こんにちは、元気ですか(・・?

 

前回のブログの続き、四国の話題に移る前に、今までのブログの中で番外編で記事していた話題を考察しなければならないような気がしますね。

 

日本列島も洪水伝説後、主には八つの島が、海から首をだしていた。といっても、上越や東北地方などは、当時では大きな島だったような気がしますね。

 

そしてカエサルが、イギリス(ブリタリア)に侵入したときの状況を説明しました。日本列島の歴史はそれよりもかなり古いですが、当時は、洪水で日本列島から逃げれなかった土着民が、山へと逃げた。

 

海水の上昇が終わり、ゆっくりと海がひきはじめ、日本列島の各島々の陸が表に現れてきたときに、航海時代の始まりともいえるどこかの大陸から日本列島に戻ろうとした人々もいたでしょうし、新天地を求めようとしてこれらの島々に上陸し生活の場所をもとめた部族もいたでしょう。

 

イギリスでは、そういった人々が、ガリア人であったともいわれているし、日本では粛慎という中国大陸北部に住んでいた民族ともいわれている。

 

日本古代史史料のなかで、偽書とも認定されている東日流外三郡誌。この資料の中でよく似た話がでている。

 

超古代には、山に住む土着民ともいえるアソベ族が山を占有していて、後に海岸沿いにツボケ族が、生活の拠点として上陸してきた。当初は、お互い対立していたが、大噴火が起こり、アソベ族を滅びた。海岸沿いに逃げのびた一部の人々は、ツボケ族と融合し、それがアラハバキ族となったというようなことが書いてあった。

 

図書館から昔借りた本なので、手元に資料がないのでうすら覚えですが、確かそうだったような気がする。

 

粛慎にしても、当然中国大陸北部の全員が日本に移動してきたわけではなく、中国北部から南下していった部族もいたでしょう。

それが、女真族ともいい、靺鞨ともなり、さらには、モンゴル、満州族と混血を繰り返していたように思えるね。

 

といって、東北に大きな王国を形成していったとは思えない。騎馬民族というのは、少数民族の集まり。その中で民族の人数が多い部族が、ある程度のその地方で権力を握る。お互い牽制しあい、決して一つの国としてまとまっていたようには思えないね。

 

中国帝国殷にしても主には黄河流域の国ですし、夏にしても西遊牧民族系統のような感じがします。殷の王族は、歴史の中で30人位いたとされていますが、文献資料にしても殷の時代に書かれたものではない。また、当時は、現在のように海を治めるというよりも川を治めることが王たる資質を問われる時代であり、それほど当時の日本列島とつながりがあるとは思えない。

 

ただし、海水の低下により、日本列島が少しづつ表に現れ、自然現象により川などが形成されます。海岸沿いに住まいを求めた部族は、川を治めることを熟知していた部族が住みついたような気がしますね。殷の時代は、紀元前17世紀頃から紀元前1046年に中国大陸にあった王族です。当時殷の民族は、日本列島のことを知っていたかどうか不明ですね。

 

ある程度歴史資料で分かっていることは、政治を含め、祀り事(占い)によって一切合切決められていたようであり、その占い方法にしても、複数あったということです。

 

農業を中心とする国では、雨乞などが重要であり、その時に生贄などの儀式をしたようです。その儀式を止めさせたのが、暴君といわれた紂王。何故この王が暴君と呼ばれたのかね。

 

さらに、当時の王族は、武力で支配したということではなく、気まぐれな川の動きを治めて、なおかつ仁徳が求められていた。王となるにしても血筋ではなく、各部族をまとめた重臣が、王族となり彼らによって共同統治体制を敷いており、定期的に王交替制にしていた。日本でいうと、各大名の中で資質、徳があるものが、王となる体制だった。

 

しかし、黄河流域という恵まれた土地の開拓が進めば進むほど、そこに住む部族が裕福になりますが、ほとんど資産も持たないところには、他人がよりつかなく、資産がある、或いは家に宝石や貴重品が多いところには、よからぬ者が侵入するように殷という国に侵入し、殷の糧を奪おうとする周辺民族も出てきます。

 

そのために殷は、殷末期ごろになると共同体性をやめ、中央集権として国を守る体制に整えます。それと同時に武器開発を行います。そこで考案されたのが戦車。

 

夏の時代、そして殷の時代になっても祭事は重要であり、そこで使われていたのは青銅器。しかし、殷の支配地域に錫の鉱床などあったんでしょうかね。以前ブログで錫や銅の鉱床として重要な地域、四川省成都と雲南省昆明の中間地域。

つまり、青銅器の生産は、殷国内でしたかもしれないが、資源は、上記の場所が主でした。或いは、すでにこの産地で祭事で使う青銅器は、造られていたのかもしれない。となると、現在の西安経由の陸路で運ぶか、それとも揚子江経由で黄河河口入口から運ぶかですね。

 

魏蜀呉の三国志時代の蜀の地域です。

 

もともとこの地域は苗族の地域であり、チベット族、イ族などの古羌の地域。さらに姜氏も羌族です。以前上げた動画を再度アップ。

 

知られざる文明、滇(てん)王国

夏、殷の時代は、雲南省あたりに上記の王国があったのかわかりませんが、洪水の影響、地軸の変わりなどで、北上していったのかもしれません。日本列島に上陸した粛慎もひょっとして苗族だったような気がしますね。現代のロシアにしても、現代の日本人とまったく変わらない顔つきの民族も住んでいます。

 

或いは、錫の産地としてロシアコリマ川流域。マガダン経由、アムール川、ウラジオストックなどを経由して黄河流域まで運んでいた流通経路も当時からあったのかもしれない。

 

さらに、祭事を行うにしても、祭事をする人物は、そこらの民ですれば単なる儀式。効果を求めるには、それなりの教育された民に行わさせなければならない。そういった教育をする場もどこかにあったでしょうね。

 

夏、殷の時代からそういった流通経路が既に存在しており、夏や殷といった大国ではなかったかもしれないが、多くの国もどき国家が、いたるところに存在していた。そしてある程度流通網が確立されていた。

 

日本列島の東北地方もその一つであった。さらに青森県恐山付近は、今でも鉱床としては貴重な地域ですが、どうも地盤が不安定な場所でもある。日本は火山が多いからね。十和田湖は、火山爆発でできた湖だというしね。

 

よって、なかなか日本列島に侵入しようとする大陸の民族はいない。

 

殷の王族の末裔にしても、逃避しても対馬もしくは朝鮮半島どまり。殷が滅び周がおこり、姜族の呂尚が、現代の山東省を中心とした国が建てられる。

 

苗族は、鉱床の流通を握っていたために、海洋族でもあった。つまり、呂氏が、日本の鉱床を握った。日本の本拠地は、青森県恐山付近。そして地軸の変化、気候の変化により拠点を少しづつ南下していき、今の埼玉南部から千葉北部へと移動していったのかもしれませんね。上記はすべて推測です。

 

もともと東王父というのは、中国大陸の天山付近であったのが、洪水により北上していき、東日本の鉱床を支配した王が東王父となり、雲南省からコーカサス地方一帯の鉱床を支配していたのが西王母であったのかもしれないね。当時はね。

 

呂尚が建てた国を姜斉といいます。しかし、姜斉も田斉に背乗りされます。姜斉の王は、呂氏。そして田斉の王は、田氏もしくは陳氏。

 

姜斉の最後の王は、日本へ島送りとなり、東日本へと送られます。ただ、ぶじに日本にたどり着いたのか途中で遭難にあったのかはわかりません。

 

王政権が変わったことにより、流通網の支配も変わります。

 

ローマ・カエサルの時代でもアジア地域というのは裕福な土地であり、ローマーとアジアとの交易は、莫大な富をローマは、得ています。ローマとしては、何としても小アジアを支配したいという気持ちはあったでしょうね。呂氏派の商人も、既得権益をもぎ取られ、ギリシャを中心として活動します。

 

山東省付近にしても最も流通の基点となりやすい朝鮮半島南部などは、田氏の勢力が支配していきます。ここでは、そこに住む住民ではなく、大商人。呂氏の勢力は、当然、南部から北部へと移動するか、火山噴火や地震が多い日本へと向かいます。

 

あまり秀吉の妻ねねと、四国攻めと関係がないように思われますが、少しこの部分の推測をしていきます。金融というのは、すでに夏、殷の時代から仕組み造りが始まっており、ある程度の金融経済と流通経済が成り立っていたと推測しています。

 

アメリカ大陸、欧州大陸を利用したイギリス、そして中国大陸を利用していた日本というように、イギリスも日本も金融勢力に利用された拠点だったと推測。

 

秦が、日本にまで侵入し、大陸制覇をし始めた理由も、呂氏と田氏との金融覇権争い、その中心人物が呂不韋。そして秦が倒れ、劉邦と項羽の争いになりますが、劉邦による前漢の時代が始まります。劉邦の正妻でもあり后妃が、呂氏でもある大商人一族の娘、呂雉りょち。

 

しかし、呂雉の反乱などがおこり、呂雉一族のほとんどは殺される。そしてその生き残りの子孫が、呂姓を改め張氏と名を変えて続き、その中から李氏という姓氏もでる。また、劉邦の字が季であった。

 

ちなみに、

 

劉備玄徳の時代、蜀は、川という意味をもち、

 

 

 

劉邦の任侠上の弟は、張飛(ちょうひ)。関羽は、字は雲長(うんちょう)。劉備に至っては、劉備の家から貴人がでるだろうと告げた予言者は、李定。劉備に大金を与えた馬商人の名は、張世平。中山の豪商。

諸葛孔明は、山東諸葛氏でもあり、姜氏族。呂氏も子孫がひろがり、名を変えているし、田氏にしても陳氏にしても子孫がひろがり、姓名を変えている。

 

清の時代の単なる貧困少年から大商人とも言われるようになった人が語っていたんですが、この大商人にしても背後にその大商人を操るというか、当然才覚はあったのはもちろんですが、この商人を大商人にさせるための保護者がいたそうです。当時そのような大商人で名前さえ現代では不明ですが、清の時代に10人いたそうです。当時名を上げた大商人は、そのうちのだれかの派閥に属していたようです。

 

 

前漢時代の呂雉による事件により、呂氏の有力者は、名を改めたか表にでなくなったような気がしますね。

 

そして日本列島。徐々にもともと八つの島が、表にでてから徐々に海水が引き始め、今の日本列島の形造りが始まろうとしていた。姜氏にしても田氏にしても祭司や祭事などの儀式は、背乗りでもあり継承しているので全く同じ風習。

 

次回は、もう少し日本の古代歴史を推測してみます。信長とはあまり関係ないかもしれないが、四国攻めについては少し考えたいので。

 

ここまでで。

 

四国を統一しようとしたのが、当初は、長曾我部氏。秦氏だといわれています。長曾我部氏ですが、当初、四国の神社を破壊していったようです。なぜでしょうかね。

 

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youtube動画というツールが出てきてから、こういった心霊体験をした人がよく動画アップしています。貴重な体験でもあり、なかなかこういった経験した人少ないからね。

 

信長にしても基本的には、明るく楽しく生きようやという世界作りですね。尾張でお祭りを庶民としたときも、どういう踊りをしたのかわかりませんが、派手な格好をしてお祭りをしている地域から他の地域まで行列で踊りまくったこともあったらしいし、安土城の行事にしても、基本的には、天皇などの朝廷にみせる催事ではなく、庶民に対して見せようとしてますもんね。つねに笑いを求めていた。

朝廷などの公家から平家は、平家から源氏へ、源氏から北条氏、北条氏から足利氏、そして足利氏から豊臣家、徳川家と政治革命なるものがおこりましたが、単なる権力の担い手の交代にすぎず、権力者そのものが変わったわけではないようにみえますね。

 

権力者というのは、常に隠れている。常に隠れなければならない存在でもあり、民衆、庶民からみれば単なるそこの人なのかもしれない。しかし、単なるそこの人に対して、民衆や庶民は、尊敬もしないし、ひれ伏すこともしない。人間には、妬み、嫉妬などの感情があるために、呂雉一族のようにいつなんどき一族皆殺しとなるかもしれない。

 

公家や武士や大商人などといった上級国民になったとしたら、余計庶民の負の感情が、向かいやすい。そうならないためにもほんの一部の者にしか知られない存在になった方がいい。さらにいえば、権力者の一族に何らかの魔の手が訪れたとしても、自然と表にいる権力者もひれ伏さざる負えないような事態が起こる。

 

原因と結果

 

インターネットが、世界市場のスパイマシーンとして利用されていることを世界中の人々に知らせたのが、スノーデン。そして、社会や政治を変化させるツールとしてサイファ・バンク、今でいうビットコインなどの暗号通貨が登場しました。

 

暗号技術を高度化し、その技術を広範囲な分野に推進する集団。

 

開かれた社会とは、どういう社会でしょうか。人間の妬み、嫉妬、邪な感情などがある社会の中で開かれた社会とは。

 

大きな権力を持った人間は、自分を隠そうとする。つまり多くの民からばくっとしたもやもやしたものにしたほうがいい。日本の政治家にしてもそれが現れている。

 

政治家は、判断をしない。責任を取らない。責任をとるのは、その政治家を選んだ選挙民ですから、その政治家にあなた方は政治問題をまかせたんだから、責任は、選挙民でしょ。だからおかしな政治をしても、ちゃんと税金からお給料はもらいますし、江戸時代のような切腹などしない。また、官僚などの公務員にしても同じ。賄賂をもらおうが、天下りをしようが、そんなことみんなしていること。みんなですれば怖くない。最終的に、みんなで責任を負えばいいし、子孫がなんとかするだろうってね。

 

ということで、表に現れる者までもが責任逃れをする。

 

だったら匿名性を重要視すればいいじゃんてなる。開かれた社会、そこでおきる取引なるものは、原則として匿名性をもつようにする。そのためには、暗号文が必要となる。さらには、その技術発展こそがカギである。

その技術に追いつけない集団は、技術が進んだ集団の配下で匿名性を担保するしかない。

 

このブログの当初の記事で、自民党の大御所ともいえる森元首相、そして経団連の御手洗元会長を老害として批判したことがあった。決して、このような重臣を批判しているわけでもなく、このような経験者を排除しようとしているわけでないんです。

 

今後、科学の進歩は、特異点に向かう可能性が高い。加速度的に科学が進歩する可能性がある。そうなる前に地球生命そのものが自滅するかもしれませんがね。

進歩すると仮定しましょう。

 

人間の現代の脳よりも多くの量をもつ知能が姿を現し、それに速さが加わり、多様性が広がるとします。しかし、その知能に与えるのは人間。当然、与える知識、情報が偽りなものであったならば、そんな知能進化したって無意味なものとなる。

 

つまり真実性が必要。

 

今表に現れているのは、単なるツールにすぎない。最終的には、真実性を担保できるかどうか。そして、その真実性を引き裂く勢力が、国家であり大国である。

 

さらにいえば、原子力発電や再生医療、ビッグデータなどを扱う、日本風でいえば、学術科学に携わるグループ。こういったグループは、もはやおさらば組。

 

疑うことをしらなければ、今後考えない人間が作り出されるというロボット化が始まる。そうならないように上の動画などスピリチュアルな動画を流す人も現れる。

 

疑わないと、巨大企業の利益が、その裏目的が自由へとなり、偽りの真実の共同体に電子地域が乗っ取りされる。基本的に、上流階級というのは、良き時代、良き伝統を継承する面々達。

 

2000年という人類、そして地球の筋目にはいっており、この2000年間統治してきた主体の入れ替わりがおきるのかどうかという時代に突入しているのが、この世界的な変化と進歩。

 

ハルマゲドンというのは、人類の戦いではなく、宗教上、聖書上では、神々とサタンの戦い。サタンとは、ルシファ。しかし、人類から見れば、どちらの勢力も神々であり、サタンでもある。

 

紀元前と紀元後と区分けされているように、その頃に、現代と同じように、神々とサタンの争いがおきていた。これらの人たちとは、我々庶民と時間軸が違うために、運命に従って生きていくしかないでしょうね。

 

ちと、途中急な用事で席外してしまい、途中でブログを休止したために、何を言おうとしていたのか忘れてしましました。

何が今後起ころうとも

 

ごきげんさんで。