三河雑兵心得: 7 伊賀越え仁義 | ギッコンガッタン 

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 元百姓の武将・植田茂兵衛の出世物語こと足軽仁義シリーズの第七弾です。本能寺の変後の堺に僅かな供回りでいた家康一行が如何にしてこの苦難を乗り越えるかの試練に立たされます。選ぶ道は、三つです。一つが明智光秀の謀反に加担すること二つ目は、近くにいる信長の息子の信孝軍への合流、三つめは、何らかのルートを使う本国の三河への帰還です。

 

 検討した結果、家康は、一旦は、信長への恩義から殉死を選ぶようにいいながら家臣に説得された形で伊賀越えルートで三河への帰還を選びます。信長への殉死は、供周りについていた信長の目付を意識したものでした。とは言え伊賀は、つい数年前に信長から凄惨な攻撃に遭った所です。(世に言う天正伊賀の乱。)だから、信長への恨みは、深い土豪が多い厳しいルートでした。

 

 信長の同盟者であった家康に対しても命の危険は、大いに予想されました。しかし、京や美濃と尾張を超えるルートは、混乱も大きく敵も多くできません。一番いいルートは、河内と近江南部をわずかにかすり伊賀に入るルートだったのです。供周りにいた穴山梅雪は、家康一行と別に殿軍で行く道を選びます。そして、この際に供についていた梅雪の元を茂兵衛は離れます。

 

 愚痴ばかりこぼされる梅雪の元から離れられるので茂兵衛にとっては、歓迎でした。ところが、現実は、家康隊の本当の所の殿軍である本多平八郎忠勝の軍より先に穴山梅雪は、出立していました。そして、途中の道で梅雪達は、北に向かっていました。どうも、信長と家康の両家中からの裏切り者視線に耐えられなくなり、光秀方に加担しようとしたのでしょう。

 

 その事をつかんだ平八郎隊は、このまま捨て置いて家康を追いかける道を選びます。しかし、ここまでのシリーズであるように茂兵衛の義理人情に厚い性格が出ます。例え辛気臭い嫌な人と思っていても一度は、与力として仕えた梅雪のことがほおっては、おけなかったのです。平八郎に梅雪隊の様子を見る許可を平八郎にもらって平八郎と離れ北上する梅雪隊を追いかけます。

 

 案の定、穴山梅雪とほとんどの供周りは、武者狩りにやられた後でした。それでも、深手を負いながらも生きていた梅雪の家臣である有泉大学と僅かな穴山衆の供周りとともに茂兵衛は、平八郎を追いかけます。深手を負いまともに動けない有泉を背負った

茂兵衛ですが、そこを後ろから追いかけていた親殺しの仇と茂兵衛の命を狙ったこともある横山右馬之助が姿を見せます。

 

 この場でも命を突け狙われそうになりましたが、結局、横山は、父の弔いをして欲しいと言いながら矛を収めます。また、途中の道で付け狙う地侍から鉄砲や槍などのいくぶんの武器を集めながら苦労しながら茂兵衛は、平八郎の合流を果たします。一方、家康は、信長の目付武将の長谷川の助けもあり、200人の伊賀者の護衛付きで伊賀でも安全な北部ルートを行きます。

 

 家康を追いかけていた茂兵衛たちでしたが、道がどちらかと言えば、北部ルートよりも信長憎しの土豪が多い南側のルートに間違えて入ってしまいます。過酷な道を茂兵衛達は、時に攻めてくる伊賀の土民からの攻撃をかわしつつ不眠不休で突き進んでいきます。結局、伊賀の東の方の柘植で家康一行に合流します。茂兵衛は、梅雪を殿を逃がすために北へ行ったと言います。

 

 ただ、家康は、茂兵衛の意図を理解して猿芝居だとばかりに怒ったものの、結局、茂兵衛の言う通りに穴山梅雪の名誉は、保たれて穴山家は、存続しました。そこで、家康は、信長の仇討の戦に出向くふりをしながら、甲斐信濃を本能寺の乱のどさくさに紛れて簒奪する火事場泥棒作戦の実施へと動き茂兵衛は、三河についたのもつかの間、甲斐へと行くことになります。

 

 甲斐では、信長から甲斐国主とされている川尻秀隆がいました。彼の元に一武将を派遣します。その武将が川尻を挑発して川尻は、その武将を殺します。そこから、甲斐の土豪の一揆がおこり川尻秀隆は、殺されます。そして、この動乱鎮圧の名の下に家康は、甲斐一国を乗っ取ります。茂兵衛は、ここまでの策を実行に移した家康が以前に比べて狸になったさまにビックリします。

 

 ただ、この際の事で、信康切腹の件など、家康の影にうごめく服部半蔵が絡んでいるのを茂兵衛は、知ります。そして、この件で茂兵衛は、半蔵を問いただします。ここで乱戦になりますが、抑えた茂兵衛は、事件の裏事情を知り、政治方面の難しさを知り驚くばかりでした。そんな中で本能寺の変は、羽柴秀吉が押さえます。そして、家康は、甲斐信濃の支配を認められます。

 

 そして、秀吉は、織田家中最大のライバルだった柴田勝家も滅ぼしていよいよ、天下取り目前とばかりの勢いになってきます。これに対して、家康は、北条との同盟で対峙する形になります。そんな中、辰造が茂兵衛と綾女が一夜の情交で出来た息子の父親になります。ただ、綾女は、産後の肥立ちが悪くなくなったと知らされ茂兵衛は、ショックを受けます。以上があらすじです。

 

 茂兵衛は、この前の巻の出だしの所で、平八郎から今後、お前は、家康の良いように使われるぞと言われます。実際、前の巻では、甲斐を続けざまに三往復でした。しかも、百姓上がりの茂兵衛がやっかみを受けないようにと言う配慮もあり表面上は、塩対応になったりもします。今回も穴山家を許す際もこのような対応でした。まあ、そこを頑張っている茂兵衛も健気に思えます。

 

 今回は、伊賀越えの時の不利な条件での咄嗟の茂兵衛のはったりを含めた色々な思案がツボにはまります。刀剣は、相変わらず苦手な茂兵衛ですが、それなりにうまくかわす様は、見事です。武辺者ではありますが、周囲は、良く見えています。また、茂兵衛の情の深さが見事に描かれています。

 

 弱い立場の人間に対して内心で哀れに思い助けようとする反面、卑劣だと思う人間に対して直情的に怒りをぶちまけるところなども見所に思えました。厳しい戦いがまだまだ、続く中で茂兵衛の武将としての成長が見て取れるところが良く描かれています。歴史背景の説明も見事に思えます。次は、秀吉と家康の直接対決である小牧・長久手の戦いになります。