですね。すり鉢状遺構はなんの目的なのか判っていません。

一直線の階段を一段上がった処が二の郭。

ここは、大きな礎石が等間隔に並んでいて、

大きな殿舎があったようです。

出土物から多数の瓦が発掘されていて、殿舎は瓦葺だったと思われます。

当時のグスクの大半は板葺きであったと推測され、

瓦の遺構は、首里城や中城城等いくつかのグスクからしか発見されていません。

そのことからも、当時、勝連グスクは繫栄していたことがうかがえます。

この二の郭にも、ウミチムンと云う火の神に祈る場所があります。

 

まだ、つづきます。今回はここまで。