キングコング(1933年)は当時のアメリカ空軍の主力兵器である複葉機による銃撃に耐えることができなかったが、

ゴジラは海中ではあるものの近距離での水爆核実験に耐えた。

強力な放射線耐性を持ち、ボディアーマー状の分厚い皮を纏っているのだろう。

キングコングは最新兵器に倒されたが、ゴジラは水爆では死なない。

なぜかというとキングコングは希望を託された存在ではなかったからだ。

一方、ゴジラは太平洋戦争中に300万人の日本人がミンチに、黒焦げに、海の藻屑になった日本で生み出された怪獣であり、さらには日本は唯一の被爆国である。

兵器を使用する側にとっては、兵器が最大の効果を発揮することが理想だろうが、攻撃される側は逆だ。

核を落とされる側の日本人が、原水爆に耐えうる力を持つ何かを夢想したのは当然の流れだろう。

核兵器すら無効化してしまう生き物。それは恐怖ではなく、願いであり希望であり祈りであった。

勿論、核兵器に対してのみではなく、あらゆる残虐な人類の兵器を役に立たない無駄とするのが怪獣たちの特徴であり、

そもそも怪獣(日本の)の定義の一つが「兵器が効かない」であり、怪獣映画では兵器類が役に立たないものとして描かれるのが定番になっている。

だから、怪獣映画は生物・動物としての怪獣が主役であって、ロボットではない。ロボットは兵器側の存在だから。

もともとゴジラは核実験で吸収してしまった放射性物質をぶちまけに上陸してきたのだが、近年は都心で核爆発に近似した事態を起こす核爆弾まがいのテロリストになってしまっているのは残念だ。

これでは怪獣が殺人兵器へのアンチテーゼになっていない。