丸山隆志医師・産経新聞コラム⑪ | 「あとは緩和」といわれたら

「あとは緩和」といわれたら

少量抗がん剤治療(がん休眠療法)で
元気に長生きを目指す ー

当院の非常勤医師の丸山隆志先生(東京女子医大・脳外科)

の産経新聞月イチ連載・コラム(最新電子版)です.

 

 

 

 是枝裕和監督の描く映画「真実」では、齢を重ね自叙伝を

出版した往年の女優とその家族の物語が全編フランス語で

描かれました。名優たちの演技と、文字数が限定される字幕に

翻訳されたシンプルな日本語で、家族のなかの人間模様が

繊細に描かれています。

母への憤りをもつ娘役ジュリエット・ビノシュが、カトリーヌ・ドヌーブ演じる母の胸に抱かれるラストのシーン。母が長く

深く息を吐き、娘は母の腕の中で静かにひとつ唾をのみ込み

こみます。大女優として時に横暴に振る舞い続けた顔に老いた

母親の表情が現れ、その母への憤りが解けていく様を音と映像

だけで繊細に表現しています。

人の感情は複雑で、ときに些細(ささい)なしぐさが多くを

物語ります。

「相貌失認」という脳の障害があります。相手の顔を見て、

目や口の表情から相手の感情を読みとる能力を失ってしまう

症状です。感情や感覚に関連するといわれる右側の脳の側頭葉

にこの領域はあります。同じ場所でも言葉をつかさどる優位

半球では、文字や形、数字を認識する部分に相当します。

この場所は、目の中に入ってきたものを識別し、その情報を

処理する働きをもつ「視覚連合野」と呼ばれます。過去に

培った学習や経験と照らし合わせ、見えている情報を判断する

という、外の世界と自分とをつなぐ大事な役割を担っています。

「相貌失認」では、人との関係を悪化させたり、その場の

雰囲気にそぐわない行動をとってしまいます。

赤ちゃんは母親とのアイコンタクトを通じて、安心と危険とを

感じ分けるといわれています。脳の研究では、人見知りが

始まる時期に、この視覚連合野の活動が左右反転することが

報告されています。相手の表情を読むという生き抜くための

大事な能力を、頼りにしていた母親の反応から、自分の目で

感じられるように切り替えているのかもしれません。

日本人はまっすぐに目を見つめて話すことが苦手です。日本人

に特有の困ったときの照れ笑いは、外国人には不謹慎な笑いに

見えてしまうようです。目は口ほどにものを言う。国際化が

すすむ昨今、われわれもまっすぐ相手の目を見ながら表情

豊かに表現できるような訓練が必要なのかもしれません。

(脳神経外科医 丸山隆志)