小5娘の公文国語の内容について、感想など気ままに書かせていただいています。
Jで、土佐日記について出てきました。
「土佐日記」
紀貫之 著。935年ころ成立。赴任していた土佐から京都へ帰着するまでの55日間の船旅を記す。かな(ひらがな)で書かれた日記。
・・・・・
昔、土佐日記のことを学校で習った時に、
男性が女性を装ってかなで書いたっていうけど何でそんなことしたんだろう?
と思っていたものの、さりとて深追いするでもなくそのままにしていたのですが、その答えがありました。
(略)おそらく彼は、こまやかな心の動きまでを書き表すためには、漢文よりは和文のほうが適していることを知っていたのであろう。漢文はなんといっても、もともと外国の文体なのである。しかも書きたいことは、前国守としての公的な事柄などではなく、きわめて私的な事柄なのである。彼は、土佐国に在任中、幼い娘をなくした。
(略)
そのような個人的な悲しみもふくめて、私的な立場で旅日記を綴るためには、筆者は帰京する前土佐守紀貫之一行中の一女性であるという隠れ蓑が、都合よかったのであろう。
(久保田淳『日本文学の古典50選』岩波書店)
なるほど!
個人的な話を綴る上で、かな文字がよかったということなのですね。
そんなの常識、そんなことも知らないの?と言われてしまうかもしれませんが、私はこれまで古典にあまり関心が持てなかった(そもそも国語が大の苦手だった)ので、この歳になってようやく知ることができました。
・・・・・
ちょっぴり笑ってしまうところもあって、
任国(土佐)から京に帰る時に、
船旅だというのに馬のはなむけ(餞別)をしてくれる人がいたり、
召使いでもなかった人(八木やすのり)が立派な態度で餞別をしてくれたことを、別に物をもらったから褒めるわけではないと言い訳したり^^
問題でも、
問 筆者は、八木やすのりという人物の、どんなところを褒めていますか。
→(例)
個人的な好意として餞別をしてくれたところ。
といったものが出題されていました。
・・・・・
最後の方では、
竹西寛子『往還の記』岩波書店
を引用して、筆者(竹西氏)が、土佐日記が海路紀行にしては呆気ないと考える原因について問う問題があり、
旅そのものを書き留めるというよりも、旅を媒介として、その時期の自分のさまざまの心情、思考が書かれているところ。
といった解答が書けるようになります。
単なる現代語訳を見るのではなく、解説や時代考証も交えて読み進むので、理解が深まるのだと思いました(^^)
時代を巻き戻せるなら、私も学生時代に、公文国語をやりたかったです^^